偉人を研究することについて
寄稿者:黒井瓶
小便について
江戸中期の戯作者に木室卯雲という人物がいます。彼が著した『鹿の子餅』という笑話集の中には、「小便」と題された次のような小咄が収録されています。
少々下品ではありますが、僕はこの小咄をとても好ましく思っています。笑える上に弁証法的ですらあるからです。
この小咄の弁証法的性質を詳しく説明しましょう。「便所」という目的と主体との間には当初「雨戸」という障壁が存在していました。そして主体は、「障壁が消え去れば主体は目的に到達できる」という考え方のもと、障壁を消し去るために敷居に小便を引っかけました。しかし「障壁が消え去れば主体は目的に到達できる」という考え方は誤っていました。障壁としての雨戸が消え去った時、目的としての便所もまた消え去ってしまうからです。物体としての便所それ自体は相変わらず存在していますが、「物体としての便所」と主体との間にはいかなる結びつき(用)もありません。先ほどまで存在していた「目的としての便所」との結びつき(用)を失った主体は、「さて、何の用もない」と呟いて一人途方に暮れるしかないのです。こうした構造ゆえでしょうか。この小咄からは、面白さだけでなく一抹の「虚しさ」のようなものすら感じられます。
さて。本稿において僕は「偉人を研究することについて」という大それたテーマを論じたいと考えています。そのような大それたテーマを論じるにあたって、なぜ僕は小便にまつわる小咄などを取り上げたのか。僕は、「偉人を研究する」という行為には、先程の小咄のような「虚しさ」がつきものだと思っているのです。
俗流××主義
なぜ偉人を研究するという行為には虚しさがつきものなのか。そのことを考えるために、ここからはより具体的な例を想定して話を進めたいと思います。
今ここに哲学を志す一人の青年がいるとしましょう。彼はニーチェに興味を持っています。しかし彼は未だニーチェの著作を読んだことがありません。彼は、「超人崇拝」や「君主道徳」といった聞きかじりの謳い文句を通してしかニーチェを知らないのです。しかしそれでも彼は「超人崇拝」や「君主道徳」を唱えた哲学者としてのニーチェに魅了されています。そして次第に彼は、まさにそのような哲学者としてのニーチェを深く知るために、ニーチェの著作やニーチェについての研究書を読むようになります。
ニーチェの著作やニーチェについての研究書を熟読するうちに、青年は自分が今までニーチェの思想だと思っていたものがニーチェの思想を一面的に切り取ったものでしかないことに気付きます。彼がニーチェだと思っていたものはいわば「俗流ニーチェ主義」だったのです。
世間一般に流布されているニーチェの虚像とニーチェの実像との乖離に気付いた時、青年はどちらをより価値の高いものと見なすか判断を迫られます。今まで親しんできた虚像としてのニーチェか、たった今目の前に現れた実像としてのニーチェか。
多くの人は、前者を選ぶよりも後者を選ぶ方が学問的には誠実な態度だ、と考えるでしょう。そのような人たちは件の青年に対し、「あなたはあなたが知るに至った『実像としてのニーチェ』の姿を、未だ『虚像としてのニーチェ』に留まっている人々にも教えるべきだ」と勧めるかもしれません。たしかに実像というものはそれが実像であるという時点ですでに虚像よりも優れています。さらに言えば、その内容においても「実像としてのニーチェ」の思想は「虚像としてのニーチェ」の思想よりもずっと深遠なのでしょう。そのように考えると、実像か虚像かという二者択一において実像を選ぶのは当然のことのようにも思えてきます。
しかし、その選択は本当に当然のことなのでしょうか。
青年は当初「虚像としてのニーチェ」に惹かれ、「虚像としてのニーチェ」を通してニーチェ研究へと向かっていきました。「虚像としてのニーチェ」は青年(主体)が実像(目的)に到達することを阻む障壁であるとともに、青年(主体)にとっての目的そのものでもあったのです。「虚像としてのニーチェ」が消え去れば「目的としてのニーチェ」も消え去ります。青年の目の前には「実像としてのニーチェ=物体としてのニーチェ」があらわになっていますが、例の小咄の主人公にとっての便所と同様、青年にとってももはやそれは「何の用もない」代物なのです。
