見出し画像

【ティーンエイジ】オーストラリア留学の苦悩と"グローバルコミュ力”



▪️「ママ、留学っていいことばかりじゃないんだね。」にえっ??

何とか住まいも落ち着き、学校生活にもすっかり慣れてきたのはメルボルンに来て3ヶ月めくらいだったでしょうか。特に長男に関しては元々要領がよく社交的な性格もあったので早速家に仲良くなったお友達を招待し始めました。

「ママ、今日友達呼んでるから何か日本食作ってよ。夕食も一緒にするから。」

と、何とも嬉しい?リクエストをくれました。

とういのも、ハワイにいた時は週末になるとよくローカルの友達をうちに招いては手料理の日本食を振る舞い(と言っても唐揚げや味噌汁、揚げ出しトーフと言ったごく普通の家庭料理ですが)お泊まりをするというのが恒例で、バンコクの時も又同様にタイ、ドイツ、イスラエル etc、、と言ったいろんな国のお友達が我が家にお泊まりをしにきていました。

決して大した料理ではないのですが、やはり世界では人気の日本食。
皆喜んで食べにきてくれ、又そういう機会を持つことで私自身も子供たちの友達と拙い英語ながらも交流をもつ事ができ、彼らを知ることができたので、私も結構それを楽しんでいました。

子供達に人気だったコーンの天ぷらとハワイアンアヒポケ

そして、そうやって我が家で楽しんでくれたお友達たちも、必ずと言っていいほど次は自分のお家に招待してくれましたので、そのご家族と一緒に過ごす時間を持つことでその国の文化や家族の在り方、考え方などを体験することができました。

ここ、オーストラリアでも又子供たちがそれを楽しみ出したので、

「おっ、いい感じに始まった!」

と、少しワクワクしながらIKEAでゲスト用のマットレスやブランケットなどを買い揃えたり、夕食は何を作ろうかとメニューを考えたりしていました。

遊びに来てくれた学校でもリーダー格という、息子より少し大人っぽく見えるお友達に

「転校してきたばかりの、〇〇(長男)と友達になってくれて有難うね」

と何気に言ったことがありました。すると彼は、

「いや、彼はとってもクールガイなんだよ。最初は日本人だから英語話せないんだろうって思ってたけど、耳にピアスをしていたから、こいつちょっと不良? 笑 と思って少し話してみたら、英語普通に話せたんだよ。びっくりしたよ。何で英語話せるのって聞いたらハワイとかバンコクとかの学校行ってたっていうしね、Oh, クールじゃないか!って思ってね。話すと面白いし優しいし。」

とまあ、ベタ褒めしてくれ親としては何とも嬉しい、我が息子ながらこの新天地でもいいスタートを切ってくれていると満足感でいっぱいでした。

色々葛藤はあったけど、そんな風に自分の生きてきた過程を新しい場所で友達に肯定されることは本人もきっと嬉しかったのではなかったでしょうか。

とここまでは良い感じのストーリーなのですが、そんないいスタートを切ったと思える長男が放った

「ママ、留学っていいことばかりじゃないんだね、、」

の一言は私には衝撃的でした。

▪️オーストラリアで留学生いじめ?!

次男も兄に続けと近所に住んでいる同じ学校の子と仲良くなり、こちらもお家に招いたり、なかなかいいスタートを切っているように思いました。

しかし、次男はその後間もなくして毎日学校から帰ってきても、暗い様子で学校の話はしたがらず、最初にお友達が2度ほど来た以降、家に友達を招いたりすることもなく、すっかり笑顔を見せなくなりました。

家に帰ってもオンラインでバンコクやハワイの友達と遊ぶだけで、オーストラリアの友達と交流をとっている様子はありません。

本人に、学校で何かあったの?学校楽しくやってる?お友達いるの?

