GAKUルーツ《田故知新》vol.11
いよいよ!田楽座創立60周年記念企画「感謝カンレキあめあられ」まで、残り1か月を切りました!
このGAKUるーつも最終回まで、あと2回!
今回は、田楽座の「オリジナル曲」について。
これまで数々のオリジナル曲を作曲してきた田楽座。現在も、コロナ渦で行った「クラウドファンディング」のリターンとして、新曲制作が進行中です。
新曲ができる過程や、こだわり、そして生み出された曲のこれから、などなど熱い想いが綴られた記事から抜粋してみました!
2018年6月号より
【田楽座の新曲ができるまで】
2019年1月18~20日にかけて東京を中心に開催される「日本のうたごえ70周年記念祭典」。
日本のうたごえ全国祭典は、「山のお囃子」の創作、それ以前にも「太鼓ばやし」「海のお囃子」が合同演奏に採用されるなど、田楽座にとってもゆかりの深いイベント。
その70周年という特別な機会に田楽座に作曲をご依頼いただいた。
今回のテーマは「江戸」!
●田楽座の太鼓曲はどのように作られる?
よく「リズムやメロディーが降りてくる」という表現を耳にしますが、何も考えてないのに突然曲が降りてくることはありませんし、降りてきても、だいたい作曲者の好みや慣れているメロディー、リズムになってしまい、どれもこれも似たような曲になりがちです。
創作は「掛け算」で生まれます。例えば「○〇囃子のリズム」×「○〇の音階」とか。
今回はご要望が「江戸」だったので「江戸っぽさとは何か?」から考えました。江戸っ子気質とか風土とか県民性など漠然としたものから、実際にその土地で伝承されている芸能の音階やリズムなど具体的なものまで、これまで見聞きしたもの、新しく調査したこと、いろんな材料を掛け合わせて構想を練ります。
それから依頼主チームの年齢層や技術レベル、得意演目、チームカラーなどを考慮し、「この人たちにはこんな囃子が似合いそうだな」「こんな曲ならこのチームの人たちにのびのび演奏してもらえるだろうな」ということを妄想する。
これが一番大事ですね。プレゼントと同じで、相手をワクワク想像しないで作ったものはいい曲になりません。
曲の仕上げ段階は作曲作業も本当に楽しいです。完成に近づいてくると、みんな「もっと良くしたい」と欲が出てくる。それまで黙っていた小さな不満、「あそこ、もう少し何とかならないですかね」が、いろいろ出てくる。
途中で没にしたフレーズが「実はあれ好きだったんですよね」と、敗者復活してきたり。
デザインやファッションのようなもので、太鼓のフレーズも全体のバランスの中で成立しているので、一度没になったものも、違う局面では採用されることもあるのです。
●よりキャッチ―に、よりポップに!
最終段階では、曲全体を見渡して、田楽座の「好みの押し付け」「身勝手なこだわり」を削ぎ落としていきます。
各太鼓チームの合同発表会などでは、演奏される曲の大半が田楽座の曲、ということもよくあります。
より多くの人に愛される、普及する「いい曲」にするには、一回聞いたら思わず口ずさんでしまう、いつまでも耳に残るキャッチ―なものでないといけませんし、郷土芸能の専門家でなくても楽しさの分かる、ポップなものでないと。演奏者のための曲ですから。
いい曲は、講習でも教えやすい。ひたすらリズムや打法を伝えるだけの講習では、受講生もキツいです。なぜそのリズムなのか、根拠に根ざして情熱的に伝えられるか。教える過程に 物語 があるか。その曲を覚える過程で、日本の伝統文化の良さが伝わるといい。
先人たちの知恵と工夫の結晶が芸能。たとえ創作曲でも、日本の伝統芸能ってすごいんだな、日本人もなかなかやるじゃないか、という、先人たちへのリスペクトが生まれれば最高ですね。
(文・構成/中山 洋介)
2016年4月号より
【田楽座生み出す「郷土芸能」のDNA~遺伝子~】
浜松「有玉獅子舞」振り付け・作曲の舞台裏
●地方独特の気質
例えば、地域特有の音階感覚みたいなものがあるんです。和音階とか琉球音階なんかが有名です。田楽座の感覚は「東北っぽい」とか「関西っぽい」とか、学術的というよりも経験知的なものですが。
今回の獅子舞のお囃子には、浜松周辺の祭礼囃子の独特な音階感覚を、笛が演奏しやすいように移調して取り入れてみました。
田楽座は50年にわたって祭り芸能を研究してきた蓄積があるので、作曲をするときもそういう郷土芸能的ノウハウを生かして創るわけです。
●「郷土芸能的ノウハウ」とは?