そのような考え方は感傷的な甘えに過ぎない。そう青年を批判する人も中にはいるでしょう。あなたは「どちらのニーチェがより自分にとって魅力的なのか」よりも「どちらのニーチェがより正しいのか」を重視すべきだ。それが学問的に誠実な態度というものなのだ。彼らはそのようなことを青年に語りかけるかもしれません。たしかに、いくら青年が虚像としてのニーチェに未練を抱いていたとしても、虚像が虚像であり実像が実像であることに変わりはありません。それでは、やはり青年は虚像としてのニーチェへの未練を捨てるべきなのでしょうか。虚像としての××と実像としての××があった時、僕たちは常に後者をより価値の高いものと見なさなければならないのでしょうか。
そうではないと僕は考えます。ある意味において、虚像としてのニーチェは実像としてのニーチェ以上に「偉人としてのニーチェ」の真理なのです。
古今東西、哲学的に物事を考えた人物は数え切れないほど存在します。それではなぜ、そうした数知れない先人の中から僕たちはわざわざニーチェやマルクスやフロイトの著作を選び取るのでしょうか。「彼らが他の無名の人々よりも価値の高い思想を説いたから」という答えは誤っています。彼らの著作を読まずして彼らの思想の価値を判断することなど出来ない以上、僕たちは彼らの思想が本当に優れているのかを知る以前に彼らの著作を選び取っているのです。それでは、僕たちはなぜ他の無名の人々の著作ではなくニーチェやマルクスやフロイトの著作を手に取るのでしょうか。乱暴に言ってしまうと、ニーチェやマルクスやフロイトが「偉人」だからです。さて、ある人物が「偉人」であるとはどのような事態を指すのでしょうか。
ある人物が「偉人」となるためには、その人物は「名声」を獲得しなければならない、そう僕は考えます。「常人には成し得ないことを成した」ということを人々に知られることで、その人物は偉人と見なされるようになるのです。しかし、学問や思想といった領域においてこの「名声」という概念はしばしば厄介な矛盾を生みます。前述のメカニズムを言い換えるならば、学者や思想家は「常人には知り得ないことを知った、ということを常人に知られる」という矛盾した過程を経なければ「偉人」になり得ないのです。こうしたいびつなプロセスによって「俗流××主義」は生み出されます。多くの場合、俗流××主義は本来の××の思想よりも単純素朴にして一面的です。そうした俗流××主義の性質はある意味では欠点であるとも言えますが、文化的模倣子(ミーム)としてはしばしば本来の××の思想よりも高い力を発揮します。ある学者や思想家が偉人と見なされる過程においては、本来の彼らの思想よりもそうした「俗流××主義」の方がしばしばより大きな役割を担っているのです。俗流ニーチェ主義や俗流マルクス主義や俗流フロイト主義がなければ、ニーチェもマルクスもフロイトも偉人と見なされることはなかったでしょう。
このように考えていくと、「偉人としてのニーチェ」を考えるにおいては「実像としてのニーチェ」よりも「虚像としてのニーチェ」の方がずっと重要だ、という捉え方が出来るようになります。そして件の青年は最初から「物体としてのニーチェ」ではなく「偉人としてのニーチェ」を求めて研究をしていたのです。そのような目的意識を持った人間が「実像としてのニーチェ」ではなく「虚像としてのニーチェ」を選ぶことに一体何の問題があるのでしょうか。そもそも僕たちは皆「偉人としてのニーチェ」という障壁なしには「物体としてのニーチェ」に興味を持つことすら出来ないのです。そうした状況下において「虚像としてのニーチェ」よりも「実像としてのニーチェ」により高い価値を置く人たちは、ニーチェ研究という自分たちの行為が「虚像としてのニーチェ」にまるっきり依存しているということを自覚していないのでしょうか。
