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9月を知るための単語禄。 【現代版歳時記】

先人たちが日本の気候から見つけてくれた、美しいもの・儚いもの・恐いもの、その中で生きていく知恵と工夫。
そんな季節特有の本来の暮らしぶりと、現代の暮らしぶりを結び、歳時記を再解釈する。

今回は「重陽の節句」、通称「菊の節句」。

3月3日・桃の節句、5月5日・端午の節句、7月7日・七夕の節句。節句にはそれぞれシンボルとなる植物がある。端午の節句は菖蒲、七夕の節句は笹。3月は親しまれすぎて通称にまでなっている桃の花。桃の節句の正式な名前は上巳の節句という。

では、9月9日は? 
奇数の重なる日は節句と定められた。中でも最大の奇数・9が重なる最も大切な節句は、しかし今ではその日が節句の一つであることさえ忘れられつつあり、ましてやその名前を言える人はかなり限られている。9月9日、「陽数(=奇数)が重なる」の意をもつ「重陽の節句」といい、通称を菊の節句という。

菊=お供えのお花だと思っている人も多いのではないだろうか。歴史的にずっと菊がお供えに使われてきたのだと思っていると。

実はそれは間違い。
菊はパスポートの表紙の絵であり、その理由は古くから天皇家の家紋として使われているからであり、事実上桜とともに日本の国花になっている。いけばなでも頻出する花材である。
菊の歴史的なポジションは、実は、最高に秋らしい花であり、格の高い、御祝にもお供えにも使える花なのだ。

重陽の節句は、まさにその、菊という花が背負ってきた長い歴史と、その中で確立された本来のイメージを楽しむ行事だった。
秋の季節、色とりどりに咲き誇る花の姿を楽しむことをはじめ、菊を漬け込んだ日本酒に花びらを浮かべて飲んだり、前の晩、菊の花に綿をかぶせて露をしみ込ませ、その綿で体を拭うなどの、習慣があった。

さて、「センスがないのでどの花にすれば良いかわかりません、自分では選べません」と花屋の私はよく告げられる。
上記のとおりでいくと、花を選ぶのに必要なことは、生まれ持ったセンスではない。私は色々な場所で、人に、そう言い続けている。
その花の向こうに広がるストーリーを、見ようとする目である。

「天皇家に愛された花」「重陽の節句の花」と聞くと難しい感じがするかもしれないけれど、それは菊という花が独自に背負ったストーリーである。その面白味は、色や形が似た他の花では楽しむことができない。私たちは、そのストーリーを好きか嫌いか、花を飾ろうとしている空間に取り入れたいかどうかを、自分に問えば良いのである。私たち現代人が欠いているのは、センスではなくスタンスなのではないだろうか。

花選びだけでなく、節句をわざわざ祝うのも、季節の花を愛でるのも、なんだか気恥ずかしく、高尚なものだと遠ざけている人も多いと思う。
そんな時は、「昔の人は秋に菊を愛でていたから」という習わしにそのまま乗っかってしまってもいいのかも。

季節を楽しむ言い訳は、過去にあるのかもしれない。

京都で花を生業にする者として、本来は時代に合わせて編集されていたという「歳時記」を現代の暮らしに合わせて再解釈。
そして、実際の花屋の空間でも、再解釈を表現できないか模索中。

9月9日という一年で最後に奇数が重なるその日に、秋の始まりのその頃に、この国にとって最も大切な花の一つである菊の物語と美しさを、みんなで楽しむことができる何かを探したい。


9月を解釈する単語禄:

重陽の節句
昔の人が不老長寿を祈り愛でて築いた「菊は格高い」との習わしは、現代を生きる私たちにとっては秋を楽しむための理由となりました。
季節を楽しむ言い分は、過去にあるのかもしれませんね。

菊酒(きくざけ)

不老不死・不老長寿を願い、日本酒に菊を漬け込んだり、花びらを浸したりして飲みます。菊をあらゆる形で楽しむ人々の暮らしがはるか遠くの京都ではありました。

一輪挿し(いちりんざし)
見た目の美しさだけでなく、その花が背負ったストーリーとともに活けると、たった一輪でも見た人の心を満たすことができるのです。



執筆:西村良子
京都木屋町の花屋「西村花店」店主、華道家。1988年京都府生まれ。2010年関西大学卒業。 先斗町まちづくり協議会事務局兼まちづくりアドバイザー。 2017年に花店を開店し、現代の日本での花と四季の楽しみ方を発信し続けている。



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