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§4.3 丸はだかは強い/ 尾崎行雄『民主政治読本』

丸はだかは強い

 敗けたおかげというのもへんだが,もし敗けなかったら,絶対に実現しなかったであろうと[※入力者注4.3.1]思われることで,日本の将来に大きな光明を約束したものは,軍備のてっぱいである.
 年々3割以上の国費(註)を投じてつくり上げた陸海空の軍備は,日本人にとって,たとえ唯一ではなくても,最大の誇りであった.その誇りを,一瞬のまに根こそぎ打ちこわされてしまったのだから,ぼうぜん自失,中には,軍備のまるでない国家などというものが成り立ち得るであろうかと心配する人のあるのもむりではない.

(註)昭和3年度以降9年度までの歳出予算と軍事費の割合(単位百万円)
  年度  総額 軍事費 割合  陸軍費 海軍費
昭和3年 1,534 487  31.7%  224  263
〃 4年 1,577 503  31.9%  234  264
〃 5年 1,430 472  33.0%  210  263
〃 6年 1,334 406  30.4%  194  212
〃 7年 1,850 695  37.6%  390  360
〃 8年 2,129 855  39.9%  447  403
〃 9年 2,143 936  43.7%  449  489

 しかしその心配は無用だ.軍備はなくても立派な文化国家をつくることはきっとできる.むしろ軍備のない方が,文化国家の使命をはたす上に好都合でもあるし安全でもある.そのわけを話そう.
 野ばん時代には,人と人との間のもめごとを,解決する最後の手段は腕力であった.この場合は,結局,強い者の無理が通って,弱い者の道理が引っ込むことになるのは止むを得ない.しかし,文化が進み,国家のそしきや機能が,ようやく,ととのって来ると,そんな弱肉強食の不合理は許されない.正義と道理にもとづいてつくられた法律をめやすにして,国家がもめごとの仲裁にはいり,いかに力の強い者のいい分でも無理は通さぬ,道理があればいかに力の弱い者のいい分でも通るように裁判する.
 人類の文化は,すでに久しい以前から,一つの国の中における人と人との争いは,腕力によらず,国家の裁判に服従するほどに進歩した.
 しかるに,国と国との間のもめごとになると,野ばん時代同様,腕づくで解決するより外はないものと考えられて来た.


※入力者注4.3.1:「実現しなかったであろうと」は底本では「実現しかつたであろうと」


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底本
尾崎行雄『民主政治讀本』(日本評論社、1947年)(国立国会図書館デジタルコレクション:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1438958, 2020年12月24日閲覧)

本文中には「おし」「つんぼ」「文盲」など、今日の人権意識に照らして不適切と思われる語句や表現がありますが、そのままの形で公開します。

2021年2月7日公開

誤植にお気づきの方は、ご連絡いただければ幸いです。

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