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ダイナファンから見たウルトラマンデッカー感想。

こんばんは。

今回はウルトラマンダイナというヒーローが世界で一番好きなオタクが、ウルトラマンデッカーという作品の思い出を書き連ねようと思います。

良かった点、悪かった点、どちらも書くと思うので、悪く言われるのが我慢ならん!という方はここで引き返してくださいね?


■放送前の印象

まずお話しなければならないのが、自分はティガからのファンとして前作のトリガーが全く肌に合わなかった人間ということ。

そのため、今作も決してダイナ世代を懐かしい気持ちに──ウルトラマンダイナを好きでよかった。と思わせてくれる作品にはならないだろう、と予防線を張りながら向き合いました。

フラッシュタイプのデザインが発表された時、下半身が割とダイナそのものに近いデザインだったことに驚きました。これは素直に嬉しかったです。

登場人物やキャストが発表された時、ウルトラマンサーガの時と同じキャスト・同じ役名のサワ副隊長を見て、サーガに関する話が展開するのではないかとワクワクしたのも今となってはいい思い出。

頭を抱えたのはHANE2の設定。

原点においてハネジロー(ムーキット)は、母星の壊滅による新たな新天地を求めて放浪の旅をしていたファビラス星人が、放浪の疲れから地球人全てを放浪用の宇宙船に収容し、自分達が地球を母星にするという強硬手段に出ようとした際、

自身もファビラス星の出身で迷子だった所を地球人に救われたことから、地球人に優しくしてもらった事をファビラス星人に訴えかけ、言葉で星人を説得して放浪の旅に同行する事を決めたまさに「平和の象徴」だったのです。

それが今作において「戦闘機の攻撃補助システム」に当てはめられた時、きっと丁度いいマスコットが居るから当てはめておこう──くらいの気持ちであてがわれたのだな、と少し悲しい気持ちになりました。

また、恐らく声優さんの声が収録されたHANE2の玩具が出るだろうと予想した時、その声優さんが男性声優だった事にも驚きました。

一販売業を生業としていた身として「これが今をときめくウマ娘の声優さんを使っていたらどれだけ売上が伸びただろうか…」と、ここ数年の声優さんの使い方が下手くそな円谷プロやスポンサーの悪い所が出たなと思ったのが印象深いです。


■放送前期の印象

前述の通り、去年のことやHANE2の事を鑑みて懐かしい気持ちになるのは諦めよう。例えまた昭和怪獣を懐かしむ回が唐突に挟まっても心を無にしてカナタ達のドラマを観よう……

そう決意しながら観た印象は「キャラ売りをせずにドラマ売りをキチンとしているな」でした。

近年は円谷に限らず、字幕付きの本編キャプチャー画像(いわゆるミーム画像)をSNSに拡散し、話題性を取る「掴みはオッケー!」を序盤でやるヒーローものが顕著な印象でした。
(目が合って縁が出来るやつとか、普通のホモサピエンスには使えないとか頓珍漢な台詞を字幕に残せるようにするため)

そんな中、安易な決め台詞や話題になりそうな台詞に頼らずにカナタたちの入隊までを丁寧に描いていたのはとても良いスタートをきったな、と。

また、ずっと市街地戦が続いた昨今において、夜の湖畔・地底・宇宙(月面)などトリガーの坂本監督ばりに様々なフィールドで戦ってくれたのはとても嬉しかったです。

正直昼の市街地戦はもう食傷気味ですし、肌感覚でいうとダイナが1番色んなフィールドで戦ったウルトラマンなので。


個人的に好きな回はネオメガスの回。

原典のネオザルスは持ってこれなくとも、複数の怪獣を倒し、人が制御できない力を強欲に操ろうとする当時の本質をキチンとオマージュされていた点。

サワ副隊長がデッカーの手に乗る構図の良さ等は「旧作の良さと新作としての良さ」を併せ持った、お手本のような回だったと感じます。


当時の懐かしさを感じるのは諦めると決意しながらも未練が残るのはグレゴール人の回。

当時ウルトラマンダイナでスーツアクターを演じた中村浩二さんがゲスト出演し、今度はダイナとして戦ったグレゴール人の方を演じるという夢のようなシチュエーションでした。

しかしながら行われたのは当時のニセダイナ回を真っ向から逆張りする脚本。

・人々の声援を受けて立ち上がるのはダイナ
・ダイナ逆転の際に主題歌が挿入歌として流れる
・ダイナはタイプチェンジの回数が限られている
・クロスカウンターで倒す

これに対して

・人々の声援を受けるのはグレゴール人
・坂本監督の十八番なのに主題歌は戦闘中流れない
・初めてデッカーが複数タイプチェンジをしてしまう
・メカの新必殺技で倒す

オマージュどころか真逆ではありませんか?