いろいろありますが、例えば変拍子の使い方。郷土芸能は変拍子を多用します。
獅子舞の振り付けは4拍子区切りの方が舞を覚えやすい。それに対してお囃子は、3拍子と5拍子のフレーズを組み合わせて8拍にして、4拍区切りの舞と帳尻を合わせる。3拍や5拍という奇数拍は、偶数拍を聞きなれた耳だと意表を突かれますので、短い曲でも聞いてて飽きないんです。
実際の郷土芸能の中にも、単純なフレーズの繰り返しなのに、人の耳の錯覚を巧みに利用して、変化に富んでいるように聞かせている、というものがけっこうあります。
●今回一番苦労したのは?
「郷土芸能的ノウハウ」は諸刃の剣で、上手に使わないと、ただ奇をてらっているだけの、現代人には覚えにくいものになってしまうこともあるんです。庶民のものであるはずの郷土芸能が、演じにくいものになってしまっては本末転倒です。
かといって覚えやすい簡単なものならいいか、というと、それだけでは「やりがい」がない。難易度とやりがいのバランスをとるのが、いちばんの苦労でした。
最後は、2015年10月号より
2015年の夏の講座で取り上げるまで、あまり講習をしてこなかったという、「太鼓ばやし」。太鼓のリズムは田楽座が、笛のメロディーは四日市青年合唱団の方が創ったという、特殊な背景を持つ太鼓ばやし。
この曲を通して、田楽座が思うオリジナル曲のこれからが綴られています。
●これまで講座をしてこなかったのは?
太鼓ばやしを、本家本元の田楽座にきちんと習いたい、というニーズはあったと思うんですが、皆さんが習いたいのは一般に広く普及しているバージョンで、座としては自分たちが作った形じゃないものを教えにくかったんですね。
最近になって「広く普及したものは、それはそれで愛され定着しているひとつの文化ではないか」と。普及しているバージョンの太鼓ばやしを、田楽座の公式見解にしてもいいのでは、と考えられるようになりました。
笛を作曲した四日市青年合唱団に、当時在籍していた方にお話を聞き、講座をしたいという話をしたら「もともと田楽座の曲ですから自分たちは何も…」と快諾していただきました。
●講座にあげるにあたって苦労したことは?
全国に普及してるといっても、打法や構成は各地域、各チームそれぞれですから、「何を田楽座流にするのか?」は議論がありました。あまり細かく決めすぎても、すでに普及しているものを否定することになりますし。
逆に決めなさすぎると、太鼓ばやしのアイデンティティがなくなってしまいます。「何が太鼓ばやしなの?」「太鼓ばやしらしさって何?」というのは、座内でもちょっともめましたね。表面的な衝突はないけど、自分がこうだと思っている打ち方は変えない、みたいな(笑)。
●「らしさ」ってどういうことでしょう?
どんな太鼓にも芸能にも、「その曲をその曲らしくしている何か」があるんですね。
過去からの伝統のない太鼓ばやしのような創作曲の場合は、「これが太鼓ばやしらしさです」と断定するのが難しい。でもやはり、なぜその曲が愛され演奏されているのか、他の曲には替えられない独自の魅力や利点は何なのか、と考えると見えてきます。
●曲が変化することをどうとらえていますか?
民俗芸能の魅力のひとつは、愛着を持って様々な世代に引き継がれ、磨かれた「結果の美」です。「こう変えたほうが面白い」という改革派と、「昔からの形がいちばんいい」という年寄りや保守派とのせめぎあいの中から、民俗芸能の魅力が搾り出されてきたのだと思います。
そういう視点を田楽座も学んできましたから、自分たちが創る曲も変化するものだし、むしろ変化するべきだ、と思っています。
●10年後、20年後の海のお囃子や山のお囃子は、いまとは違う?
そう思います。新曲を創作した際にも、依頼者の方に「いい曲に育ててください」とお渡ししてます。
いろんな方に演奏された結果、どんどんいい曲に育っていく。そういう曲は、きっとこの先何十年も演奏され続けていくと思います。