文化的エートスの反復

 キリスト教への回心によって霊的に開かれたわたしだが、恐らくそのことによって、お盆が到来し現象的に祖母や母親とのことを強く思い出し、涙を流すことになった。この事態について整理しておきたいと思ったことが本稿の動機であるが、そのことは、日本の上部西洋文化と下部重層文化の接続という近代以来のあの問題系に直接コミットすることになると思う。ここにつまずくことの危うさは多くの人が知るところと思う。

文化的エートスの反復

 お盆というのは明らかに、家族を捨てて出家する仏教よりは、先祖崇拝を基盤におく儒教的な習俗であるが、その起源を訪ねると、どうしても「儒」の字義としての「人による雨乞い」に遡るし、それはとりもなおさず孔子がシャーマンの母親を持っていて青年時代に喪ったことに行き着く。多分、孔子が「15歳にして学に志した」というのはそのあたりの事情と関係していると思う。ところで、孔子にも「処女懐胎」の伝説が付き纏っていることは示唆に富む。崇拝している先祖を人為的にお迎えするというのは、また柳田国男が先の大戦の終わりに寄せた『先祖の話』で明らかにしたような、先祖はそう遠くへは行かないという日本の古層でもなく、やはり儒教の儒としての業である。儒が人の需であるならば、仁は端的に「二人」という対幻想をあらわしている。

 東京は7月がお盆だそうであるが、全国的にお盆である8月の中旬ごろより、わたしはにわかに日本論が気になりだした。そうしてそのような本に触れていたのであるが、そうすると、わたしがドイツ的概念でものごとを語りたがるのはたいてい無理をしているのであり、結局、どうしても幼いころより主に教養ある家庭で育ち「生長の家」を信仰していた祖母によって触れていた日本というものに行きつかざるを得ないことがわかってきた。このことは例えば、同様に生長の家の信仰をもつ祖母に育てられた三島由紀夫が、ニーチェの『悲劇の誕生』に大きな影響を受けつつも結局は終生「日本」と「太陽」と「美」という問題に関わらざるを得なかった問題に比定できるであろう。
 生長の家とは、あの籠池夫妻も信仰していた新宗教で、ニューエイジ以前に類似した役割を担ったニューソートの系譜である。谷口はもともと早稲田大学の文学青年・哲学青年であり、出口なおの創始した「大本」に入信し、その予言であった「立て替え」が来なかったことから離脱し、戦間期の1930年に自ら、雑誌『生長の家』誌を立ち上げた。なお、日本で最初にフロイト著作集を出したのはこの生長の家の出版社である日本教文社である。
 一貫して「精神分析」を嫌悪していた三島だが、60年代に入りユングの著作を作品に援用するようになっている。『美しい星』や『音楽』を読まれたい。そうした三島は昭和44年、生長の家教祖の谷口雅春著『占領憲法下の日本』の序文に文章を寄稿し、以下のように語る。全文を掲載する。

          本書に寄せる
                                          三島由紀夫

 谷口雅春師の著書『生命の実相』は私の幼時、つねに病める祖母の枕頭に並んでゐた。
燦然たる光明の下に生命の芽の芽生えるその象徴的デザインは、幼い私の脳裏に刻まれてゐた。
 それから四十年、俄に身辺に、谷口師に私淑してゐる人たちを見出すやうになったのである。つい先頃も、「生長の家」の信仰を抱く二三の学生が、私の自衛隊体験入隊の群に加わったので、親しく接する機会を得た。かれらは皆、明るく、真摯で、正直で、人柄もよく、しかも闘志にみちみちた、現代稀に見る好青年ばかりであった。そして、「もし日本に共産革命が起きたら、君らはどうする?」という私の問に、「そのときは僕らは生きてゐません」といふ、最もいさぎよい、もっともさわやかな言葉が帰ってきた。これだけの覚悟を持ち、しかもかういふ明るさを持った青年たちはどうして生れたのだらうか、と私は愕いた。現代の汚れた常識人は、そんな青年は物語の中にしかゐる筈がないと笑ふであらう。又、敗戦後に生れた現代青年が、無視し、あるひは避けてとほる天皇の問題についても、この人たちは、素直な、実に自然な受容の態度を示してゐた。天皇は日本民族の存立と自立の自明の前提として理解されてゐた。
 私は再び問うた。こんな青年がどうして生まれたのだらう?
 かれらは谷口雅春師に対する絶対の随順と尊崇を抱いてゐた。私はどうしても、師のおどろくべき影響力と感化力、世代の差をのりこえた思想の力を認めざるをえなかった。私どもがいかに理論を持つて青年を説いても空しいのである。
 私も亦、言葉により文字によつて世を渡る人間の一人である。もし谷口師の著書だけによつて師に近づけば、そこに当然疑ひも生じたであらう。しかし現実に、その信仰と思想の生きた結実を見せられると、もはや疑ふ余地を失つた。
 なぜなら信仰とは、個人の魂の内部に起る「全体」との融和感合一感であるから、その個人の魂の個的自覚を経過しない人間には、信仰者の外側にあらはれた行動の形でしか、判断しやうがないからであり、キリスト者の殉教は、そのやうな意味を担つてゐたのである。
 このたび谷口雅春師の『占領憲法下の日本』といふ、憂國慨世の書を読むに当り、私は殊に、その「生命体としての日本国家」の章に深く感動した。これこそ久しく私の求めてゐた日本の国家像であり、生命体としての個的自覚と、生ける全体とをつなぐ唯一の橋が、ここに語られてゐると思はれた。
 現代に政治を語る者は多い。政治的言説によつて世を渡る者の数は多い。厖大なデータを整理し、情報を蒐集し、これを理論化体系化しようとする人は多い。しかもその悉くが、現実の上つ面を撫でるだけの、究極的にはニヒリズムに陥るやうな、いはゆる現実主義的情勢論に堕するのは何故であらうか。このごろ特に私の痛感するところであるが、この複雑多岐な、矛盾にみちた苦悩の胎動をくりかへして、しかも何ものをも生まぬやうな不毛の現代世界に於いて、真に政治を語りうるものは信仰者だけではないのか?日本もそこまで来てゐるやうに思はれる。
『占領憲法下の日本』には、幾多の政治的事象がとらへられ分析されてゐるけれども、それらは決して現象論でもなければ情勢論でもない。すべては烈々たる精神の顕現である「生命体としての日本国家」に集中してゐるのである。私はこの書によつて自信と力を与へられたと感じ、この書がただ「生長の家」の信仰者ばかりでなく、ひろく江湖に迎へられることを望む者である。       
 
