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§11.4 イギリスの議場/ 尾崎行雄『民主政治読本』

イギリスの議場

 であるのに,昨年以来の議事ぶりをみるとやっぱり旧態依然たるもので,質問にかりて政府に喧嘩をしかけたり,耳をはり上げ卓をたたいて大臣席をにらみつけたり,何から何まで,われわれがかつて藩閥政府と闘うために余儀なくとった悪手段悪習慣を,そっくりそのまま踏襲して少しも進歩のあとは見えない.
 本当に議会の議事を熟談協議の気持ですすめて行くのには,議場から大臣席や政府委員席を取り払う程度に議場を改造したくらいではだめかも知れない.議長の許可を得て,議場を見おろすような高い壇上に上り,大きなテーブルの上に原稿をひろげ,コップの水を飲んでから.“諸君”と切り出すと,つい出さんでもいい大声を出したり,せんでもいいみえを切ったりするのが人間の心理作用かも知れぬ.一そのこと演壇を取りはらい,議員は皆自分の議席で発言するようにすれば,はでではないが実のある熟談協議ができるであろう.その点ではイギリスの議場(註)

(註) イギリス下院の議事室は東西7間余り,南北12間あまり,高さ7間ばかりの四角いホールで,議長席は室の北端にあり,議長席の前に南北に長い長方形の大きなテーブルがおいてある.このテーブルの上にメースといって,本会議が開かれていることを表示する金色さんらんたる金の棒をおいてある.本会議が委員会に変更された場合には,メースはテーブルの下に入れることになっている.この大テーブルを囲んでヒナ段式に議員席がある.議長の席からいって右側が政府党,左側が反対党の席で,第1列のテーブルに沿った所が首領の席になっている.ゆえに内閣の大臣は右側の第1列に,反対党の首領は右側の第1列に座る.だから大テーブルをはさんで,朝野両党の首領が向い合っているわけである.議席はただ長い腰掛が列べてあるだけで,首領は前にあるテーブルを使うことができるが,一般の議員の前には何もおいてない.議員は707人であるが,議席は450人分だけしかないから,各議員の議席は無論きまってはいない早いものがちである.先年グラッドストンがアイルランド自治案を出したときに,自由党が分裂してブライト・チャンバレン・ハーチングトン・コリングなどというそうそうたるフロントベンチ(第1列)の領袖連が反対した.グラッドストンが議場にはいって行くと,この連中がわざとひじを張って第1列にがんばって坐っているので,グラッドストンの坐る席がなかったというはなしがある.そういうことがあったためであろう.今日では,腰掛の背中にちょっとした名刺さしが作ってある.早く行って,これへ名刺をさしておけばいつ行っても坐ることができる.


 日本では演説といえば,一種独特の口調があり,声を上げたり下げたりして極めて不自然なものであるが,イギリスでは大雄弁家といわれたグラッドストンの演説でも,平常の談話と少しも違った所がなく,日本の演説をききなれた耳にはいささか物足りない.議院の討論は2日にも3日にもわたることは珍らしくないが,それは論争するのではない.お互いに国家のために意見をのべて相談するのである.そういう風に,相談し合う気持で議事を進めて行くには,イギリスの議場のつくりかたは大層いいと思う.

 いつ,いかなる場合でも,議事は熟談協議の精神をもって進められねばならぬのであるが,特に今日のわが国のごとく,国家が生きるか死ぬかの瀬戸際にあえいでいる場合の国事を議するにあたっては,この精神が一段と高揚せられねばならぬ.


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Cf. 
(1) 尾崎行雄「演説:普通選挙について(五)」(コロムビア(戦前)、1928年)(帝国議会会議録検索システム:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1315885, 2021年4月14日閲覧)。
2分ごろに「議会というものは、多数と少数との喧嘩をする場所ではなくして、国家のために相談をする場所である」と演説している。

底本
尾崎行雄『民主政治讀本』(日本評論社、1947年)(国立国会図書館デジタルコレクション:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1438958, 2020年12月24日閲覧)

本文中には「おし」「つんぼ」「文盲」など、今日の人権意識に照らして不適切と思われる語句や表現がありますが、そのままの形で公開します。

2021年4月14日公開

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