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ひとり哲学研究所 さみしい記憶

私は恵まれている
私はしあわせだ

そう思い込みたかったんだろうなあ、と最近気が付いた。

親が病気になった時、ひとりで夜に留守番していた時の不安、自分がしっかりしなければという切迫感。
色々な感情を見て見ぬふりをして、「それでも私は幸せだ」と思っていた。

今しあわせならそれでいい。でも、過去のつらかった記憶を無かったことにしているのは違う。
さみしかった
怖かった
その気持ちがあったのなら、蓋をせずに向き合うといいかもしれない。
その作業は、多分無数にあるし、ひとつひとつ思い出すのはつらい。
でもきっと私には必要なことなんだろう。
休み休みやっていこうと思う。

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がじゅまる
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