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僕の彼女は地底人

昔埋めたタイムカプセルを掘りおこそうとしたとき、確かにここに埋めたはずなのに、スコップでどれだけ掘っても出てこない、なんてことがある。
僕はため息をついて、スコップを車の荷台に乗せ、家に帰った。
部屋を開けると、彼女が台所で料理をしていた。
「ただいま。シチューのいい匂いがしてるね」「おかえりなさい。タイムカプセル見つかった?」
僕は首を振った。
「おかしいなあ。確かに、あの公園の大きな木の下に埋めたはずなのに」
「あの公園?」
「そう。先月、美術館に行った帰りに通っただろ。あそこだよ。ずっと昔のことだから、間違って覚えてるのかな」
「そうか。見つからなかったんだ」と彼女は残念そうにいった。
コートを脱いだ後、彼女のそばに寄っていくと、彼女は黙っておたまでシチューをすくい、僕の口元に持ってきた。
「熱っ、うんおいしい」
「でしょ。すぐご飯にするから、手洗って待ってて」
僕は言われた通り、手を洗い、リビングに腰かけ、机の上のルービックキューブを解きながら待っていた。
一面を揃えた頃に、彼女がお盆に料理を載せてやってきた。
「もしかしたら地底人の仕業じゃないかな」
と彼女はいった。
「地底人?」
「わたしが地底人なの、君に話してなかったっけ?」と彼女はいった。
「何をいってるんだ?」
「そうか、それだったらしょうがないね。実はわたしは地底人なんだよ」
「続けて」
「つまり、土の奥で暮らしていたんだ」
「土の奥って、どういうことだよ。人間が入り込める空間なんてないじゃないか」
「ありさんの巣を想像してくれたら分かるよ。ありさんは普段、エサをとるために地上を歩いてるでしょ。でも巣は土の中にある。地底人も、ああいう通路を使ってるんだ」
「そうか。でも食料はどうしてるのさ?」
「それは、土に埋まってる大根とか、あとはじゃがいもなんかを食べるんだよ。がぶがぶ」
「じゃあなんで君は今地上にいるのさ? 地底に帰らなくてもいいの」
「地底にはね、学校があるんですよ。そこで優秀な生徒は、地上に行くことを許される。ほら、明治時代に、夏目漱石がイギリスに留学して、当時の西洋の文化を吸収したりしたでしょ。わたしもいってみれば、そういう立場なの」
「つまり君は地底では優秀だったんだね」
「うん。首席だよ」
「でもどうやって勉強するのさ。地底には教科書なんてないだろ」
「いい質問だね。そう、ないんだよ。でもね、地上の人は時々、タイムカプセルを埋めるんだよ。君みたいにね。するとね、地底人はそれを開けさせてもらって、中に入ってる漫画とか、教科書とか、ちょっとエッチな本とかを読んで、言葉を勉強するんだ」
僕はまったく驚いてしまった。辻褄があっている。
「だから君も、タイムカプセルが見つからなかったのは、地底人の仕業なんだけど、そこは地底人の勉強のためだと思って、悲しまないでほしいな」
「なるほど。君のいってることは、よく分かった。でもさ、それだったら、君はいつか地底に帰ってしまうのかな。漱石だって、日本に帰って小説を書いたわけだろ。僕は君にいなくなって欲しくないな。初めて会った時から、君は優しくて、綺麗で、なんていうか、僕の心をあたたかくさせてくれたから」
すると彼女は僕をぎゅっと抱きしめたのだ。
「大丈夫、わたしはずっとここにいるよ。だって君のこと、好きだもん」
それまで、僕は、なんていうか、すぐそこに人がいるということを、当たり前だと思っていた。生まれた時から、お母さんとかお父さんとか、学校の先生とかクラスの友達とか、人間がたくさんいて、それぞれに好きなところと嫌いなところがあったりしたけど、そんなことは、考えるまでもないことだった。
でも、大好きな彼女が、本当は遠い地面の底の、地底からやってきたのだということを考えたら、今こうして、しあわせな気持ちで、ご飯を食べれていることが、奇蹟なんじゃないかと思った。
このシチューの温かさが、僕の心のあたたかさになって、生きていること、ただちゃんと生きていることを、祝福してくれているような気がする。
「そういえば君の作る料理には、いつもじゃがいもが入っているね」
と僕はいってみた。
「うん。こっちで食べるじゃがいもはすごく美味しいの。地底ではいつも丸かじりだったから」
そういって彼女は笑った。
手に入れようと思って出かけていって、それが見つからなくて家に帰ってきたとしても、その代わりに思いもよらなかったものが手に入ってしまうことだってあるのだ。
彼女の笑顔は、僕にそう教えてくれた。

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