と聞いても 「いるよ、大丈夫。」

としか言いません。でも、ある日二人で買い物に出かけた時にもあまりにも暗くて人生どん底?のような顔をしていたので、私はちょっとキレ気味に

「一体、何?何が気に入らないの?どうしたの?学校で何かあるの?」
と強めに聞いてしまいました。(反省)

すると彼は急に泣きだし、

「学校のクラスは最悪だよ、、」と。

まさかの、まさかの事態でした。

「えっ、最悪ってどういう事?何でそんな事早く言わないの!」
と更に強い口調で言ってしまいました。(更に反省、、)

「この前まで、家に連れてきたお友達と楽しく遊んでたじゃない!共通のお友達も何人かいるって言ってたじゃない!何があったの?」とこれまた強い口調で言ってしまってました。(ますます反省・・・)

私は心の中の動揺をそのまま子供に露出してしまっていたのです。
今思えば親として一番最悪の対応だったと思います。(そして猛省。。。)

更に泣き続ける次男に困り果てた私は、

「とにかく、話して。話さないとわからないよ。一緒に解決するから。」
と言い、少し落ち着いてから学校で起こっていることを話してくれました。

彼のクラスでは「留学生いじめがある」というのです。
どのクラスでも多少はあるようですが、たまたま入った彼のクラスではその習性が強く、留学生に意地悪をする雰囲気が出来上がっているクラスだったというのです。転校してすぐ、ある留学生に

「最悪のクラスに入っちゃったね、、」

と言われたと言います。いじめのターゲットは

  • アジアン

  • 英語ができない

この2つのどちらか一方でも当てはまれば心許ないまだ未成熟のローカルの子供たちの意地悪の対象となるようです。

例えば授業中に留学生が拙い英語で何か発言すると、

シャラップ!インターナショナル!!

と笑いながらヤジが飛んだり、目の細さ、ニキビ肌をからかわれたり、、
そして先生もそれを本気で注意しようとはしないそうです。
(きっと私立では大きな問題になるでしょうが、、)

何よりも自分たちの輪に異物感のあるものは仲間に入れない、
と言った壁を作り、留学生を友人として受け入れる様子は全くないというのです。

又、オーストラリアに来たばかりの他の留学生と違い、次男は英語が第一言語になっていたのでいじめっ子たちがわからないと思って言っている留学生の悪口も全て理解できるので、余計に不愉快だと言いました。

更にいじめっ子たちもアジアン留学生のくせ?に英語で普通に言い返してくる次男が面白くなかったようです。

バンコクの時はこれとは真逆で、インターナショナルスクールだったので生徒たちの多くは様々な国から集まってきており、留学生がマイノリティではなかったので、クラスみんながwelcomeで迎えてくれたといいます。そのため比較的すぐに打ち解け楽しい学校生活を過ごすことができたようでした。

そのギャップで、特にバンコクを離れたくなかった次男にはメルボルンの環境は最初は耐え難い思いだったようです。

そんな現状を、何だか要領よくやってそうな長男に聞いてみたところ、一言、、

「あー、アジアンヘイトね、あるある。でも自分は笑い飛ばしてるけどね。」

え、、そうなんだ・・・

「うん、俺も言われた、言われた、目がどうとか鼻がどうとか。でもギャグにして笑ってるよ。」

「ママ、留学って良いことばかりじゃないんだね」と最初は思ったよ。
でもね、ギャグにして笑いにしてたら誰も言わなくなったよ。

・・・ そうなんだ、、 

今までの国では色んな肌、目、髪の子達が集まり

人は皆違って当たり前

という環境にいたので
白人社会のここオーストラリアにきて

外見でからかわれる

という経験を初めて味わうことになったのだと思います。

もちろん、これは次男のクラスでたまたまあった事かもしれないですし、全てがそうでないと思います。

私はこの問題を解決すべく早速留学生担当の先生に連絡をとり、次男のクラスについて相談しました。
日本にも在住経験のある先生はとても親身になって話を聞いてくれ、解決策としていくつか提案をしてくれました。

その提案の一つとして次男は最初、クラス変更を希望しましたが最終的には同じクラスで自分の居場所を見つけることができ、最後までクラス変更をせずに何とか学校生活を楽しむことができました。

▪️現地公立校ティーンエイジ留学の現実

アジア人留学生たちがいつも集まっていたという校庭

ある日、学校で長男が出演する音楽イベントがあった時、私は次男に学校を案内してもらいました。そして、その時彼が案内してくれたある場所の話に私はとても複雑な気持ちになりました。

「ママ、日本人の留学生たちはね、いつもここに集まっているんだよ」
と。

えっ、日本人の留学生って、日本人は日本人だけで集まってるの?

「いや、中国人とかベトナム人も時々いるよ。でもアジアンの留学生は皆ここで集まってランチしたりしてる。」

そうなんだ、〇〇(次男)もそこに行ったことあるの?

