マイフェイバリット導入
何事にも導入というものがある。
一定の筋書きを持った表現であれば、必ずそこには入口がある。小説、論文、web記事、エッセイ、漫画、映画、ゲーム、お笑いなどなど。
本当に最初の「書き出し」や「冒頭のワンカット」ではなくても、何か特定の話題に入る前のちょっとした口上も立派な「導入」だ。
で、その導入にも好みがあるよね。という話。
先日「匿名ラジオ」の過去回を聞き漁っていると、#248「チャット」でこんな一場面があった。
エイプリルフールに託けて、チャット形式でラジオをしてみようというARuFaさんの提案。当然「ラジオではないだろ」と恐山さんから突っ込みが入る。それに対し、
「でもほら……」
「虹がかかったし、良くない?」
「虹だ!!!!!!!!
虹がかかったならまあ良いか。」
これで平然と話が通っていく。初めてこのやりとりを見た時、すごく「いいなあ」と思った。うまく説明できないけど、何だかすごくいいと思った。
「ああ、大丈夫よ タービンが回るわ」「タービン回ってるなら大丈夫か」
に近い心地よさがある。
こういう、ツッコミどころをふんわり包んで空に放ってしまって、それを両者が暗黙の了解で見て見ぬふりをする流れが好きなのかもしれない。「え?なに?どういうこと?」と伸ばしかけた手を下ろしてしまうシュールさ。そう、シュールな導入がたぶん好きなのだ。
タービンついでに平沢進の作品を例に挙げてみよう。
氏がソロ名義でアルバムを発表するたびに開催している、「インタラクティブ・ライブ」という特殊な形式の公演がある。
この公演は当該アルバムの世界観に基づいたストーリーがあり、会場の観客や在宅オーディエンスからのアクションによってルートが分岐する。それに従って曲目やエンディングも変化するというものだ。
中でも、2009年に行われた『LIVE 点呼する惑星』は特に好きでよく見ている。その中からいくつかのシーンを紹介したい。
まずは冒頭のシーン。
もう既に最高であることがわかる。この世のすべての創作物の導入これでいい。いや、いっそ人生の導入がこれでもいい。母の胎から顔を出す直前に見るプロローグをこれにしてほしい。
続いて、『点呼する惑星』のストーリー全体に関わる重要なオブジェクト「トゥジャリット」についての導入。
最高。
ファンタジー世界に出てくるワケのわからん形と名前のデカめの物体についての説明、全部これでいい。
この後、作中で「トゥジャリット」とは結局なんなのか、具体的にどういうものなのかなど詳細な説明は特になされない。「なんか回して壊せばいい」ということだけ、何となくわかればいい。
一応、トゥジャリットとは背景にある白い物体のこと。これをハイムン人が適切に回転させて各階段の頂点にあるケージを破壊し、無防備になったAAROMを粉砕し、最終的にトゥジャリット自体を崩壊させることがこのインタラの最終目標だ。何言ってんのかって?ヒラサワに聞いてくれ。
文字ものの導入で言うと、思い出しやすいのはやはり小説の書き出しだろうか。世にある小説と同じ数だけ、小説の書き出しがある(当然)。その中でも、早押しクイズの問題にもなったりするような「特徴的な書き出し」というのが少なからずある。
中でも「シュールさ」に焦点を当てると、フランツ・カフカの『変身』は秀逸だ。
最初の1行に必要な情報が全部入っている。ニコニコ動画だったら「!?」「はえーよホセ」「最初からクライマックス」などのコメントで埋め尽くされていることだろう。一般常識が通用しない、まさにシュールレアリスムの世界であることが一発でわかる名書き出しだ。
そういう感じで、「よくわからない概念を、よくわからないまま押し通してくる導入」が好きだ、という話。導入に限らず物語全体がそういう感じだと尚嬉しい。微妙に何もよく分からない、けどどうにか食らいついていきたい。そう思って必死に筋書きを追いかけてる時にしか刺激されない脳の箇所がある。
よくわからん概念が脳みそのよくわからん所を通り抜けていく、その時にしか味わえない楽しさがある。
そういう「シュールな導入」の話があれば教えてください。
おしまい