§11.3 議事か喧嘩か/ 尾崎行雄『民主政治読本』
議事か喧嘩か
精巧な機械は,どこか1箇所が狂うと全部の調子が狂ってしまう.明治憲法の時代は本来立法府が主人公となり,行政府はお客分であるべき立憲政治を,行政府が主人となり,立法府を客分扱いにした.この根本の狂いが万般の狂いを生じた.議会における議事の進行方法なども,全く乱れてしまった.本来,熟談協議すべきはずの議事を頭から喧嘩腰で進めるような悪い習慣ができてしまった.もっともこんな悪習慣をつくったことについては,私などはもっとも重い責任者である.ゆえにその罪を謝する意味で,なぜわれわれがあんな乱暴な議事のすすめかたをするにいたったかについて,ざんげ話をしてみよう.
われわれが,藩閥官僚と闘った頃の政府は国民の一敵国であった.とても熟談協議などというなまやさしいことで,責任をとって進退するような相手ではなかった.どうしても,国民の面前でそのつらの皮をむいていたたまれなくしてやるより外に,責任を問う途ははかったのである.そこで悪手段とは知りつつも,質問に名をかりて政府に難題をもちかけたり,用もないのに大きな声を出して政府に喧嘩をしかけたりしたのは,あの一段高い大臣席でそり返っている連中を,公衆の面前で叩きつけて,大臣などといえば,議員より十倍も偉い人間だと思っている国民に向って,どうだ大臣なんてこんなつまらん人間にすぎないではないかという事実を見せつけて,官尊民卑の弊風を打破したり,或いは日頃のうっぷんをはらし,りゅういんを下げたりしたのである.攻撃がうまく図に当って,藩閥官僚の政府を倒してみても,これに代って国民の政府ができるというあてはないけれど,ともかく政府を倒せば鬼の首でも取ったような大手柄をたてたつもりになったのである.すなわち敵国を相手に闘ったのだから,議事も喧嘩腰にならざるを得なかったわけである.
しかし,今は全く違う.新憲法は立法府が主人で,政府が客分に過ぎないことを明文化した.かって国民の一敵国であったごとき藩閥官僚的勢力はも早完全に一掃せられた.政府党も在野党もともに国民の味方として,議事にたずさわっているのである.薩閥内閣を倒して長閥内閣を迎え,陸軍内閣を倒せば海軍内閣がこれに代り,議員政党はいつまでも政権の外に置かれて,徒らに悲憤慷慨していた時代とはわけが違う.今日の在野党も国民の信頼を得れば,明日は内閣を組織して政治の衝に当ることができる.イギリスでは在野党のことをヒズ・マゼスティーズ・オポジット(陛下の反対党)というぐらいで,朝にあると野にあるとでその国家に負える政治上の責任感に差別があってはならない.在野党の使命は政府攻撃にあると考えるのはもっての外のひがごとである.
Cf. (1)と(2)は内容全然同一。
(1) 尾崎行雄「第90回帝国議会 衆議院 本会議 第35号 昭和21年8月24日」(帝国議会会議録検索システム:https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/#/detail?minId=009013242X03519460824¤t=2, 2021年4月13日閲覧)。
(2) 尾崎行雄「立法府の権威を高めよ」『尾崎咢堂全集』(公論社、1955年)。
底本
尾崎行雄『民主政治讀本』(日本評論社、1947年)(国立国会図書館デジタルコレクション:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1438958, 2020年12月24日閲覧)
本文中には「おし」「つんぼ」「文盲」など、今日の人権意識に照らして不適切と思われる語句や表現がありますが、そのままの形で公開します。
2021年4月13日公開
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