  昭和四十四年四月

『占領憲法下の日本』,谷口雅春

 ここに、三島の単純な憂国ではなく、「内的体験」としての信仰への、また、真のキリスト者への、ニヒリズムを超克する政治への期待が伺えることは指摘することができる。しかし、問題は三島も述べている「個的自覚」であり、大雑把でなんの実効性も個体を動かすような力もない、すなわち結局はまたあのニヒリズムに舞い戻るような直線の全体論ではない。三島は、「個人の魂の内部に起る「全体」との融和感合一感」を語っている。そうして、わたしの「信仰」の原体験は、どうしてもまさに祖母から教えられていた生長の家の「超越」と「神」と「光」なのである。そうした「西洋」と、東アジアに位置づく「東洋」は、生長の家と祖母と実家の中で違和感のない調和を果たしていた。まさにわたしが継承して所有している『聖経 甘露の法雨』が、わたしには霊力をもって感ぜられ、それは「超越の超越」を説きながらも金色をほどこした経典の形になっている。ここに、「ニューエイジの旗手」シャーリー・マクレーンの主著などがたんなるペーパーバックであったことと、日本化を果たしたニューソートとの対比を指摘できる。三島は、若い日の作品から最晩年の『豊饒の海』におけるラストシーンまで、一貫して「太陽」に固着した。或いは三島の、強烈な男性性への志向と、日本における「太陽」との<性>的関係としての対幻想は、あの大阪万博後の1970年11月25日の、国家との対幻想における自決のキーポイントかもしれない。三島が最後に読んでいた本は、死刑が確定したソクラテスの最期を描くプラトンの『パイドン』だそうである。古代ギリシア哲学研究者の納富信留は、ソクラテスの自殺を特攻に繋げて話していたことがあった。このあたりの人間心理については、『きけわだつみのこえ』などを読まれるとよいかと思うが、「わだつみ」とはもちろん日本における海神である。
 そして問題は、お盆でわたしに先祖が帰ってきてしまったことである。お盆など意識もしていなかったが、プライミングなどの心理効果は日ごろから強くあるもので、おそらくキリスト教信仰によって霊的に開かれてしまったために、かえって敏感になってしまい、涙が止まらなかった。これが、わたしの言う「手続き記憶」としての「エートス」である。ちなみにこの語は、アリストテレスが定式化したもので、古代ギリシアでは「性格」とか「習慣」などの、こんにちで言う「手続き記憶」に近いものを意味したが、元来は「いつもの場所」という意味である。こんにちでは、青年期に入り霊的に閉じてしまう人が多いが、実際には、この東アジアの辺境の「いつもの場所」はわたしたちの中に伏在して、しかもいつもはたらいていることを忘れてはならないのである。しかも、それは「手続き記憶」であり、いわば自転車に乗るような記憶なので、習俗を廃止して容易に終わるようなものでもなく、また幾世代か表面上抑圧しても文化やディスクールの中に流れ、なにかの拍子にすぐに噴出してくるものである。近頃でも新海誠や宮崎駿のアニメ映画には色濃く「日本文化」が見受けられるし、吉本隆明の『共同幻想論』などを挙げてもよいが、無理に長期間抑圧した期間があっても、元型はすぐに戻ってくる。その点では、東浩紀の『動物化するポストモダン』における「疑似日本論」は的を外している。「敗戦の傷跡を隠し、黒船と敗戦の二重の断絶を隠蔽し、さらにアメリカ産の材料で作られた日本のオタク系文化を隠蔽するために持ってこられたのが「日本の伝統」風の、巫女などの素材だ」というのがその要旨であるが、実際には、おそらく事態はそれほどまで単純で表層的な、国家アイデンティティ程度の甘い問題ではない。東は、事態を矮小化することで読者を甘やかしているところがある。わたしは、先にも述べたように、意識化されなくとも伏在してはたらく文化の原像を信じる者なので、それを明らかならしめて書き換えることの重要性を主張する立場で言論を展開しているところが強いのである。
 ここで東は、コジェーヴを引用し「日本文化のスノビズム」を論じるが、実際に、現代においてもこれは引き継がれているところがある。元来、日本には確かにスノビズムがあったが、それが顕在化したのは安土桃山時代の千利休の時代などであろう。しかし、それはその時期、日本に南蛮文化が伝来し、そこから生まれたようなところがある。それが、江戸時代に日本化した。そこで「礼節」を重んじる儒教との関係のなかで体系化したところがあるが、

