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書籍紹介「ドリーム・ハラスメント」⑤まとめ~「夢」の呪縛から子どもたちを解放し、自己確立を支援する

(再掲)本シリーズの狙い

これまで「ドリーム・ハラスメント」(高部大問(2020).ドリーム・ハラスメント イースト新書)という書籍を紹介しながら、GAJYUMARUとして子どもたちが自分の人生を描き、デザインする上でどうサポートすべきかを考えます。

本シリーズの狙いは、

・「夢」という言葉、「夢を持つことが正しい」という発想が子どもにどんな影響を与えるのか?
・何より、子どもが自分の人生を描く上で、どんな言葉やサポート方法が望ましいのか?

にあります。これまでの4回の記事から、今回はそのまとめをお届けします。
本シリーズ、過去の記事はこちらです。

まとめ~「ドリーム・ハラスメント」とは?

貧しい時代においての夢は、いかに豊かになるか?が大命題です。つまり、その時代において最も豊かになれる道がゴールであり、「夢」として効力を持ちました。特に明治以降はそのために高学歴を求めて受験戦争が激化していきました。
ex)高所得のためには良い就職、そのためには高学歴、というストーリーがはっきりしていた。
また、明治期に始まった日本の近代教育は、強い軍隊・大量の工場労働者を生むために子どもたちを規格化するベクトルを持っています。

従って、当時の日本の教育システムは「『良い』夢を持ち、それに向かって励む」子どもを大量に生み出すことに成功しました。ここに、明治以降の日本の経済的発展の礎があると考えられます。

日本が豊かになった後、当然その誰もを嫌が応にもやる気にさせていた「豊かになるための目標=夢」の効力は落ちていきます。その時代に生まれ落ちた子どもには、「夢」で無限にモチベーションが湧くことは難しくなっていきました
しかし、教育現場では効力を失くした「夢」を持つことを強制し、またその中身も規格化ベクトルの中で評価対象としました(中には旧来の価値観で評価していた可能性を指摘できます)。

これが「ドリーム・ハラスメント」の正体です。世代間ギャップの中で起こったものとも言えますし、そのギャップに苦しんで大人になった世代もなぜか「夢」を押し付けている可能性があります。
※これは別途書きたいテーマですが、教育のアップデートが遅れる理由に自分が受けた教育を再現してしまうという問題があると考えています。

実際、私とほぼ同年代以下を対象としたtwitterでのアンケートにおいては以下の結果となりました。

「覚えていない」を、そう子どもへの負荷が低かったと判断したとしても過半数が強制感や嫌な思いをしたと答えています。
サンプル数の少なさはあれど、やはり「夢」が強制として機能していることはここからも言えるのではないかと考えられます。

この「夢の強制」に対し、子どもたちは様々な対処をしました。規格化ベクトルにより、周囲の大人が是とする「答え」ではないと評価されない危険性を子どもたちは敏感に察します。そこで正解志向に陥った子どもたちは「待機型」「即席型」「捏造型」などの対応をします。

しかし、正解志向は、いわばホンネと建前を分けるということです。この習慣は、自身の言葉や文章と想いが乖離する弊害を生みかねないと考えています。そして、現場の講師として、その弊害は子どもにだいぶ浸透していると感じていました。
GAJYUMARUが目指す「自己の確立」にとって、上記の弊害は障壁となります。規格化された「正解」を常に自身の外の世界から探す癖を身に付けた子どもたちが、自身の人生を描き、デザインすることは難しいと考えるからです。

沖縄の子どもたちの「自己の確立」を生み出すために

そこで、どうするか?

①夢の強制をやめ、彼らの伴走者・支援者となる
まず、「夢を持て」という強制・呪縛から子どもたちを解放する必要があります。言い換えれば、相手に夢がないことを否定しないこと。むしろ「見つけているプロセスにある」と認識することです。
※そして、見つからなくても②の没頭し続けてさえいればそれで良いとも思います

また、大人が評価・査定することも避けなければなりません。彼ら1人ひとりの中に育っていくものこそが答えであり、それは当然子どもの中にしかないからです。
子どもの目線に立ち、彼らの中にある「種」や「芽」を共に育てていく。そういった伴走者や支援者といったスタンスが周囲の大人には求められていくのだろうと思います。

②没頭を促す
また、「夢」に代わって子どもたちのモチベーションを高め、ゆくゆく「しなければならない」「やりたい」を生み出していくものが没頭です。
本来、私たち皆が赤ん坊の頃、没頭する天才です。それが様々な周囲の環境による強制・干渉などで没頭する機会・力を奪われていってしまいます。
モンテッソーリ教育などをはじめとする様々な手法・システムが、子どもに没頭を促す上で参考となります。
そして、私たち大人は極力その没頭を妨げないことこそが役割です。

③選択肢の可視化と自己決定を促す
特に、沖縄ではこれが重要なのではないかと考えています。
経済格差に端を発する情報格差・機会格差により、沖縄のすべての子どもたちに自身のこれからを考えるための選択肢が十全に可視化されているとは、まだまだ言い難い状況です。
子どもが何に没頭するのか、そしてそれにいつ満足し(飽き)、どの方向に向かうのかは全くわかりません。その選択肢をできる限り可視化することが、子どもの内にあるものをより結実させることに繋がるのではないでしょうか。GAJYUMARUはそのためのサービス開発を子ども向けでは中心に据えています。

また、そこにおいても自己決定は欠かせない要素です。
そもそも、周囲の大人が指定したものは、子どもの中で取り組むための内発的動機がない状態です。これではなかなか没頭しづらく、他にやりたいことがあるのに「させられ、我慢している」状態にもなりかねません。
それでは、自身の興味・関心に蓋をすることになり、自己の確立・開花には繋がりづらくなってしまうと考えられます。
沖縄は知人ネットワークが発達しており、ほとんどが「知り合いの知り合い」で繋がります。従って、「滅多なことをするとすぐに知れ渡ってしまう」と集団の中で浮いてしまうことを忌避する横並び意識が強いと言われています。言い換えれば、これは「自己決定」ではなく、周囲の空気に決定を委ねているに近い状況です。
しかしGAJYUMARUは、これからは沖縄の子どもたちが「1人ひとり、自分の人生を描く」ことが沖縄の未来を切り拓き、かつ沖縄の人たちの幸福感をつくりだすと考えています。
その点、大人が子どもたちを自己決定をより意識して促していくことは非常に重要です。

最後に

以上、「ドリーム・ハラスメント」紹介から、GAJYUMARUとして取り組んでいきたいことを考えました。
子どもたちが自分の人生を描くサポートをする上で、「夢」という言葉が実は子どもたちを苦しめかねない概念であることを踏まえた上でより良いサポートの在り方を考え続けていきたいと思います。