例えばBパートでレッドキングにグレースコールを受けるシーンがあったので、Cパートでスフィアレッドキングに打ちのめされるグレースが

再び市民のグレースコールで立ち上がるカットを、当時のダイナが立ち上がるカット割りを使って挿入するだけで自分は泣きながら神回認定していたと思います。(グレースの中の人が中村さんでなくとも)

この回で「ああ、ダイナと向き合うのが製作陣の枷になってるどころの話ではなく、ダイナという作品と向き合うのが一部の製作陣にとってコンプレックスなのだ。」と感じるようになりました。

きっと比較されるのが怖くて別物にしようと足掻いた結果、真逆になり過ぎて比較するととんでもないことになるのだ、と。


また、ガッカリしたのはモンスアーガーの回。

これもまた脚本陣がダイナを知らないし知ろうともしないのだと感じた事の1つで、原典を知ろうとしない事が一つの引き出しの少なさを感じますが、モンスアーガーを使って行われた設定がギャラクトロンの縮小版だった事がとても残念です。

原典においてモンスアーガーとハネジローといえば、レッドキングとピグモンのような関係性にあたります。

あの回にモンスアーガーとHANE2が同時に存在したにも関わらず、オマージュの一つも無かったことから「ああ、オーブの頃からティガの要素が全然出なかったのはそういう事か。」と、冷めた気持ちに変わっていった記憶が蘇ります。

らごんさまもガイアのルクーの回の永田を引き戻したENDのような斬新なようで二番煎じでしたし…


しかしながら前作がテレビスタッフとドラマを演じられるキャストを揃えた豪華なヒーローショーだったのに対し、

人間が頑張った後の切り札としてウルトラマンという光が最後に輝く構成は、平成ウルトラマンへの原点回帰を感じさせる懐かしさに浸れたように思います。


■放送後期の印象

放送後期ではデッカー・アスミの登場やダイナミックタイプへの強化がありました。

放送当時の盛り上がりとは裏腹に、自分は少し複雑な気分で見ていました。

というのも、変身者が変わる事でウルトラマンというヒーローが「乗り換えロボット」に変わってしまうからです。

トリガーダークの頃から「いやトリガーはマナカケンゴのものなのだから他の人間が使ったらロボットと一緒でしょ…」とは感じていました。

例えばヒイロ・ユイといえばウイングガンダムゼロ。というイメージは今でこそありますが、本編後半ではかなりの期間ライバル機のガンダムエピオンに乗り込み、その間ライバルのゼクスがウイングゼロに乗っていました。

こういうのはガンダムならある程度良いのです。

しかし、ティガダイナ世代に馴染み深いガンダムといえばSEEDかと思いますが、SEEDでは極力こういった「乗り換え演出」は控えたいと監督が仰られていました。


ヒーローもメカも、中の人のパーソナリティである。

「パイロット=メカ。ヒーロー=変身者を徹底することで、そのキャラのピンチや心情が戦闘や状況に通じていく。」

自分はこの通りだと思っていて、例えばマサキ・ケイゴがイーヴィルティガではなくウルトラマンティガに変身して街で暴れ出す。ダイゴがイーヴィルティガに変身してこれを止める。

そういうのもガンダムのような乗り物であればある程度有り得る展開かもしれない。しかし、それをやらない事によってウルトラマンティガ=ダイゴというパーソナリティは守られた訳です。


かつてデッカー・アスミのものだったウルトラマンデッカーの光をカナタが使い、その上でダイナミックタイプというカナタだけのデッカーに進化を遂げる。これは非常にロジカルではあると思います。ガンダムならば。

例えば、旧主人公のカミーユ・ビダンのものだったZガンダムに新主人公のジュドー・アーシタが乗り、やがてZZガンダムというジュドーならではのガンダムに乗り換えるという前例があります。


