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「ミルコ・クロコップvs美濃輪育久」の煽りVについて

今朝、私は「ミルコ・クロコップvs美濃輪育久」の煽りVを観て、泣いてしまった。
これにはさまざまな要因がある。
当時PRIDEを観ていた懐かしさ。その頃の自分。また、プロレスラーが総合格闘家として戦わなければならない/戦うことを選んだ、意義。


動画はわずか3分20秒。
2006年5月5日に開催された、「PRIDE無差別級グランプリ」一回戦のカードである。

ミルコ・クロコップは1974年生まれ。クロアチアで内戦のさなかに育ち、キックボクシングの才能を開花させ、日本ではK-1選手として脚光を浴びる。
その後PRIDEに参戦して総合格闘家に転向。強烈な打撃とくに左ハイキックを武器に、「最強の外敵」から「戦慄のターミネーター」へと、PRIDEヘビー級を代表するトップファイターとなっていた。

対する美濃輪は1976年生まれ。パンクラスで入団テストを受けるも、身長が足りないことを含め一度は不合格。
その後誠ジムで活躍を経てプロレスラーとしてデビュー後、卓越した足関節の技術をいかしPRIDE武士道で活躍。
その後PRIDEの第一試合で魅せる人気選手だ。

私は彼らの試合を、小中学生の頃に観ていた。そうでなければ、感動していない。

冒頭、それは立木文彦のナレーションによる、美濃輪の中学の卒業論文の引用からはじまる。この際だから、すべて引用させてもらうことにする。

それは15年前
卒業文集に書いた、夢
美濃輪育久

僕は小学校の頃からゼンソクがよく出て、
学校をよく休んだ
ゼンソクが出ると薬を飲んで、
それでも治らなかったら、すぐに病院に行った
プロレスを観たのは、小学校4年生の時だった
プロレスラーは身体がでかくて、腕や脚もすごく太くて、自分と比べたら、全然違っていた

進路を決める時がきた
母親に相談したら、「自分のやりたいことをやりなさい。でも、繊維関係の仕事は、ゼンソクが出るからやめなさい」と言われた
だから、僕はこう言った

ここで、この、VTRを彩っているBGM、Fantastic Plastic Machine「don't you know」が止まる。

「プロレスラーになりたい」

母は笑っていた。
学校の先生には、「お前の体格では絶対無理やぞ」と言われた。
それは分かっていた。
でも、将来は?


強い印象を受けるのは、両選手の母親の温かい愛情である。
もはや母親同士が主役なのではないかとすら思わせられる内容になっている。
ゼンソクだった美濃輪少年が抱いた夢は、テレビで観たプロレスラー。大きくて太い頑丈な身体。
戦う男の強さ。
学校の担任に「お前の体格では絶対無理やぞ」と言われるほどの夢であるが、母親はそれを聞いて、「笑っていた」
否定しない。自分の息子を否定するわけないことは、世の中の母親をやっている人間からすれば当然なのかもしれない。
自分も、これまでの自分の母親の言動に思いを巡らせれば、ピンとくるものがある。
全ての母親がそうとも限らない。
だから自分が心ならずも母親への感謝に思いを馳せてしまうのも、感動の一つのポイントだろうか。
また、先生に絶対無理やぞと言われた直後、試合終わりに「諦めんなよ!」と叫ぶ美濃輪の映像が挟まれる。

場面変わってミルコ・クロコップ。
クロアチアの実家が映し出され、亡き父と誓った「世界一」の夢が述べられる。
ミルコの母親が映像付きで登場する。

時々ミルコにこんな事を言うのよ。これを言うとミルコに怒られちゃうんだけど…。
「神様もあなたの願い事ばかり叶えていられないのよ」って

唐突に神様が登場することで、日本の文化圏とは異なる異国の宗教観の人間であることが、間接的に実感できる。しかしその距離感は心地の良いものだ。

母親の言うとおりだった。
事実この前の年、当時ヘビー級王座として「60億分の1の男」と呼ばれたロシア出身のエメリヤーエンコ・ヒョードルとのタイトルマッチに、ミルコは判定負けで敗れている。
血の滲む努力のすえ、世界一の夢は叶えられなかった。

2人の母親の登場とともに、この映像でもっとも象徴的なのは、飛行機の映像の対比である。

美濃輪はビーチで突如、離陸したばかりの飛行機を追いかける。
これは過去に撮られた映像で、美濃輪の天然、不思議キャラの演出に使われたものだ。
そもそも、この映像全編にわたって、過去の煽りぶいが切り抜いて転用されている。
このVのために新たに撮り直した箇所はなさそうだ。そう考えると、選手ではなく、これを作成した佐藤大輔というディレクターのまぎれもない作品となるわけだ。
離陸した飛行機は、夢をまっすぐに追う美濃輪の姿のメタファーとして用いられている。

