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ボヘミアン・ラプソディーがなぜ精神疾患の当事者にとって魂が震え共感するのか

普通の人生を送ってたらわからないかもしれないが精神疾患の患者にとって療養とはすごくつまらなくて退屈なものである。精神疾患と言っても色々あり今の医学では治せる病気と完全には治せない病気がある。私の患ってる統合失調症という病気は後者にあたる。

そんな精神疾患の患者の一人である私も体調を崩し、とうとう仕事を休むことになった。この病気は天気や些細なストレスで悪くなりやすい。しかし療養と言っても基本お家でゴロゴロ休むだけだ。最初の症状が苦しい時は本当に何もできない、それこそお風呂すら入れない、トイレにすら行けない時期もある。しかしそこそこ治ってくると体が回復して病気の症状ゆえに楽しめなかったコンテンツというものを楽しめるようになる。病気の症状が悪い時は映像ですら見れない。こういう事は健常者にはとても信じられないだろう。

だいぶ療養した私はそろそろだなと思ってコンテンツにトライしてみた。ただこのコンテンツというものも精神疾患ならではの問題がある。例えば本や漫画などの媒体はお金がかかるのだ。私は大学で文芸学科を選んだくらい本が好きなのだが、本当に読みたい本というのは例え電子書籍でもお金を払わないといけない。漫画も勿論そうだ。

精神疾患を持ってるとどうしても使えるお金が少なくなる。ましてや療養中など収入が減ってしまうので慎ましく節制しないといけない。まぁお金持ちの当事者もいるだろうが。

そこで良質なコンテンツをなんとか格安で楽しめないか考えた結果、Amazon PrimeビデオとNetflexで映画を見る事に行き着いた。

これらのサービスは一定のお金を払えばサブスクで基本コンテンツが月額で見放題だ(Primeビデオに関してはここぞと見たい作品が有料な事も多いが…)

私が若いころはDVDレンタルショップに行って自分でDVDを手に取り借りて家で観てまた返却してたのだが、時代は進化してレンタルショップにも行かないで家でボタンひとつで観れるようになっている。技術とはすごいものだ。

なので私はこの膨大な退屈を自分の感性を鍛える為に上記のサブスクで映画を見ることにしている。もちろん他のサービスも利用してアニメやドラマなど心に響くコンテンツを一日ひとつは見るようにしている。

今回はその中でも精神疾患を持つ私が、そして多くの他の精神疾患当事者。もちろん健常者でも魂に響く映画「ボヘミアン・ラプソディ」の中から特に映画ではなく楽曲の方の「ボヘミアン・ラプソディー」を精神疾患の当事者が絶対に共感するという視点で解説したい。



2018年にヒットした作品なのでちょっと昔なので旬ではないのだが、たまたまPrimeビデオで無料なので期待していて観たのだが10代の頃からQueenが好きな私も納得な良作だった。

ボーカルのフレディ・マーキュリーについては学生時代フレディの小論文を書いたので知っていたがそれでも映画では知らない事実もあった。もちろんフレディにスポットを当てた伝記映画なので改変している所もあるだろうが、それでも歌詞とフレディの大スターが故の苦悩が実にマッチしておりとても良かった。

ただ往年のファンとしてはもう少しこのエピソードを入れて欲しいというエゴや後半の最大の見どころである"LIVE AID"シーンの為にストーリーをギュッとしなくてはいけなくて脚本家や監督の苦悩が見える瞬間もあった。それでも映画としての完成度は高く泣くとはいかなかったが素晴らしい映画であることには間違いなかった。

ここでは映画の解説や見どころは解説しない。それをしてしまうと文字量がパンクしてしまう。私が今回描きたいのは映画ではなく楽曲の方の「ボヘミアン・ラプソディー」についてだ。



この音楽が名曲でありビートルズやジョン・レノンの「imagine」を抜いてイギリス人が選ぶ1000年間の名曲ランキング1位になったことは有名である。イギリス人が選ぶ一番好きな曲に、この曲は選ばれたのだ。

