【倫理学概論B】
上記授業に対する自分のコメントより一部抜粋。
2023年5月6日 第3回
この授業はコメント拾いと返答も含めてラジオのように楽しめるので好きです。私は「私のもの」という感覚を「私とモノ」の関係だけで考えていたのですが、「私と他者」の関係で所有の概念を考えるというのが目から鱗でした。しかし思い返すと、メンタルの底にいる時に「どんなに自分が辛くても、今死んだら家族に迷惑がかかるから」と考えて踏みとどまることが多かったので、これも自分の命を他者との関係のなかで考えていたということになるのでしょうか。具体的な物ならまだしも、命や体、財産に関してはそれを軸に考えたほうが迷いがなくなりそうです。整形やピアスやタトゥーといった身体改造への批判として「親からもらった体なんだから大切にしなさい」というような言い方があります。私もピアスを左右の耳に4つずつ開け常に髪は2回以上脱色して染めている者として、そうした批判に対しては「うるせえ」という気持ちしかなかったのですが、「自分の身体を所有する」ということの意味を突き詰めていくと、あながち的外れでもないのかもしれません。やめるつもりはありませんが。
話は全く変わるのですが、先生は「寛容」と「無関心」の境目はどこにあると思いますか?私はそれがよくわからなくなります。多様性の尊重が叫ばれる昨今で、様々な国籍や性別や家庭環境や障害や各種疾患について知って、当事者の話を聞いて「そういう人もいるよね」と受け止めたつもりになっても、理解して受け入れられたのか、ただ自分がそれに興味が無いから「別にいいんじゃない」くらいで止まっているだけなのか、自分でわからなくなるのです。
歩み寄りの有無なのかな、とも思うのですが、こちらから変に距離を詰めない方がいいケースもあるため難しいです。
(721)
2023年5月13日
「寛容」と「無関心」の違いについて質問した者です。
今回の講義を聞いて、その違いとはつまり「お互いにリスクを伴うことを挟んで相対した時、そのリスクを認識しているか」そして「その上で相手を許すか」という所にあるのかなと思いました。自分も被害を被りかねないにも関わらず、そのリスクを見て見ぬふりをするのが無関心であると。万引きをそのまま見逃すのが無関心、事情を聞いた上で許すまたは罰を軽くすることが寛容であるなど、具体的なイメージがしやすい話を聞くと思考が深まりました。
そして「リスクを見て見ぬふりをすることができる」のは往々にしてマジョリティ側なのかもしれない、とも考えました。要は「無視できるくらいリスクが少ない」。性自認と身体的性別が一致しているヘテロセクシャルの人々は、既にそれを前提とした社会制度の中に生きているから、性的マイノリティの人々が生きていく上でのリスクなど考えなくていい。身体的障害がない人は、それによって行動を制限される人が同じ空間にいても、特段リスクを負わなくていい。相手の存在自体をリスクとみなす、あるいは勝手にリスクを想定する(「性的マイノリティには生産性がない」「従来の家族制度が壊れる」「健常者の自由が奪われる」云々)などして排除しようとすることは勿論望ましくありません。しかし、その問題と対峙して解決するまでもなく自分は生きていけるという意識の元、何かに対して無関心でいられるというのはある意味特権であり、そこに胡坐をかくこともまた考え直すべき態度なのかもしれません。私は無関心が悪いことであるとは思っておらず、それも自身のトラウマやパーソナリティの根幹に関わる考えだったのですが、この点についてもそろそろ考え直した方がいいのかもしれないと思いました。(741)
「他にもっと道はないだろうか」。
考え続けることってコスパ悪い。自殺は悪いことだ。いや本人が望むなら仕方ないことだ。安楽死は肯定されるべきだ。臓器移植は別に悪いことではない。そう言いきれたら楽なのに、思ったより現実は複雑なのだ。それにいちいち相対していかなければならない。ダルい。
2023年6月3日
格率という言葉自体は知っていましたが、よくわかっていませんでした。「主観的原理」という言い換えがとてもわかりやすく、「ポリシー」とか「思想」とか言うよりも的を射ているなと感じました。私はたまに「全人類が私みたいな奴だったら絶対すぐ世界滅亡するから、色んな人がいてくれてありがたいな~」と思うことがあります。また他の人についても、「よくできた人だ」と思う推しなどに思いを馳せる時、「全ての人がこの人みたいな人格だったらいいのに」と考えることもあります。さほど深い意味はなく、みんなこれくらいの視野の広さとユーモアがあったらいいのにな~という程度の思考回路だったのですが、考え直す必要がありそうだと感じました。「自分のルール」の適用範囲を広げていった時、それが本当に望ましい世界なのか?というのは今まで自分の中になかった視点で面白いです。定式について、3つ目以外は本質的に同じことを強弱を変えながら表しているのかなと感じました。まだほとんど飲み込めていないので、来週のグループワークでまた他の人と話してみたいです。(455)
(終)