それに対して、日本のPRIDEのリングでヒョードルに敗れたミルコは、クロアチアへの帰りの飛行機で悩む(ということになっている)

一瞬間だけ、下降する飛行機の映像が挿入される。これは夢破れたミルコの心象風景のメタファーである。

その他細かく挿入される映像には、過去の両者の活躍、その光と影が示される。
夢を叶え、プロレスラーとしてMMAのリングにあがる美濃輪の姿。
公称230cmの大巨人、ジャイアントシルバにたいして前転からのタックルを試みる、およそmmaとしてはありえない体重差での試合は、まさに「リアルプロレス」だ。
またミルコがこれまで沈めてきたイゴール・ボブチャンチンやエメリヤーエンコ・アレキサンダーへの鮮烈な左ハイ。

良い部分だけではない。
ヴァンダレイにボコボコにされる美濃輪、ケビン・ランデルマンに番狂わせの失神KOさせられるミルコ。
終了のゴングは非情に響く。
「俺はプロレスラーだ!」と叫ぶ美濃輪。かつてのハイアン・グレイシー戦のVTRだ。
プロレスラーだと叫びながら総合格闘技の試合をするということ。最後に表示される二人のバックボーンもいい。美濃輪は「プロレス」、ミルコは「キックボクシング」

立木文彦はこうナレーションする。

人生には、いろんなことがあった
本当に、いろんなことがあった
いろんな夢を諦めて、人は大人になるのだろうか
5月5日

ここで涙腺崩壊。
字幕では常に示されているが、この試合は5月5日、こどもの日に行われる。
プロレスラーになること、世界一になることは、両選手がこどもの頃に抱き、誓った夢なのだ。
いま、それを叶えようとするのがこの舞台である。PRIDE無差別級グランプリの舞台である。
夢を叶える戦いがこれからはじまるのである。
つまり、「いろんな夢を諦めて、人は大人になるのだろうか」という疑問形は、反語だということだ。
○○だろうか、いや、そうではない。

諦めていない。まだまだこれからやる。
この決意は、そのまま自分に跳ね返ってくる。
私は小学校の頃にPRIDEを観ていた。美濃輪がミノワマンになって、DREAMで「スーパーハルクトーナメント」を優勝したのは中2の時だ。
ボブ・サップ、チェ・ホンマンなど、圧倒的な体格差の相手を足関節で一本勝ち、決勝ではソクジュをKOした。
総合格闘技の舞台で、プロレスのようにドラマチックな試合を成し遂げた。

アントニオ猪木がプロレスこそ最強の格闘技だと表明してから、長い歴史の変遷、佐山聡のシューティングやUWF,、高田延彦VSヒクソン・グレイシー、そして桜庭和志の活躍と、「プロレスラー」が顔面を殴り合うバーリトゥードを行うに至る、歴史を想う。
子供のころは、厭な奴、嫌いな奴はぶん殴ればいいと思っていて、その気持を彼らにたくしてみていた。彼らがぶん殴る行為は、世界を破滅させる衝動と結びついて、快感だった。
しかし今振り返ってみると、同じ団体で苦楽をともにした仕事仲間と殴り合いをするというのは、いったいどういう現実のさだめだというのだろう?

立木のナレーションでは、一貫して「真剣勝負」と語られる。
田村潔司が師である高田に言った「ぼくと真剣勝負してください!」の名言からか。
しかし子供のころは歴史は知らなかった。ただそこで展開される戦いそのものに魅了されていた。理屈などなかった。

ミノワマンを応援していた。私はプロレスラーになりたいと思ったことはないが、私ならに夢を抱いて生きていたはずだ。
大人になった今、社会人となったいま、それを叶えているかと言われれば、そうとは言えない。
いろんなことを諦めて大人になった。
しかし腐って生きているわけではない。
悲しみ、喜び、さまざまにまじりあって日々を送っているわけだ。
普段はそんなことすら意識することがないほど、すさまじい速さで日々は過ぎていく。
辛いこともないわけではない。
そんな中で、「いろんなことを諦めて大人になるのだろうか」という問いかけを投げかけられると、まだまだ、と思う。
やってやるぞと思う。
何がどうと言う具体的なことではない。

それは失ったあの頃の夢を抱く、純真な気持を思い出すということだ。

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