「僕は話したことない、日本人の人、、」

え、、なんで?

「何か、、みんないつも日本人で固まって日本語で話してるから」

じゃ、あなたは誰といるの?

「僕は、オーストラリア人とか、アメリカ人とか、イタリア人とか、、ベトナム人もいるよ。色々かな。でも日本人はほとんど話したことない。。」

そうなんだ、、ちょっと複雑な心境でした。

次男は悲しいかなコロナ後に一時的に通った日本の公立小学校で、日本語の遅れで異物扱いされたトラウマがあり、同級生から彼だけわざと敬語を使われたり英語の発音を逆に面白がってからかう子もいたので、同学年の日本人と対等に日本語を話すことに少し恐怖感がありました。

それにしても、オーストラリア政府をあげて世界中から留学生を誘致しているにもかかわらず、この留学の現状はあまりにも残酷な現状だと、何だかとても心が痛みました。

長男は日本語会話は流暢なので日本人の留学生とも話すことがあったようですが、彼らの苦悩を直接聞くと本当に可哀想だと言います。こんな環境でアジアから来た留学生たちが1年や2年で普通にローカルの友達と楽しめる英語力がつくとも思えない、というのが長男の印象でした。

現実的に、英語もできない状況でティーンエイジになってから公立校に放り込まれても、現地の生徒たちは英語もできないアジア人を受け入れる意思は低く、結局のところ留学生は留学生だけで行動を共にし、英語力を向上していくしかないと言います。

自分はたまたま英語ができたから、ローカルの子達とこうやって友達になれたけど、普通無理だよ。ジョークも文化もわからない。自分だったら、自分の子供が英語できないんなら高校留学はさせるの嫌だな、可哀想だから。とこれまた衝撃的な意見でした。

この日長男が出演した音楽イベントというのも音楽の授業で各自がグループを組みバンド演奏を練習してその成果を親や兄弟を招いて発表するというイベントでした。

校庭でのバンド演奏イベント

長男のバンドは長男以外は全員オージーのローカル生。
そして、観客も全員ローカル生とその家族たち。
私と長男、次男以外は1人も留学生はいなかったのでどうしたことかと家に帰ってから長男に尋ねたところ、

「留学生は英語がわからないから留学生だけでバンドを組むんだよ。僕はローカル生のバンドに入ったけどね。」

えっ?・・・(絶句)

本来なら留学生とローカル生を交えて取り組むべきところだと思うのですが、これじゃますます留学生が孤独になってしまいます。

いやいや、そうじゃないでしょ。

本人も英語話せるようになりたいと思ってきてるんだから。
オーストラリア人のお友達もいっぱい作りたいと思っているんだから。
親もそれを夢見て頑張ってお金用意して送り出してるんだから。。

現地の留学環境、もうちょっと何とかしてよ、学校も教育省も!
と、まだ幼い留学生たちが一大決心で親元を離れ、異国の地で期待とは裏腹な環境で頑張っていると思うと何とも居た堪れない気持ちでいっぱいになりました。

しかし、そんな中でも意思の強い子たちは日本人だけに依存しないで、オージーでなくとも少なくとも日本人以外の友達を作り否が応でも英語を話さなければいけない環境を作ります。

勿論、授業も英語で受けるのだから、勉強熱心なアジア人たちは英語力もそれなりに向上します。そしてしっかり成績を上げることができると、そこそこの現地の大学にも入れるチャンスもあるので、本当に楽しい留学生活が送れるのは留学生が大半を占める大学になってからではないのかというのが長男の見解でした。

▪️アジアンヘイトを乗り越えるためのマインドチェンジ

自宅テラスからの夕陽

当時15歳の長男曰く、

自分の学年でもアジアンをからかう奴はいる。でも、ジョークだよ。
もうみんなそんな幼稚じゃないから〇〇(次男)の学年みたいに悪質じゃない。

〇〇(次男)の学年は幼稚なんだよ。放っておきゃ良いんだよ。そのうち言わなくなるよ。

確かに年齢による成熟度の違いが原因というのは一理あると思いました。
2学年違うとこうも違うのか、、と思うほど
子供達がそれぞれ連れてくる友達の成熟度も大人と子供くらい違います。

息子たち兄弟だけ見ると13歳と15歳という違いはそんなに大きく見えなかったのですが、彼らの友人たちをそれぞれ見比べてみると身体だけでなくメンタルの成熟度が大きく違うのだと改めて実感していました。

しかし今回のいじめの理由はそれだけなのでしょうか?
長男は本当に心から友人たちの悪態をジョークと思っていたのでしょうか?

