愛と恋の違いを考えた事ありますか?
「恋はエゴか…」そう言うと常務は深く納得した様に宙を見つめていた。
次第に常務はご機嫌が良くなってきて酒も進み「恋はエゴ~!」と陽気に歌い始めた。
私たちはそんな童心のある常務を笑いながら楽しく飲み会を過ごしていた。永遠にこの時間が続けばいいと私は思った。
その日はそこにいるみんなが尊敬する常務の送別会だった。
私の尊敬する常務は左遷されて子会社に飛ばされた。体の中のエンジンがF-1のような馬力のあるビジネスマンで軽トラのエンジンを持つ私たちをF-1のエンジンでブルドーザーのように引っ張ってくれていた。常務は元銀行マンで私たちの会社に出向してきて常務まで疾風怒濤で上り詰めた。
ただ、障害者雇用の末端の時短のサラリーマンである私にはわからない何かがあったらしく常務は取締役を解任された。
この人の下で働きたいと思わせるような人だった。ただ会社とはそんな単純なものではないのだ。もっとたくさんの人の思惑や野心や恨み、そんなもので成り立っているのだ。それは社会に出ないとわからないだろう。
私たちは悲しみながら常務のお別れの酒席を開いた。
それから数年後に知ったのだが常務は一度は落ち込んでいたがその時既に、私たちより早くまた立ち上がり次の目標に向かっていたらしい。
そんな飲み会で常務はみんなにある質問を必死にしていた。
「愛と恋の違いって何なんだろう?」みんな「愛は真心、恋は下心…」というふうにありふれた言葉しか出てこなかった。
私の番がきた「がじゃまるくん、どうなんだ?君はここにいる中で一番頭が良いだろう」
確かに偏差値だけは無駄に高い高校にはいたが大学は誰でも入れる大学で、自分の無知さを悟られないように目立たないように行動していたのだが、常務は私を高く評価していた。
病気が苦しいながらもこの人の為なら仕事を頑張りたいと思える人だった。常務はそんな私を自分よりも頭が良く一人の人間として尊重してくれた。私はいち障害者雇用のパートタイマーである。上場企業の役員がそんな接し方をするのはなかなかありえないことだと思う。
そんな人格者である常務はマジマジと私の顔を見つめていた。その場にいるみんなの視点が私に集まった。
「愛はわかりませんが、恋はエゴなんじゃありませんか?」
私はとっさに答えた。そんな事考えた事もなかったが私が学生時代に流行ったMr.Childrenの楽曲の「シーソーゲーム 〜勇敢な恋の歌〜」の『恋はエゴとエゴのシーソーゲーム』という歌詞がとっさに浮かんだので答えた。
「恋は自分の一方的な欲望で、相手が何を考えてるか誰が好きなのか関係ありません。だから恋はエゴなんじゃないでしょうか?でも、愛はそんなものではなく、慈愛や無償の愛や隣人愛などの見返りのないものなんじゃないですかね」
その場でそう答えた時、常務は深く納得していた。
「さすが、がじゃまるくんだね。そういう事もわかるんだ」私はこれは剽窃なのだがと考えつつも相槌を打ち飲み会はおおいに盛り上がっていた。
この質問を受けて以来、私は胸がモヤモヤしながら「恋と愛の違い」について深く考えるようになった。
昔、受験勉強の時に小論文で「真実の愛とはなにか?」という授業があった事を思い出した。
生徒たちの小論文を先生が解説する中で先生がある生徒の回答をニコニコしながら読み上げた。
「真実の愛とは、常に相手の事を想う事。どんな時も相手の事を想い、愛情を持って接する。そして…死ぬときは一緒にお墓に入る…」
先生はニコニコしながら「と言うか、これは真実というより究極の愛だね」と優しく少し笑いながら解説していた。
確かにずっと一緒で死ぬ時も一緒というのは究極の愛と言える。でも真実の愛ではないだろう。しかし私は愛の意味が全くわからなかったので授業で取り上げられるような回答すらできなかった。
