書籍紹介「ドリーム・ハラスメント」③「捏造型」を生み出したもの
(再掲)本シリーズの狙い
一昨日からは、「ドリーム・ハラスメント」(高部大問(2020).ドリーム・ハラスメント イースト新書)という書籍を紹介しながら、GAJYUMARUとして子どもたちが自分の人生を描き、デザインする上でどうサポートすべきかを考えます。
本シリーズの狙いは、
・「夢」という言葉、「夢を持つことが正しい」という発想が子どもにどんな影響を与えるのか?
・何より、子どもが自分の人生を描く上で、どんな言葉やサポート方法が望ましいのか?
です。
それでは、以下、引用します。ちなみに昨日までの記事はこちらです。
夢を強制された子どもたちの新たな反応タイプ:捏造型
一方、これから御紹介する最後のタイプは、「夢は重要」という命題を受け入れません。彼らは、取り調べのような夢問答に辟易し、その場凌ぎのために大人が喜びそうな夢を差し出します。
たとえば、「夢を見つけろと強制されているので適当に言っている」「何も思い付かなくで、とりあえず『会社員』と答えていた」「周りに合わせてサッカー選手などと希薄な動機で答えていました」などが代表例です。
前二者と異なり、唯一夢の問いに反抗的なのがこの捏造型です。彼らは、表面的には大人に従いながらも腹の内では背くという、面従腹背の戦術を採用します。
ある高校生は、「いままで『夢』と聞かれてもピンとこないので、大人に喜ばれそうな平和な安定した生活」とか「大企業に就職」とか、正直思ってもないことばかり書いてきた」と本音を吐露してくれました。
また、別の高校生は「いまの私はやらなくてはいけないことに追われて好奇心を置き去りにしていた」と述べています。
人のキャリアを研究対象としたキャリア理論には、計画的偶発性理論という考え方があります。これは、「良い偶然が起きるような計画的行動」を推奨するもので、良い偶然を引き寄せるための必要な条件のひとつに「好奇心」が挙げられています。
2019年、人類で初めてブラックホールの撮影成功を主導した天文学者の本間希樹先生は好奇心の重要性に言及しました。「人間は宇宙でも何でも、見えないものを見たいという好奇心から始まる」(毎日放送「情熱大陸」2019年4月14日)。
大学受験に失敗し、就職活動でも苦労した天才物理学者アインシュタインも、自分自身に備わっているのは「特別な才能」ではなく、情熱的なまでに旺盛な「好奇心」だけだと述べています。「なぜ磁石はいつも北を指すのか」「なぜ月は夜だけ輝くのか」「なぜ海は青いのか」といった止め処無く沸き上がってくる興味・関心を、彼は放棄しなかったのです。つまり、遠大な夢は持たなくとも、身近にある小さな好奇心には蓋をしなかった。だからこそ、特許局で仕事をしながらも研究を続け、物理学の常識を根本から覆す偉業を成し遂げ「現代物理学の父」となったのです。
しかし、先ほどの高校生の発言を思い出してください。「好奇心を置き去りに」させているのですから、良い偶然なんて起きるはずがありません。
捏造型のなかには、実は夢を持っている若者も少なくありません。本心ではユーチューバーや作家を目指すことにしても、「公務員になりたい」など内心では思ってもいない嘘を提出しているのです。なぜそんなことをするのでしょうか。
それは、本音を差し出したところで、即席型のところでみたように、「そんな夢はダメだ」「もっと視野を広げよ」などと否定されるのがオチだと予見できるからです。
だから、ある高校生が打ち明けてくれたように、「私には夢がありますが、誰にも言ったことがありませんし、これからも言うつもりはありません」と防衛的に身構えるのです。
なぜ、夢があるのに表に出せないのか。ある高校の先生への取材で明らかになりました。「夢や目標は皆あるんだと思う。けれど、秘めちゃっている。『何そんな青臭いこと言ってんの?』『そんなんで食っていけるの?』などと言われてきた過去があるのだろう」と、自戒を込めて仰っていました。
「没頭できるものを持て」しかし「視野も広く持て」という、夢中と俯瞰のダブルバインド。そんな迷惑なものに悩まされるくらいなら、大人の説得に力を使うよりも大人がお気に召すであろう当たり障りの無い夢を提示する。その方が、本来の夢に専念できてコスパが良いのです。
夢の有無にかかわらず、挫造した夢が大人に認められた場合、不幸なことに、その成功体験によって若者たちが学習しているのは、一時凌ぎや顔色窺いの価値。彼らに身に付いているものは、夢などではなく妙な適応能力だということです。
ドリーム・ハラスメントの直接の被害者は、ここまでみてきた3タイプの若者たち、すなわち、待機型・即席型・挫造型の若者たちです。いずれも、夢に翻弄され、夢に振り回され、苦肉の策で状況化してきた結果です。
各人の状況化の仕方には相違がありますが、誰も夢の呪縛から完全には解放され得ないことは共通です。加えて、そのことによって結果的に若者たちに身に付いているのが正解志向と付度力である点も共通です。個性がねじ曲げられているのです。
若者たちの「正解探し」の姿勢を批判する声は少なくありませんが、大人たち自身が蒔いてきた種が芽を出しただけの話です。「没個性」などと若者を揶揄する表現がありますが、彼らの個性を葬り去ってきたのは大人たちの仕業なのです。
「私は、あまり納得がいかないことでも、大人が言ったことの言いなりになる」
若者たちは致し方無く、周囲への受けの良し悪しを気にしながら、大人という権威への答え合わせに人生を費やしています。好奇心に蓋をし、大人の期待に寄り添い続ける人生。それほどまでに、夢の影響範囲は広く、夢の包囲網から抜け出すことは難しい。
一時期、車の煽り運転が社会問題化しましたが、若者たちが大人から受けている嫌がらせは「夢の煽り運転」です。
人生のドライバーとして駆け出しの若者たちに、後ろから猛スピードで「夢を持て!」と煽る大人たち。プレーキを踏めば大事故になりますから、脇に一時停止する以外には、アクセルを踏み続けるしか選択肢は残されていません。
それで目的地をうまく見つけられればまだ幸いですが、多くは即席や提造の目的地。「そっちの道は違うぞ!」「どこへ行くんだ!」など怒号を浴びせられることもしばしばです。
これが、教育現場で確認されたドリーム・ハラスメントの実態です。
正解志向の罠
塾の講師をやっていて気付いたのですが、私たちはこれまでの教育で「あまり思ってもいないことを口にさせられる」経験を積んではいないでしょうか?