曲としての構成、アカペラやグラムやメタル、ロックからオペラという幅広いジャンルで構成されており気が付いたら曲がいつの間にか終わってる。そして当時では考えられなかった6分という尺の長い曲だ。まるで一つの作品をみてるような感覚に陥る。

しかしこの曲は聴けば聴く程、歌詞が難解であることがわかる。まずは冒頭のアカペラからである。

Is this the real life?
これは本当に俺の身に起きてることなのか?
Is this just fantasy?
それともただの悪夢なのか?
Caught in a landslide,
まるで土砂崩れに飲み込まれちまったみたいに
No escape from reality.
この現実から逃れることなんて出来やしなかった

出だしから苦悩である。一人の男性が苦悩している。これは現実なのかそれとも悪夢なのか。

Mama, just killed a man,
ママ、僕はある男を殺してしまったよ
Put a gun against his head,
銃を頭に突きつけて
Pulled my trigger, now he's dead.
引き金を引いたら、あっけなく死んじまった
Mama, life had just begun,
ママ、僕の人生は始まったばかりだったのに
But now I've gone and thrown it all away.
でも、以前の僕はもういなくなっちゃったんだ、全部捨てたんだよ

どうやら作品の中の男性が人を殺すというショッキングな内容から始まる。

Mama, ooh,
ママ
Didn't mean to make you cry,
悲しませるつもりなんてなかったんだよ
If I'm not back again this time tomorrow,
もう、僕がいつものようにママのところに戻ってこなくても
Carry on, carry on as if nothing really matters.
そのままでいてよ。なにごとも起きなかったかのように

それを母親に悔いるように嘆くシーンへと続く

Too late, my time has come,
もう遅い、もう僕は終わりなんだ
Sends shivers down my spine,
悪寒が身体を駆け巡り
Body's aching all the time.
全身の痛みが止まらない
Goodbye, everybody, I've got to go,
みんな、さよなら。僕はもう行かなきゃいけない
Gotta leave you all behind and face the truth.
みんなを置いて、俺は真実に向かい合わないといけないんだ

男は苦しみ、立ち去らないといけないことを示唆している

Mama, ooh (any way the wind blows),
ママ
I don't wanna die,
僕は死にたくない
I sometimes wish I'd never been born at all.
生まれてこなかったらって思うことだってあるんだよ

はい、ストップ。ここです。

I don't wanna die,
僕は死にたくない
I sometimes wish I'd never been born at all.
生まれてこなかったらって思うことだってあるんだよ

ここに精神疾患の当事者が共感する瞬間が来るのだ。ここでは死生観における「自分は生まれてこなければ良かったのに」という苦しみが表現されている。この言葉は抑うつ状態や希死念慮のある状態の当事者の気持ちを音楽で完璧に代弁してくれているのだ。

共感しかない。


生きている意味とは何か

自分に生きる価値はあるのか?


精神疾患を持つと自身の生産性のなさや愛情飢餓や将来の不安で、自分は生きていていいのかという事にとても苦しむのだ。

このような生きるか死ぬかの苦しみを表現している音楽はとても少ない。

この曲を作ったフレディ自身のルーツがインド系英国人であること、セクシャルマイノリティであるゲイであること、ゾロアスター教の厳格な家庭、孤独、不安で悩み苦しんだからこそできた曲なのだ。ここまではとても有名なことだろう。

ここまで来るとこの難解な歌詞の解釈にある仮定が浮かぶようになってくる。

この曲の「I,You,a man」僕、君、ある男、全てが自分ではないのではないかという解釈である。そうすると難解な歌詞に辻褄が合ってくるのだ。

『お母さん、僕は僕を殺してしまったよ。自分を偽り良い子である自分を。お母さんから褒められたい。お母さんから愛されたい。』

『でも、僕はダメだったよ。もう遅い。僕はもうダメなんだよ』

これは私の解釈でありフレディ自身がリスナーに自分で解釈するよう仕掛けられた歌詞だ。もちろん解釈なのでこれが正しいとは限らないが。

セクシャルマイノリティであったり自分のルーツが移民である彼はそうとう苦悩したのだ。この歌詞を書いた時点で精神疾患の当事者がよく考えるデッドライン、死の境界線を恐らく彼は体験している。じゃないと「生まれてこなかったらって思うことだってあるんだよ」なんて歌詞には入らないだろう。ここが私が思うこの曲が精神疾患当事者の魂を揺さぶると思う部分だ。

