1.専制治下の人民は生命財産の権利を持たぬ/ 尾崎行雄『憲政の本義』
一 専制治下の人民は生命財産の権利を持たぬ
政治家が、政治の目的物たる人民を治める方法は、これを大別して、二種とする事が出来る。
人民は、生命財産を始め、その他一切の権利のないもの、即ち禽獣同様な者と視做《みな》して、これを治めるのが、その第一種であり、人民でも、生命財産の権利を持っているもの即ち人類と視做《みな》して、これを治めるのが、その第二種である。
第一種の為政法を、専制政体と云い、第二種を立憲政体と云う。故に専制治下の人民は、禽獣同様の動物であって、立憲治下の人民は、人類である。何《いず》れの専制国に於ても、人民には、生命財産の権利のあることを承認せない。故に生殺与奪の全権は、これを治者の掌中に収めて、被治者は、何時《いつ》如何《いか》なる目的のために、その生命財産を召し上げられるか知れない。その生命は、ただ治者の恩恵によってこれを継いで居るに過ぎない。その財産は、ただ治者の都合によって、暫《しばら》くこれを預けられて居るに過ぎない。その状毫も牛馬羊豚鶏犬が、その飼主のために、生命財産の全権を掌握せられるのと異なる所はない。今を去る五十余年前、則ち廃藩置県の頃までは、斬捨御免、御手打勝手次第など云う暴虐無法の事柄さえ行われ、元亀天正時代に於ける車夫馬丁、ないし強窃盗、火付け、人殺しの輩でも、一朝風雲に際会して、大小名若しくは武士となり得た者は、百姓町人に対して、斬捨御免の権利を得、剰え酒興に乗じて、数々これを行使した。この時代における百姓町人は、飼主の都合次第勝手に屠戮《とりく》せされる所の牛馬鶏豚と、果して何の異る所があろうか。
明治維新後斬捨御免の制度は、漸《ようや》く廃止せられたが、それはただ剣をもって妄《みだ》りに良民を斬殺する事が、廃止せられたに過ぎない。法律規則をもってする所の斬捨御免は、依然として明治二十三年憲法実施まで継続せられた。即ち良民斬捨用の道具が、刀剣より変じて、法律規則となったまでの事なり。政府が、人民を視て、生命財産の権利なき禽獣的動物と見做《みな》せる事実に至ては、封建時代と、少しも異なる所がなかった。古昔《こせき》孟子は、梁の恵王に向《むかっ》て「人を殺すに[#「殺すに」は底本では「殺す」]挺《ちゅう》と刃《やいば》とをもってせば、以て異なる有りや」と問うて「以て異なるなきなり」との答を得た。いやしくもこの理を解し得るものは、人民を斬捨るに、刀剣をもってしても、はた法律規則をもってしても、ただその道具が異るだけで、「斬捨御免、御手打勝手次第」と云う原則――則ち人民を禽獣視する原則――に至ては、毫《ごう》も異る所のない事を知り得るであろう。即ち我が五千万の同胞兄弟は、明治二十三年、憲法実施までは、政府のために、生殺与奪の全権を掌握され、生命財産の権利すら保有せない禽獣的動物だったのである。
専制時代の官吏は、人民の代表者に謀らずして、如何《いか》なる法律規則でも、勝手にこれを制定することを得た。悪人を責罰する法律を作り得たと同時に、また善人を責罰する法律をも作ることを得た。現に憲法実施以前には、讒謗律《ざんぼうりつ》誹毀罪《ひきざい》など云う法律があって、官吏の悪行を保護し、およそ官吏の悪事醜行《あくじしゅうこう》を、新聞に載せ、演説に述ぶれば、事実の有無に関せず、記者論客を厳罰した。官権を笠に著《き》て、悪事醜行《あくじしゅうこう》を働く官吏こそ厳罰に処せらるべきはずなのに、憲法実施以前においては、ただにこの類《るい》の悪官吏を処罰なかったのみならず、かえって国家生民のために、これを非難攻撃する志士論客を処罰した。現に今日にては官僚派の忠臣である小松原英太郎氏の如きも、青年時代においては、藩閥官吏の悪業を攻撃したために、責罰せられた事があると記憶する。
法律は既往に遡《さかのぼ》らないのをもって、その原則となすが、専制時代においては、反対党既往の行為を責罰するために、後より法律規則を発布したこともある。かの有名なる保安条例の如きは、井上伯の条約改正に反対した者を放逐するために、条約改正中止と共に、発布せられたものである。政府でさえその非を悟て、条約改正を中止した以上は、国家のため、一身を安危を顧みず、これに反対した者は、むしろ国家の功臣として、賞讃せらるべき道理でこそあれ、決して罪人として懲罰せらるべきものではない。然るに林有造、星亨、および余の三名は、罪状最も重き者として、三年間の退去を命ぜられた。しかして三人ともしばしば衆議院議員に当選し、国務大臣とったのを見れば、この三人は乱臣賊子《らんしんぞくし》でもなく、また強窃盗人殺しの類でもないことは明かだ。然るに専制政府は、国家のために、不名誉不利益な条約改正に反対した志士仁人を処罰する目的をもって、事後に法律を作り、既往《きおう》に遡《さかのぼ》って、五百余名を放逐《ほうちく》した。その非理無法は、かの酒興に乗じて、恣《ほしいまま》に良民を斬捨た封建武士と、毫《ごう》も選む所がないではないか。
これを要するに、専制政体の原則は、人民に生命財産その他の権利あることを承認せず、人民を禽獣視して、これを飼育するにある。故に政府が、生殺与奪の権力を恣《ほしいまま》にする所の武器は、時にあるいは剣戟銃砲《けんげきじゅうほう》となり、時にあるいは法律規則となり、その形式は多少変化するも、その実質に至ては、毫《ごう》も異なる所がない。
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底本
尾崎行雄『普選談叢 貧者及弱者の福音』(育英會、1927年11月2日発行)(国立国会図書館デジタルコレクション:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1452459, 2021年5月21日閲覧)
参考
1. 尾崎行雄『政戰餘業 第一輯』(大阪毎日新聞社、東京日日新聞社、1923年2月19日発行)(国立国会図書館デジタルコレクション:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/968691/1, 2021年5月21日閲覧)
2. 尾崎行雄『愕堂叢書 第一編 憲政之本義』(國民書院、1917年7月27日発行)(国立国会図書館デジタルコレクション:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/956325, 2021年5月21日閲覧)
2021年5月24日公開
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