引用先では「正解志向」とありますが、これは学生の多くに根付いていると感じていました。たとえば、「この本を読んで、私は~~と感じました」から始まる読書感想文。私が見ている限りでは、この書き出しをしている学生は半数を超えていました。
また今回のような「将来の夢」について、何かしらの体験教育の後の作文etc...、そういった機会で先生や「良いとされやすい価値観」を文字通り忖度して文章を書く子どもは多いと感じます。
塾講師時代も、そうやって「あまり思っていないことを口にしてる」と肯定した学生は多かったです。
そうやって、自身のアウトプットを求められているにも関わらず正解を自身の外の大人や「空気感」から探ろうとする思考が癖付くのはGAJYUMARUの目指す「自己の確立」にとって、大きな障壁です。
「自己の確立」には、その都度自身の想いがどこに向かっているのかと向き合う作業が不可欠だと考えられるからです。
そして、なぜ「正解志向」が生み出されるのか?
本音を差し出したところで、即席型のところでみたように、「そんな夢はダメだ」「もっと視野を広げよ」などと否定されるのがオチ
にもある通り、否定を含めて「常に自身の考え」が査定・評価されるというシステムが大きいように感じます。
「夢」でもいいし、何かしらの感想でもいいですが、本来感じたことに序列をつけることに大きな違和感を覚えます。
それは以前の記事で書いた明治以降の「規格化」する教育が持つ性質なのではないでしょうか?
そこで、価値観すら「望ましいもの」が規格化され、子どもに押し付けられることで結果として子どもが正解志向に陥り、自己の確立・開花が阻害される。
自己の確立・個性の開花こそが価値や幸福度を左右する現代以降において、これはぜひ突破したい問題だと考えています。
「自分の正解」を探すサポート
上記で見た通り、子どもが正解志向に陥るのは「規格化された正解」をシステムや周囲から押し付けられてしまうことにあります。
ですから、突破口はいかに「自分の正解」を探し見出すことをシステムや周囲が後押しできるかにあります。
3年前、私の講師時代の取り組みをご紹介します。中学3年生の国語です。文章を読んだ上で、以下の問いを設定しました。
「2020年の教育改革は、社会のどのような変化の中で生まれたものか。また、そこではどのような能力が求められるか?『農業社会』『工業社会』と、その社会で必要とされた能力と比較検討した上で論じなさい(字数制限なし)」
過去から類推する未来論なので、考える上での拠り所はあれど「規格化された正解」は存在しません。
講師の解説は一切なしの上で、学生同士のグループワークで議論します。
グループワーク慣れしているので、相手の意見は尊重され、議論はあれど否定されることはありません。
議論が一定尽くされたと感じたころに、感じたことを書いてもらいます。「字数制限なし」としていても、始めた当初は「何文字くらいですか?」という質問がありました。「何文字でも良いです」というやり取りを重ね、こちらも極力彼らの想いがそのまま表出されることだけを意識して後押しすることを重ねると、本当に個々人の生の声に近いものが徐々に出てきている感覚になりました。学生によっては、「時間が全然足りない。あと用紙3枚ください」と言って帰るケースもあり、彼らの「内なるもの」を後押しできた実感を得ました。
上記はあくまで一例ですが、子ども1人ひとりの「自分の正解」を見つけるサポートは、「夢」を彼らが見つけていくための取り組みでも可能だと考えています。
あくまで大人が「正解」を押し付けず、評価せず、ひたすら子どもの声がそのまま表出されるのをサポートし続ける。それが、現在重視される「キャリア教育」の1丁目1番地となるのではないでしょうか?
次回は、「ドリーム・ハラスメント」の結論部を引用します。
どうぞお楽しみに!
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また、9月は毎日noteを書いています。GAJYUMARUについて皆さんによくご理解いただけるようにしていきたいです。
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