今、私は学生時代に恋愛をして、そのまま結婚した妻がいる。愛してはいるがモヤモヤしていて形はなく愛というよりは感謝というのに近いものがある。
昔、読んだ本に「愛は育むと感謝か憎しみに変わる」と書いてあった。
確かにわかる。私の場合、両親への愛は憎しみに変わり、妻への愛は感謝に変わった。
そこで本題だ。
恋と愛の違いを哲学や本や映画やドラマやアニメを徹底的に調べて私は結論をだした。
「愛は相手の幸せを望む行動をしてあげること」
「恋は自分の幸せを望む行動をしていること」
これが一番私にはしっくりきた。
恋をしている時は好きという気持ちが自然と自分から溢れ出す。この人と一緒になって幸せを感じたくなる。
でも愛は違う。世の中は実は愛で溢れている。母親が子供に与える見返りのない無償の愛。鬼滅の刃のような兄妹愛。隣にいる人を愛する隣人愛。世の中は愛で溢れている。でも自分の両親を愛していても恋はしていないだろう。電車の中でお年寄り席を譲るのは優しさや愛に溢れる行動だが、そこに恋はない。あるのは年功者を慈しむ慈愛だ。
恋はその人と一緒になれば、どれほど幸せになれるだろうという実は自分の欲望の感情なのだ。だから人は恋をする。これは確かに前述したエゴとも言えるだろう。だって相手の気持ちなんて全く考えてないからね。
でも、愛とは恋と違うのだ。
小さい頃、母親に毎回同じおやつを貰った経験がある人はいないだろうか。「母ちゃんまたこのお菓子かよ~。もう飽きたよ~」という経験はありませんか?
それは母親だけでなくあなたを守ってくれた色々な人に。それはあなたがこのお菓子が好きだという気持ちに応えたくて同じお菓子を買ってあげてたのです。あなたが喜ぶ事をしてあげてたのです。でも正直飽きるけどね笑。
夫婦の愛、恋人の愛はそれに近い。相手の夢、成功、幸せを願い相手に接するのが愛なのだ。私はこれを悩んだ末私が考えた恋と愛の違いの答えとしました。
常務は家庭の愛について悩んでいた。奥さんや子供と色々あったらしい。
でも真面目な人なので愛について悩んでいたのだろう。私の会社に出向してくる銀行員とは家庭がうまく回らない人が多い印象だ。仕事量が明らかにその人のキャパシティーを越えている。
私はこの愛と恋の違いの解釈でスッキリとした。次に常務、今は子会社の社長だが再会したら真っ先に私の解釈である「愛と恋の違い」を語ろうと思う。
その時の社長の顔が見たい。なぜなら社長も私は尊敬の意味で愛しているからだ。
世の中、いろいろな事があります。ボタンの掛け違いや些細な事から始まる衝突。
でも、あなたの今周りにいる人たちをみなさんは愛せていますでしょうか?
そして、愛を育み感謝に変わったでしょうか?それとも憎しみに変わりましたか?
一緒にいる事があまりに当然すぎて愛が見えなくなっている人はいないでしょうか?
今一度、皆さんに人を愛する大切さを忘れないで欲しいです。愛とは普遍で人間に必ず備わった本能なのです。
人間は社会的生物なので小さな愛が世の中を実は支えています。
だからこそ、人生の伴侶じゃなくても愛はどんな人にも与えることができるのです。
愛されたいのなら、あなたが周りにいる親しい人を愛してください。そこに見返りを求めないでください。
ものすごくクサい事をさっきから書いてるのですが、私はそう思うんです。
だから、私は友人や支援者、周りにいる人、そして妻と飼っている猫ちゃん達を愛しています。
愛について悩んでる方。今、恋をしている方。
愛とはとても素晴らしい事です。愛する対象を見失っている方は今一度なぜ自分が生活できているか考えてくれると私は嬉しいです。
愛も恋も素晴らしい事なんです。
自分と自分にとって大切な人を愛して幸せになってください。
最後まで読んでくれたあなたが幸せでありますように。