多分彼はそれを瞬時に

ジョークに変換させる術

を持っていたのではないかと思います。

これまでの経験から自分の置かれた環境を見極め、

違う文化”と”違う価値観”の中で

自分を上手く”浸す”

能力を身につけていたのだと思います。

実際、16歳を目前にした長男はプライドも高く、常に自意識過剰な性格で、ハワイの時からアジアンということで馬鹿にされたこともなかったので、悪態を叩かれた時にジョークで笑い飛ばして返してたと言うのも少し驚きではありました。いつの間にそんな術も身につけていたのだと何とも感心してしまったことを覚えています。

彼が即座に気づいたのは、ここはハワイやバンコクと違って

自分たちが完全なマイノリティ”である

という現実だったと思います。

今まであまり意識することのなかった

人種の違いによる弊害

を彼は初めて肌で感じたのでしょう。

ハワイは日系人やフィリピン系が多くアジア人ということで良くも悪くも特別な扱いを受けたことがありません。アメリカは世界中からの移民で成り立っている国ですから単一民族ではありません。本土ではアジアンヘイトも多々あるようですが、少なくともハワイではそれを感じたことはありませんでした。

バンコクは東南アジアですので、学校でも日常生活でもアジア人が大多数を占めています。学校はイギリス系のインターナショナルスクールでしたが生徒たちの肌の色やバックグラウンドも多種多様。日本人であることもアジア人であることにも当然ながら何の違和感もありませんでした。

しかし、ここオーストラリアは違います。中国や東南アジアからの移民や留学生が増えているといえども、地元民はイギリスやヨーロッパからの移民で大多数の白人が”地元民”なのです。子供たちもハワイやバンコクの時から白人の友達は普通に何人もおりましたが、それも友人の中に何人かいるということで、白人が大多数を占める世界ではありせんでした。

今思えば彼らにとって同じ人種ばかりが大多数を占める世界は日本とここ、オーストラリアだけだったのです。
今となっては日本も多様民族化されてきているようですが、、笑

その状況にいち早く気付き無意識に上手く順応することができる力、それが長男がいつの間にか身につけていた

世界に順応する”グローバルコミュ力

だったのだと思います。

▪️極めていく子供たちの”グローバルコミュ力”

バースデーボーリングにて(イタリア系、ドイツ系、イギリス系、ベトナム系のローカル友達)

これまで、幼い時から自分たちが導かれた状況に毎回戸惑いや疑問を持ちながらも、新天地での環境や文化の中で友情を育んできた彼らでしたが、ティーンネイジャーになってまたもや新しい環境でもがき苦しむこととなりました。

次男の問題については、結局のところ時間が解決しました。
長男の助言もあり気にしないということに徹したようです。
すると、いじめっ子たちは自然とつまらなくなったのでしょう。

そして、次男も自分の世界を見つけ、学校生活を楽しむようになりました。

ここ、メルボルンにおいても異文化を受け入れ順応しながら自分たちが生きる楽しみや喜びを見出す適応力を身につけたように思います。

彼らの第4ステージでは海外で初めて味わった”アウエイ感”に悩まされながらも、大きく大きく成長したと思います。
メルボルンで1年のスクールイヤーを終え、帰国直前の彼らのバースデーには、素晴らしい友人たちと名残惜しみながら楽しい時間を過ごしていました。

もう、ハワイの時のようにバースデーに親の出番はありませんでしたが、彼らの笑顔はグローバルコミュ力で更に人間力を高めていってくれたその成果の証でもあり、私たちに最高の喜びをくれました。

2024年、いよいよ彼らのファイナルステージは

日本への逆留学

です。
日本人として真の”グローバルコミュ力”を身につけるべく母国での最後の大きなチャレンジとなります。

その過程を次回には綴っていきたいと思います。
久しぶりに記事を書いてみましたが、ここまで読んでくださったみなさん、本当に有難うございました。










いただいたサポートは、お役に立てる情報を発信するために使わせていただきます。