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なぜ24歳高卒トヨタ社員は会社を辞めて大学に進学したのか?
はじめに
初めまして!深月と申します!私のnoteを見つけていただきありがとうございます。
最初の投稿となるので拙い所もあるかと思いますが、暖かく見守っていただけると幸いです。
自己紹介
まずは私の自己紹介から初めたいと思います。
名前 :深月
年齢 :25歳
性別 :男
出身地:愛知県、三河
趣味 :スキー、サッカー観戦、etc…
こんな感じです笑。
これまでどんな人生を歩んできたか
本題に入る前にこれまで私がどんな人生を送ってきたかを話そうと思います。
幼少期
幼少期はサッカーや鬼ごっこに明け暮れる田舎によくいる子供でした。この頃の記憶は鮮明ではないですが、よく遊んでいたことだけは確かです。
小学校時代
小学校に上がってからは本を読むのにはまり、教室の隅の方でよく読書をしていました。そんな中、小学校4年生のとき自分の人生において重要な事が起こります。それは”イジメ”です。休み時間に大人しく本を読んでいた私はガキ大将から目を付けられいじめられるようになりました。この時の私は不登校にはならなかったものの学校に行くのが苦痛でたまりませんでした。この頃から私は人のことを心の底から信用することが出来なくなってしまいました。いじめは5年生が終わるまで続きましたが、何とか必死に通い続け卒業することになりました。
中学校時代
中学時代の私の3年間は人生で一番楽しかった時期と言っても差し支えない時期でした。色々な考えを持つ友人が沢山でき、勉強もとても楽しかった記憶があります。しかし、後から振り返れば深い人間関係を築くことをせず、表面上の関係を続けていたように思います。根底には小学校時代のトラウマがあったのだと思います。また、高校を決める進路において、私は今だに後悔し続ける最悪の決断を下します。当時は大学に行きたかったのですが、父に進学校に行けないなら手に職を付けろと言われ、私もそっちの方が良いだろうと思っていました。はぁ、ここで大学を目指す進路を選んでいれば…と思います。私が選んだ進路、それは「トヨタ工業学園」でした。
思い出したくもない高校時代
高校時代、いやトヨタ工業学園時代は私にとって人生最悪の期間でした。徹底した縦社会で先輩の言うことは絶対、従わないと何をされるか分からないという恐怖で毎日うなされました。また、同期との関係も最悪でした。まずもって学園では、リーダーシップや何事も全力で取り組むこと(何をしているかはYouTubeなどに乗っています。)が求められました。私はそういったことが苦手で周りから浮いてしまいました。また、部活動においても声がでかい奴らがイニシアチブを取っており私の居場所はどこにもありませんでした。さらにはそういった人間関係はいじめのような状態になり、私には何をしても何をしてもよいかのごとく、ここでは書けないようなことが続きました。さらに最悪だったのは全寮制であったことです。私は24時間どこにも居場所が無く、週末には逃げるように実家に帰っていました。しかし、それすらも周りから叩かれる原因になってしまいました。そういった環境もあり、過敏性腸症候群や希死念慮を持つようになり今だに苦しむ原因になっています。今だにこの頃の記憶が睡眠中に悪夢として出てきてうなされることがほぼ毎日です。
トヨタ社員時代
トヨタ工業学園を卒業すると卒業生は自動的にトヨタ自動車の各職場に配属されることになります。私が配属されたのはとある工場の組立部でした。学園在学中からお世話になっていた部署で私の社会人生活が始まりました。社会人時代の私を一言で表すと”無能”でした。作業を覚えるのはおそい、すぐに身体を痛める、そして無気力。配属されて1ヶ月もすると心も体もボロボロでした。配属以前から学園での出来事から何事にも気持ちが入らず、趣味すらも出来なくなっていた状態で何かあるたびに「死にたい」「辞めたい」を繰り返していました。そんな状態でしたが、周りを見ると尊敬できる方が沢山いて目をかけて下さった方も多くいました。職場先輩、学園卒の先輩、可愛がってくれたEXの方、そういった方たちのおかげで何とか会社員を続けていました。(結局6年間勤めました。)しかし、そんな状況の中で私は「この仕事を一生続けるのは無理だ」と考えるようになりました。
これからの人生どうしよう?そして大学へ
