シャニPは平成ウルトラマンである話
変身するとかではなく。ええ。
主にシャニPの立ち位置について、イベントシナリオやG.R.A.D.系のシナリオを踏まえて平成ウルトラマンと比較しながら語ってみたい。
平成ウルトラマンに多い描き方
まずはウルトラマンティガを代表とする平成ウルトラマンシリーズにおいて、筆者の好きなストーリー展開について記す。
まずはウルトラマンティガ第6話・セカンドコンタクトについて──
この回では古来から地球の大気中に住んでいた微生物クリッターが、人間の機械製品が放つ電磁波によって突然変異し、巨大怪獣ガゾートへ進化する所から始まる。
元々は地球に生息する生物でありながら、古代怪獣とは違い、人間の文明が近代化したことにより新たに遭遇する怪獣となるガゾート。
同じ地球に住む生物として闇雲に排除するのではなく、共生の道を探り「人間は友達だ!人間を襲わないでくれ!」とコンタクトを試みる。
しかしクリッターには解明されていなかった特性があり、それこそが"共食い"であった。
つまり友達だから争いたくない!と訴えた人間は、この瞬間からガゾートにとって共食いにおける捕食対象となってしまったのだ。
次はウルトラマンガイア39話・悲しみの沼のケースについて──
人を引きずり込む魔物が出ると噂される沼において、1人の老人が守人として佇む。
その老人に害意を加えようとする者が現れると沼から触手が飛び出し、人間を引きずり込もうとする物語になる。
実際に沼には怪獣ツチケラが隠れるように住んでいて、なんとこの怪獣ツチケラは元々人間が戦時中の実験において変異した怪獣であり、守人の老人は元親友なのだと言う。
本来人間ほどのサイズだったツチケラは、人間が怪獣を地中で倒すための地底貫通ミサイルの発射において、ミサイルに積み込まれた化学兵器の影響で巨大化、理性を失い暴れる事になる。
怪物になってしまった元親友への贖罪から、攻撃を止めるよう促す老人。不死身の身体が暴走し理性を失って暴れる怪物。老人の心も守りつつ暴れる怪獣をどう止めるのか。
以上の2つのように、簡単に倒せば終わりではない物語だけに、どういった決着を付けるのかが見所になるのが平成ウルトラマンの醍醐味である。
ウルトラマンという舞台装置
近年のウルトラマンにおいては、主人公の成長物語としての描き方がベースになっている。
初めて光を手にした人間が、右も左も分からず1歩ずつ新たな力を獲得して強くなっていく様は、従来の空想科学特撮というジャンルよりも、ロールプレイングゲーム方式に近いだろう。
しかし平成ウルトラマンは似て非なる方式をとる。
始まり方は同じようなものであるが、平成ウルトラマンのヒーローとしてのウルトラマンは、人間ドラマを進める為の舞台装置なのだ。
ティガに関しては主演俳優のスケジュールの問題を差し置いても、基本物語の主役になるのは他の隊員やゲストキャラクターが多い。
例えばガゾートの件に関しては、人間のせいで災害を引き起こす巨大な怪獣になってしまったガゾートに対して対話を試みる人間。
そしてそれを受諾したものの、そもそも共食いの習性があるために人間を捕食対象のエサと認識してしまったすれ違いのドラマがある。
ツチケラの件に関してもそうだ。戦時中の実験で怪物へ変貌してしまった元人間とその親友。怪物と人間のドラマがあり、そこにすれ違いが起こる事こそがドラマの主軸なのだ。
そこに主人公がどう思うか、どう考えるかという主人公としての芯を描く回も多少はあれど、基本的には人間と怪獣のドラマなのである。
そこに対してウルトラマンは物語の針を進めるための舞台装置として動き出す。
人間側には犠牲を出したくないという事情があり、怪獣側にも出現した理由が人間のせいであったり、人間とは違う価値観から衝突する理由がある。
その中で人間が最大限犠牲が出る寸前まで頑張った時に現れるのが光の巨人なのだ。
物語には起承転結という役割が置かれることがある。
人間側の事情(起)→怪獣の出現(承)→怪獣側の意外な事情やピンチ(転)→怪獣との遭遇を経て得られた教訓(結)という描かれ方というベースがある中で、
これ以上は犠牲が出るという手前の承・転の部分で被害を食い止める為に奇跡を起こすのがウルトラマンの役目となる。(また、転の部分で人間自身がピンチを挽回することも多い。)