以下は省略を加えながら歌詞を追っていく。

I see a little silhouetto of a man,
僕は、道化の影に隠れてるんだよ
Scaramouche, Scaramouche, will you do the Fandango?
臆病で空威張りの道化さん、ファンダンゴを踊ってくれない?
Thunderbolt and lightning,
雷鳴とかみなりが
Very, very frightening me.
ほんとはとっても恐いんだ
(Galileo) Galileo.
ガリレオ
(Galileo) Galileo,
ガリレオ
Galileo Figaro
ガリレオ、フィガロ
Magnifico-o-o-o-o.
マグニフィコ!

道化師、ピエロの出番である。自己愛性人格障害にはピエロ型というのがある。面白いキャラクターを演じて対人関係を円滑にするものだ。しかしピエロというのはその明るいキャラクターの裏に孤独や不安を抱えている。自分を偽ってるのだ。この道化師というのも恐らく自分の中にある人格であろう。もう一人の自分だ。

後半のガリレオ、フィガロ、マグニフィコは説明すると長いのだが色々なジャンルの権威者だと解釈すれば良い。「偉い人!どうか僕を助けて」と。

I'm just a poor boy, nobody loves me.
俺は、哀れな少年さ。誰も俺のことなんて愛さない
He's just a poor boy from a poor family,
僕は哀れな家庭に育った哀れな少年なんだ
Spare him his life from this monstrosity.
僕をこの怪物から守って

ここは愛情飢餓である。歌詞に明確に愛されてないと感じてることが記述されている。これも愛着障害などなんらかの愛についての悩みそれも家庭に悩みがあった事を連想させる。彼は孤独なのだ。それは映画を見ればよくわかる。

Nothing really matters,
俺は何にも気にしない
Anyone can see,
誰だって分かってるだろ
Nothing really matters,
俺は何も気にしないんだ
Nothing really matters to me.
本当だぜ
Any way the wind blows.
どっから風が吹こうともな

歌詞はかなり省略してしまったが最後のバラードのこの歌詞はわざと濁している。フレディの悩みの解決策、エンディングを明確に定義してない。つまりこの曲を聴いてどう感じるかはリスナーに任せているのだ。

「フレディは明確にこれが答えだ!」とは言っていないのである。「俺は気にしない」「どっから風が吹こうともな」という自分の悲哀を表現しながらこの大作は終わっている。そこには諦めのような諦念を感じざるを得ない。

私はこの曲を17歳の頃、同じ精神科病棟にうつ病で入院していた当時30代の美術教師の男性に、運が良いことに教えてもらった。それ以来Queenの楽曲を貪るように聞いた。

以上が私がこの曲が精神疾患の当事者の魂を揺さぶるという解釈である。もちろんこの曲は難解なので色々な解釈があるのだが孤独や不安、苦しみ、苦悩を経験しないと書けないような歌詞になっている。

かなり長文になってしまいましたがここまで読んで頂いてありがとうございました。この解釈を考えた後でもう一回この曲を聴くと納得できるはずです。色んな解釈があることは前提です。



少なくとも僕はこの曲は精神疾患の当事者に是非聴いてもらって色々な事を感じて欲しいです。そしてその感想、気持ちを大切にしてほしいということで終わらせたいと思います。5000字という長文ですが読んでくれてありがとうございました。まだQueenには名曲揃いなのでその解釈の時にお会いしましょう。それでは。

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がじゃまる@統合失調症ブロガー
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