これまでの振り返りとマンドローネについて

マンドローネ石川氏(芸名みたいになってしまった)のアドベントカレンダーのための記事になります。

↑これです


マンドローネについて高尚なことは申し上げられないので、今回は自分のマンドリンオーケストラ生活とマンドローネを可能な限り結びつけて見たいと思います。

①甲南大学とマンドローネ

中々にやる気が出なかった大学受験を終え、無難に甲南大学に入学しましたが、どのサークルに入ろうかとかそういったことは何も決めてなかったある日(入学2日目)のこと。
後ろから声をかけられたのが、ナンパ師…ではなくマンドリンギタークラブの先輩でした。

なんやかんやあって入部を決めたわけですが、マンドリンってなんやねんってところからスタートしています。当然マンドローネなんか知る筈もなく、、
ただ、(記憶上)マンドローネとの出会いは意外にも早くに訪れました。

春のポップスコンサートのお手伝いで参加した時のこと、なんか練習見学の時にはなかった知らない大きな楽器があったような気がしました。(記憶が曖昧なので全て憶測で語っています)

その時は名前も知らず、君の名は 状態でしたが、後にアレがマンドローネだったということに気づきます。

甲南とマンドローネですが、甲南のクラブ所有楽器の中にはマンドローネはありません。しかし、昔のビデオを見るとマンドローネが舞台に乗ってるのが確認されました。(松本先生の楽器でしょうかね。その辺は聞いたことあるような気がしましたが忘れました)
私の知る範囲としては、大体入部する辺りまでは賛助出演を1~2人くらいにお願いして出て頂いてました。その時は大体SMDの卒業生の方が参加されていました。石川氏も参加したことがあるとの事です。(32回定演とか)

そんな私ですが、2回生から指揮者となりました。ただ、マンドローネは結局卒業までお目にかかることはありませんでした。。

②社会人復帰、マンドローネとの再会

卒業後しばらくはマンドリンオーケストラから離れていましたが、2018年の甲南のポップスコンサートにて当時の現役ギターパートが失踪したため、急遽賛助出演することとなり、そこからぬるっと復帰しました。

結局2年間、3回の演奏会に賛助出演することとなった訳ですが、徐々にモチベーションを取り戻しつつあった中で参加を決めたブレーメン音楽団の合宿にてマンドローネとの再会を果たします。(石川氏とのはじめましてはここです)

この演奏会はコロナで中止となってしまいましたが、一応録音として残したということで、初共演がこの年でした。

この時の録音で石川氏と隣だったのですが、覚えてるのが

「隣クソうるせぇ…」(褒め言葉)

…ですね笑

コロナ禍ではまたしばらくマンドリンから離れていましたが、2021年5月末、突然DMが送られてきて、これまた急に絃楽合奏団B-oneに指揮者として入団することになりました。

B-oneは現役時代に石村先生から話を何度か聞いていて、勝手にヤバい団と思ってました。(内容は自主規制)

蓋を開けたらただの酒飲み合奏団だったわけてすが…笑

そこでも石川氏がいました(メインの団の1つなので当たり前ですが)この頃はちょっと久々だったので、覚えてたんですが、なんとも中途半端な反応でした笑

最初はマンドローネの扱いなんてよく分からなかったでしたよね。いや、今でもよく分からないんですけど…
コントラバスもあまり多くは分かってないので、マンドローネも同様に指示出すの難しいなぁと思ってました。今でも思っています。

この前の演奏会の映像載せておきますね(唐突)
この団、全体で30人くらいなのにマンドローネが常設で2本あるんですよねぇ…

③ローネ・ベースサミットに参加して

この前久しぶりの開催となったサミットですが、前回サミットのLINEに何故か入ってたんですよね。(招待したのはカントー地方に旅立ったフッ軽ベーシスト)
今回初めて参加させてもらい、幸運なことにサロットの宮崎社長(B-oneに入団後、お店に伺うことがあり、その後良くさせて頂いています)とベーシストの内山氏と同グループで、コントラバスとマンドローネの両側面から色んな話を聞くことが出来ました。

これで全て理解出来たという訳ではありませんが、マンドローネに少し歩み寄れたような気がしました。

性癖写真のひとつ(ヴィナッチャ花畑)
この日集まったマンドローネ

④最後に

復帰してからマンドローネとの関わりが濃くなりましたが、演奏者はマンドローネに誇りを持ってらっしゃるということが痛いほどわかりました。笑

何かに一生懸命になれるって、、いいですよね、、

ということで、おしまい。

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