つまり平成ウルトラマンにおいては自然災害を空想科学的に比喩したような怪獣に対して、あくまで立ち向かうのは人間なのである。
その中で竜巻を消す、火災を鎮火するといった大いなる奇跡を起こす災害そのものへのカウンターパートがウルトラマンであり、そこから成長するのは主人公だけでなくあくまで人間なのだ。
シャニPがアイドルへ問いかけるもの
シャニマスにおいても基本的にはアイドル側のスタンス、アイドルを起用する企業や番組側のドラマによるすれ違いを描くことがある。
例えば千雪のG.R.A.D.編──
中盤終盤のネタバレは伏せるが、千雪はG.R.A.D.において番組の企画でチャリティーオークションに参加。アイドル桑山千雪の手作り雑貨をオークションに出し、それがとんでもない額をたたき出す所から始まる。
果たして自分にそんな価値があるのか?そんな疑問から千雪は"アイドル桑山千雪"ではなく、"一般人・C.K"として同様の作品を出品する。
当然だが商品には"ネームブランド"というものが少なからず存在する。
例えば洗濯洗剤においてもCMによる宣伝や、長く売り続けた事による知名度で人気を博した有名商品はいくつもある。
たが中には有名メーカーの商品ではないだけで、成分表を見ると殆ど有名商品と性能は変わらないにも関わらず安価であまり売れないメーカーの商品といった物も実はある。
千雪はそういった自身の"ネームブランド"と自分の価値という見方に苦悩することになる。
ネタバレになる部分には触れないが、シャニPが千雪の悩みが行き詰まった時に言葉を渡す。
決してシャニPは突然湧いて出たパワーアップアイテムで多額の金を使えるようになってC.Kの出品した商品に多額の金を注ぎ込んだり、シャニP自身が企画を倒して終わる物語ではない。
シャニPはあくまで桑山千雪が前に進む為のヒントや言葉を授ける舞台装置として機能し、前に進むのは千雪自身なのだ。
次にイルミネ2つ目のイベント、Catch the shiny tailをネタバレにならないよう触れる。
今作において櫻木真乃はトラブルに見舞われた際、灯織の提案とめぐるの行動力に救われる事となる。
元来引っ込み思案な真乃は「しっかり者の灯織や、ムードメーカーのめぐるではなく、どうして自分がユニットのセンターなのだろう?」と深く悩んでいくこととなる。
真乃は灯織にもめぐるにも悩みを打ち明けられないまま1人で自分の価値に悩み、これ以上前に進めない壁に立ち止まることになる。
そんな時にウルトラマンシャニPが解決の糸口を与え、真乃は自身とイルミネの2人と共にその答えを見つけていく事となる。
2つのドラマに共通するのはやはり、シャニPは確かに人間・アイドルに寄り添うヒーローであること。しかしながらヒーローであって主人公ではないという所だろう。
あくまで物語に挑むのはアイドル自身、解決するのもアイドル自身。そこから成長するのもアイドル自身なのだ。
そうなると、平成ウルトラマンにおいて解決するのは人間ではなくウルトラマンになるのではないか?という疑問もあるだろう。
そう、平成ウルトラマンは別名「人間ウルトラマン」と呼ばれることもある。
つまりウルトラマン自身もM78星雲から来た謎の宇宙人ではなく人間そのものであり、光の力という奇跡が物語を進める舞台装置なのだ。
終わりに
結論をまとめると、イベントシナリオにおけるシャニPは平成ウルトラマンにおける光の力のような舞台装置としての立ち位置であり、
育成シナリオでアイドルと二人三脚で進む時のシャニPは正しく人間ウルトラマンに近しい描き方をされていると、個人的には考える。
近年のウルトラマンのようなただ怪獣を倒す快活劇ではなく、空想科学においてこういう怪獣が出てきてそこには人間自身が生み出した亀裂というものがあるかもしれない。という前提で生まれるドラマに立ち向かっていく。
そんな描かれ方の類似性を見出してしまったからこそ、平成ウルトラマンで育った筆者はシャニマスとシャニPを好きにならずにはいられなかったのかもしれない。
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