今まで僕はニーチェを例として語ってきましたが、研究対象となる偉人をイエスやブッダに置き換えるとこうした僕の論理はより分かりやすいものとなるでしょう。「虚像としてのイエス/ブッダ」よりも「実像としてのイエス/ブッダ」に高い価値を置く人たちにとって、キリスト教や仏教の教義は「虚像としてのイエス/ブッダ」の累積でしかありません。しかし、そうした「虚像としてのイエス/ブッダ」の累積が存在しなければ、現代人が「実像としてのイエス/ブッダ」を研究しようと志すことなどなかったでしょう。「実像としてのイエス/ブッダ」を目的とする人たちは「虚像としてのイエス/ブッダ」のことを単なる障壁と見なします。しかし、そうした障壁が存在しなければ、そもそも現代の僕たちと「実像としてのイエス/ブッダ」の間に結びつきが生じることなどなかったのです。
ある人物が偉人と見なされているという事態はその人物の実像ではなく虚像によって支えられています。だからこそ僕たちは偉人を研究する際、必ずその人物の実像だけでなく虚像をもその人物の「真理」と見なさなければならないのです。
小便ふたたび
かつてニーチェを愛していた青年は、ニーチェの虚像ではなく実像を追い求めた結果、かえって「さて、何の用もない」という「虚しさ」に陥ってしまいました。このような「虚しさ」に陥らないために、青年はいかなる選択をするべきだったのでしょうか。
冒頭の小咄に戻りましょう。障壁としての雨戸が開くまで、主体と「目的としての便所」との間にははっきりとした結びつきが存在していました。しかし障壁が消え去ると同時に、主体は「目的としての便所」をも見失って途方に暮れてしまいました。雨戸の外にはたしかに「物体としての便所」があったのですが、それは主体にとって「何の用もない」代物だったのです。さて、なぜ「物体としての便所」は「何の用もない」代物と化してしまったのでしょうか。
思うに、この小咄の主人公は「便所」なるものへの認識を変えるべきだったのです。一般に僕たちは、「物体としての便所」の機能が備わっていれば即ちそこが便所である、といった風に便所なるものを認識しています。しかし、いくら「物体としての便所」の機能が備わっていたとしても人がそこで用を足さなければそこは便所であるとは言えません。人が用を足すことによってそこは便所となるのです。この小咄において「物体としての便所」は真の便所としては機能していません。むしろ僕たちは、「物体としての敷居」こそがこの小咄においては真の便所として機能している、ということを理解しなければなりません。
そして僕は、ニーチェを愛する青年にもこのような発想の転回が必要だったのではないか、と考えます。便所を「目的としての便所」たらしめているのが「物体としての便所」ではなく僕たちの尿意であるように、ニーチェを「偉人としてのニーチェ」たらしめているのも「物体としてのニーチェ」ではなくニーチェに対して僕たちが投げかけている欲望なのです。「目的としての便所」を「目的としての便所」たらしめている本質が「尿意」という形で僕たちの内面に存在しているのだとすると、「偉人としてのニーチェ」を「偉人としてのニーチェ」たらしめている本質もまた何らかの形で僕たちの内面に存在しているはずです。そして僕は、そのような「偉人としてのニーチェ」の本質を「俗流ニーチェ主義」と呼びます。最初にニーチェの存在を知った時点で、すでに青年は「偉人としてのニーチェ」の本質を掴み取っていたのです。まさにそのとき青年に対して伝えられたような「虚像としてのニーチェ」がなければ、ニーチェは偉人になれなかったのですから。
一点忠告しておくと、この文章で僕が展開した論理は「一人ひとりが自分なりのニーチェを持っていていいんですよ、そのどれもが正解ですよ」という相対主義とは全く無関係です。僕たちに対して「尿意」という感覚がある程度似通ったものとして与えられているように、「俗流ニーチェ主義」もまた僕たちに対してある程度似通ったものとして与えられています(尿意とは若干与えられ方が異なりますが)。また、ニーチェであれマルクスであれフロイトであれ、ある人物の思想が「俗流××主義」へ変質する際には必ず似たような単純化・図式化が起こります。実像から虚像が生じるメカニズム、偉人が偉人となるメカニズム、これらはすべて厳密な学問によって論じ得るものだと僕は確信しています。僕は、そのような「厳密な学問」を準備するために、まずは現象として僕たちに与えられた「虚像としての××=偉人としての××」を肯定したいのです。
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