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弱さへの気付き

気付いてしまったらもう仕方ない。

私が抱えている生きづらさ、とでも言うのだろうか。
主に夫婦関係を見直したことで、今まで感じてきた違和感…人との付き合い方、自分の感情の扱い方などの未熟さが、芋づる式に発見された。そして否応なく、頭の中を点検せざるを得ない状況になった。


ことの発端は、やはり、夫との関係がうまくいかなくなったことだったと思う。

お互いにコミュニケーション下手だったこともあり、些細なことで衝突したり、なんとなく和解したりの繰り返し。みんなそんなものだろうと思っていたが、私達はそもそも根本ですれ違っていたので、知らないところでしこりが徐々に大きくなっていた。そして、お互いに溜まった不満が噴出した。

これから、どうしていけばいいのか。離婚?別居?こどもは?法律はどうなる?私は様々な案を考えたり、情報を集めては、とにかく動き回っていた。精神のバランスを崩しながらも、改善案を求めてもがいていた。傷だらけの足を引き摺りながら、裸足のまま歩く感覚。方向が分からないけど、とにかく進まないと不安で仕方ない。そんな感じ。


もともと心理学や哲学に興味のあった私は、その手の本をよく読むようになった。心に引っかかった単語は片っ端から調べた。アドラー心理学、アダルトチルドレン、HSP、愛着障害、インナーチャイルド…
半年くらいで色々な情報が入ってきた。流行りもあるんだろう。本の内容と自分とを照らし合わせては、まさに…と、目から鱗の連続だった。
心理学の講座を受け始めたこともあり、だんだん自分の心の傾向がつかめてきた。そして今、これだけの生きづらさを抱えながらも、よくここまで生きてきた…と感じている。

それと同時に、夫のことも理解するきっかけが掴めてきつつある。
今までは「なぜ私と向き合ってくれないのか」と悲しく感じていたが、心理学の本によると、彼は感情や刺激に対して、回避傾向が強いことが分かった。傷つく前に、逃げるのだ。辛い思いを感じないように、耳を塞ぐ。生い立ちや経験からその傾向がでるのかな、となんとなく感じてはいたものの、確証がなかった。専門の本から学ぶことで、強く納得することができた。心理学について自分なりに学んで良かったことのひとつだ。

「私が求める愛情」と「彼が表現する愛情」の違いについて理解できたことも大きい。そもそも人は愛情の形が違う、ということすら知らなかったのでとても苦しかった。根本的な解決にはならないが、じゃあ、これからどうしたらいいだろう。と考えられるようになった。


だけど、心について学ぶことが生きづらさの解決になるとも限らない、と思っている。むしろ、自分の敏感さに気付いてしまい、余計に辛くなってしまう部分もあったと思う。
知らなければ知らないで、鈍感なまま生きていけるのだ。自分の問題点には気づかずに、「この人とは合わない」とばっさり切り捨てられるのもまた、自分を守る術だろう。弱い自分を見ずに、「こんなものだ」と思うことだって、できる。
それでも私は、気付いてしまった。自分の心の弱さやつらさ、そして、もっと楽に生きられる術があるんだろうということに。
だから、今はもがきたくなってしまう。自分の弱さと、とことん向き合うしかないような気がしている。そして最終的に「あきらめ」が来るといいな、と思う。

この数ヶ月、「自分の弱さ」に焦点を合わせて情報を集める時期だったと思う。自分の敏感さの原因は何か。どんなことに対して反応しやすいのか。その調査をしていた感じ。それが最近になって、すこし変わってきた。
できないことに目を向けるよりも、等身大の自分を見つめ、少しずつ勇気をつける段階に入ってきた気がする。(いい加減、自分の心がつらいつらい、と言うのを聞き飽きた感もある。)
色々とへなちょこだけど、それも魅力的だよ、大丈夫だよ、安心していいよ。
そんな風に声をかけていくといい気がしている。
30年以上生きてきて、やっとよちよち歩きだきた感じだ。しかもボロボロ。笑えないけど、笑える。
ぜひとも私のことを、「やっと歩き出した人間」くらいに思ってもらいたい。がんばって歩いています。

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がじゅまる
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