 吉本隆明の『共同幻想論』にも「巫覡論」や「巫女論」、また「起源論」があるが、そちらのほうがより広く深い文化的な観点を踏まえて描かれている。ここで吉本は、示唆を込めて芥川龍之介や柳田国男、また「邪馬台(やまと)国」に関する議論を展開するが、そのディテールよりも大要をつかむように読んだほうがよい。

芥川龍之介に悲劇があるとすれば、都市の近代的知識人としての孤独にあるのではない。都市下層庶民の共同幻想への回帰の願望を、自死によって拒絶し、拒絶することによって一切の幻想からの解放をもとめた点にあるのだ。

吉本隆明『共同幻想論』より

 わたしが、韓国人の書いた日本論である『「縮み」志向の日本人』を読んでいて思ったのは、日本文化の原像に伏流するものを、例えばドイツの美学の概念で語ることには、過度な無理をかけないといけないということであり、それはとりもなおさず、たとえ文化論をやらないまでも、日本人が自らの感性をもってなお他国の感性の上に構成された概念で語ることの無理である。確かに人類には共通して語れるものがあるはずだが、「最も普遍的なものは最も空虚である」というように、内実のあるもの、とりわけ美の概念の起源を「くはし」という、いわば言霊に「いき」が込められるような「存在の充実」にもつ日本文化については、その固有性に届きづらいように思う。すなわち、こうである。共通したものを語るさい、共通したものしか語れない。日本人は、ドイツ人ではありえない。『「縮み」志向の日本人』において、著者は「芥川のトロッコ」を引き、「芥川は典型的な日本人だったのです」と主張している。さかんにドイツ語をそのまま作品に使用した芥川だったが、彼の精神性は確かに典型的な日本人だった。そうして彼は吞み込まれるような発病のなか、自殺した。ここに知識と知恵が必要である。

 わたしの、とくに印象深い思い出に、福岡の繁華街「天神」に出かけていた時に交差点の信号機に流れていた「通りゃんせ」の音がある。もう一方では、「故郷の空」が流れていた。これはわたしにとっての原像としてわたしに伏流している音である。「通りゃんせ」の伝えるところでは、かつて日本では「七つのお祝い」と称して、「天神様」にお札を納めていたようである。この歌詞の情趣を直観できず、わけのわからない都市伝説が普及されている昨今を見つめると、思うところはある。それよりは、「廃れた神社の鳥居潜る 光がないのに目が眩む」と歌い、「故郷は久しくなりますが もう戻れないのです」と表現する現代音楽の「あさやけもゆうやけもないんだ」(夏毛)のほうが、現代青年には訴求力があるように伺っている。ところで、この楽曲をわたしに教えてくれた、ドイツ美学を志す院生の友人は、先日わたしがLINEで食事に誘った折、「二度と帰らない」と言っていた群馬の故郷に帰省していることが発覚した。

 こんにちの日本文化は、気を抜くと桃源郷のようなノスタルジーに吞み込まれる仕組みになっている。ユング心理学を日本的に組み替え、さらに父権に化けさせた河合隼雄は、『母性社会日本の病理』などで、日本神話の物語性を父権的に変えていくようなことを語っている。河合隼雄は、わたしの祖母と母が共通して読んでいた。わたしの母からは、母の生前、「日本の男の人たちはみんなお母さんが好きなんだからね」という警句のような知恵を貰っている。その時期に同時に、わたしには『孟子』を勧めていたし、それ以前には「木火土金水」という「五行思想」を刷り込まれている。孟子は易姓革命を主張する、神殿ならぬ「社稷」の「建て替え」を主張する儒家である。

 ここまで述べてきた全体の統一性としての、文化にみられる「縮小」と「拡大」の分裂性を直観できるだろう。わたしたちは、いつも心理的に拡大したいと思っている。しかしそれは本当は自明なことではない。心理的には、「縮小」が「安心の原理」だとすれば、「拡大」は「自由=責任の原理」である。しかし、人の心理性はどうもそう大量の情報からはできておらず、そのつど立ち上がる一つ一つの参照イメージや参照文などで成り立っているようだ。だから、無理に拡大しようとするよりも、なにか定まった対象を尊敬すること、これに尽きるのではないかと考える。


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