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イスラエル日記 8日目

この日はまず「神殿の丘」を見学しに行きました。ソロモンが神殿を建てた場所です。

神殿の再現模型が置かれていました。その神殿は何度も壊され、現在はイスラム教の「岩のドーム」(金色のドーム)が建てられています。当時の神殿は「岩のドーム」の3倍の大きさがあったそうです。すごい存在感だった事でしょう。
現在の神殿の丘の地図と、当時の神殿があった場所(黄色い四角)。
神殿の丘への通路。左側に嘆きの壁と広場が見下ろせます。
通路から見た嘆きの壁。奥が男性、手前が女性。

神殿の丘に着いた時から、ベッカ先生は小声で説明をしました。
現在はイスラム教の場所になっているので、おおっぴらにクリスチャンとしての説明や学びができないからです。

この下には貯水槽があるそうです。なんと2000年前にもすでに配水、貯水システムが整備されていたそうです。その水は神殿やいけにえの動物などを浄めるために使われたそうです。
階段の一番下、他と雰囲気が違う岩はなんと1世紀、Jesusの時代の石だそうです。神殿の丘の城壁に使われていたと考えられているそうです。
岩のドーム。中には大きな「聖なる岩」があって、ユダヤ教徒は「アブラハムがイサクを捧げた場所」、イスラム教徒は「預言者ムハンマドが昇天した場所」と考えているそうです。

イスラエルの民の聖なる神殿があった場所が壊され、こうしてイスラム教のシンボルが建てられているのを見て、悲しい気持ちになりました。

でもベッカが「私たちクリスチャンはこの神殿にこだわる必要がない。私たち一人ひとりが神様の宮、神殿だから。私たちは目に見えるものじゃなく、目に見えないものを大切にしている。」という話をしてくれ、とても励まされて嬉しくなりました。

あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。

コリント人への手紙 第一 3章16節

私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。

コリント人への手紙 第二 4章18節

その後、神殿の丘を離れて聖アンナ教会に向かいました。Jesusの時代にベテスダの池があった場所です。

旧市街を歩きます。
聖アンナ教会。

私たちの目的は教会というよりは、その裏にあるベテスダの池があったと考えられている場所です。
ヨハネの福音書にその池での有名なストーリーが書かれています。

2 さて、エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があって、五つの回廊がついていた。
3 その中に大ぜいの病人、盲人、足のなえた者、やせ衰えた者たちが伏せっていた。(異本)彼らは水の動くのを待っていた。
4 (異本)主の使いが時々この池に降りて来て、水を動かすのであるが、水が動かされたあとで最初に入った者は、どのような病気にかかっている者でもいやされたからである。
5 そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。
6 イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」
7 病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」
8 イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」
9 すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。

ヨハネの福音書 5章2-9節

もちろん、その場所に来られたことも感動だったんですが、僕は「5つの回廊」の意味、水がかき回されるという意味を聞いてとても感動しました。

その池は当時、いえけにえの羊を洗う場所でもあり、別名羊の池とも呼ばれていたそうです。聖書で「羊の門の近くにあった」というのも納得です。

当時この池は貯水池で二つに分けられていて、そして新しい水が供給された時など、水量の調節のために真ん中のゲートが開け閉めされていたそうです。

5つの回廊というのは、2つの池を囲む4辺と、真ん中のゲートの1辺、合わせて5つの通路があったからと考えられているそうです!(下の写真に図があります)
そして、ゲートが開け閉めされるたびに池の水はかき回される、それが聖書に書かれている意味だと考えられているそうです!

今まで理解不能だった聖書箇所が、1つの綺麗なストーリーに繋がってとても感動しました。もちろん、これは研究に基づく一つの仮説としての話ですが。

ゲートが開けば新鮮な水が入ってくる、その水に癒しの力があると考えられていたのも納得です。
実際、この場所はその後もギリシャ神話のアスクレーピオスという癒しの神が祭られていたそうです。

奥がベテスダの池の跡。テキストの左の図が当時の池の様子。5辺の回廊が確認できます。
ベテスダの池の跡地。当時はこの4倍、サッカー場くらいの大きさがあったそうです。
地下に残されていた貯水池。とても涼しかった。
聖アンナ教会には
「静かにしてください!歌を歌う以外は。」という面白い注意書きがあって、色んなグループの人が順番に歌を歌っていました。南アフリカから来たグループが歌った国歌は圧巻でした。


その後、エルサレム考古学公園に行きました。
神殿の丘のすぐ横にあって当時の跡を見学する事ができます。

エルサレム考古学公園
現在のエルサレムの模型がありました。
私はなんでか模型が大好きで、眺めているだけでワクワクします。
当時の遺跡が残されていました。
当時の神殿が壊されそのまま放置された石。

神殿の丘の南側に行くと、当時の階段が残されていました。
ここは一般の人が神殿に入るための入り口だったそうで、色々な国からの巡礼者たちがここに集まってきていました。
Jesusもここから神殿に入っていったと考えられています。

聖書で「イエスが宮で教えていた」と書かれているのはまさにこの場所だったと考えられています。階段の下の方はJesusの時代の石だそうです。この階段にJesusが座って教えていたかもと想像すると感動です。

神殿の丘の南側。
こんな面白いのがありました。穴から覗くと、当時の様子の絵が実際の階段に重なって見えます。
こんな感じ。
ミクバと呼ばれる、神殿に入る前に身を清めるための浴槽も残っていました。
こんな感じで身を清めたそう。水路を引いて水を供給していました。使われる水は、人の手が加えられていない自然に溜められたものという規定があったそうで、溜められっぱなし、つまり物理的にはあまり綺麗な水ではなかったそうです。

この日のフィールドスタディは午前で終わり、学校に戻って昼食を食べました。午後からは地図を使って、当時のイスラエルの主要な都市、主要な道路、地域の名前などを確認しました。

オレンジの線は当時の主要な道路。
赤線はJesusが十字架にかかる前にガリラヤからエルサレムに上った道。
地図上でしたがJesusが辿った道を知って感動しました。


この日は早めに終わったので、夕方以降、ゆったりと過ごす事ができました。
夕食後には、学生ラウンジでそこにいたクラスメイトたちと一緒にワーシップソングを歌いました。

素晴らしい時間を過ごせて感謝でした。

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