ここまで長々と私の人生を辿ってきましたが、ここからが本題です。トヨタに勤める中で、「辞めたいけどこのまま辞めても転職先ないし…、自分のやりたいことって何だろう?」とよく考えることが増えていきました。そんな中、トヨタに努めて4年が過ぎた頃でした。「そういえば、中学時代に大学行きたいって思ってたな…」と思ったことがきっかけでした。そこから私が出した結論は「そうだ!大学に行こう」でした。そこからは社会人から大学生になる為にはどんなルートがあるのかを調べたり、キズキ共育塾という社会人や不登校の子供を受け入れてくださる塾を探して申し込み勉強したり、会社から帰ってから自分で勉強したり…、社会人になってからこんなにも何かに一生懸命になったのは初めての経験でした。そうしているうちに一つの大学のコースが目に入りました。「富山大学・工学部・知能情報工学コース」これが今、私が在学中の大学との出会いでした。何で工学部に興味を持ったのかというと、世の中に溢れている物はすべてエンジニアが造り出したものなのだから、自分もそれを学んでみたいというのが理由です。また、情報系にした理由は不甲斐ないことに入試難度が低かったからという理由です。なぜ入試難度が低いのかというと、富山大学工学部では社会人特別入試といってある程度の社会人経験を持つ人に対して、小論文と面接のみの軽量化された入試を受けることの出来る枠があり、その中でも知能情報工学コースは小論文と面接が1:1の割合で他のコースに比べて低く難度が低いからです。(他のコースは面接の割合が高い)そんな中、塾で数学や小論文の勉強をして、会社から帰っても勉強してという感じで、合格に向けて努力を続けました。そして11月の入試当日、私は自分でもやれるだけのことはやったといえる手ごたえを持って大学を後にしました。そこからは約1か月後、12月の半ばの合格発表の日、私は社員食堂で昼食を取りながらスマホで合格発表のサイトを開きました。そこには私の受験番号のみが張り出されていました。「やったー!」思わず口に出しそうなくらいうれしかったのを覚えています。そこからは両親にも大学に挑戦したいことを伝え、応援して貰えることになったり、上司に退職の意思を伝えたりとバタバタと年を越し、一月末から3月末まで有休を消化し、私のトヨタ社員人生幕を閉じました。そして4月から晴れて富山大学の学生としての生活が始まりました。
実際大学に行ってみてどうだった?
今この文章を書いている段階で、私が大学に来てから約一年が経過している訳ですが、大学に来てから今までのことを振り返ると「大学に来て良かった!」という気持ちと「大学に来たのは正解だったんだろうか?」という二つの気持ちが素直な気持ちです。大学に来て良かった事は、多くの友人が出来た事、様々な教授や学生と関わることで視野を広げることができたことが挙げられます。大学に来てから、とにかく色々な人と関わることを大切にしてきました。そういったことで様々なことを学べたのは大学に来て良かったと思います。うまくいっていない事は、想定以上に勉強についていけないということと、将来の不安に押しつぶされそうなことです。私が理系ということもあり、講義の内容はとても難しく、また、私が入学前に勉強したとはいえ、一般入試を乗り越えた人たちと比べるとやはり学力の差があり、ついていくのが難しい事が多くありました。また、卒業出来なかった場合、普通の大学生と違い若さという武器がない為、路頭に迷うことになりかねないというプレッシャーを毎日抱えています。また、卒業できたとしてもうまく就活できるのかの不安も抱えています。現状、後期の単位はまだ発表されていませんが、正直落としている単位はいくつかあると思います。ただ、これに関しては勉強しに大学に来たので死ぬ気で勉強して、来年は取れるように頑張りたいと思っていて悲観だけしている訳ではありません。(こういうマインドは大学に来てから成長した部分かも)大学に来たのは正解だったんだろうかと思うのはこういう面があるからですが、「正解だった」と言えるように頑張っていきたいと思います。
最後に、3年後の自分へ
3年後の私へ、無事に大学を卒業できているでしょうか?留年しているかもしれませんね。最悪、退学もあるかと思います。もしかしたらこの世にいないかもしれません。今ここで文章を書いている私が覚悟を持って大学生活を送れるかどうかで、あなたの立ち位置は変わっていると思います。どんな形であれ、後悔なく全力で取り組めましたか?たまにあなたは「死にたい」と思うだろうけど、死なずにこの文章を読めていますか?とりあえず、死なずにいてくれれば嬉しいです。今の私は「生きてるだけで丸儲け」だと思って一生懸命に頑張ります。どうか3年後の私が笑顔でこの文章を読めますように…。