なら、ウルトラマンガイア中盤でガイアの光を失う展開を行って我夢がアグルの光を受け取ってウルトラマンアグルに変身するゾーリム回を観たいかといえば自分はNOと答えます。

やはり平成ウルトラマン、平成ガンダムに慣れ親しんだ世代としては、ウルトラマンデッカー=アスミ カナタというパーソナリティは守られてほしかったという想いが強く出てしまいました。

途中で入るインナースペースによる役者さんの芝居も全てロボットのコクピットにいるパイロットの芝居のシーンに見えてきてしまうので、ガンダムのカッコイイ殺陣だけ取り入れてくれれば…と思います。

誰でも光になれるというのはそういう事ではなく、誰もが光を選ぶことができる。そういう事のはずだと、もう一度平成三部作を観直してほしいと切に願います。

今後もしウルトラマンでガンダムをやりたいのであれば、アキトやリュウモンのようなキャラをウルトラマンに変身させて

「どうして上手く操縦できないんだ…!」ってやった後やっぱり主役が変身するみたいな展開をやるといいと思います。SEEDファンからのオススメです。


話は変わり、後半にアガムスが登場しましたが、自分はスフィアという「得体の知れないシリーズ敵」への期待も寄せていました。

というのも近年、ウルトラマンベリアルの栄光を忘れられずに「人型の姿で人の言葉で人間臭い感情を抱えたまま悪事を嘯く悪役」の連投が続いているからです。

ジャグラー、伏井出ケイ、オーブダーク、霧崎トレギア、闇の三巨人etc.

グリーザやセレブロは人間の理解の範疇を越えた悪役だった為に新鮮さを感じましたが、セレブロやけに人語を喋るために小悪党が抜けなかったですが、あの世界の空気感には合っていたなと思います。


そのため最終回まで目的を明かさず、人間とコンタクトを取らずに黙々と侵略を進めるスフィアの前半の展開には懐かしくも新鮮な気持ちで受け入れていました。

しかしそれではドラマの間が持たせられないのかアガムスという被害者が加害者に転身した悪役を出すことによって、ああ…いつものニュージェネだ…という気持ちに逆戻りした想いでした。


決してそのドラマが悪かったとは言いません。しかし最終回へ繋げるために随分とそのドラマを引っ張り、1話辺りの盛り上がりがダイナ客演以降回は薄まったなと感じました。

ダイナ客演回前後の段階で早々にスフィアがカナタとアガムスへコンタクトを取り、それに対して反論するカナタを見てアガムスが心を入れ替え、光を選ぶという展開を最終2〜3話前にやってしまった方が良かったように思います。(後述で語ります)


■最終回後の印象

最終回においてウルトラマントリガーも協力し、カナタが光を取り戻して大団円を迎える展開でしたね。

ケンゴがトリガー最終回でウルトラマンでありながら姿を消し、カナタがデッカーにおいて光を失って人として生きる道を選ぶ辺りはティガとダイナのそれぞれの最終回と逆の立ち位置になっているのは面白いなと思いました。


気になったのは最終回においてトリガーがマザーのエタニティコアの力をカナタに渡すシーン。

そもそもなんですけど、これトリガーがそのままエタニティコアの力で更なるパワーアップをしてマザーと戦う展開の方が自然だったのでは??と思ってしまいました。

前段階としてカナタはスフィアによる肉体への侵食で重傷を負い、ディーフラッシャーが消滅してウルトラマンへの変身能力を失っていました。

その重傷患者に力を取り戻させて、前線で戦わせるための理由や積み重ねがあの最終回においては全く無いのです。


言いたい事は分かります。これはウルトラマンデッカーの物語なのだから、デッカーがラスボスと戦って倒さなきゃダメでしょ、と。

逆にえばそれ以外にカナタを前線に送る理由が、カナタ以外のキャラクターに全く無いのです。そのために変身能力を失った重傷の仲間を前線に送って、再びウルトラマンとして戦わせるだけの歪なシーンになってしまいました。


ここで先程のアガムスの話になりますが、アガムスのドラマは最終章前で終わらせ、カナタが最終回に光を取り戻して戦うまでのドラマを積み重ねた方がよかったのではないかという話に繋がります。

例えば、最終回前の1話丸々デッカーを回想やおさらいAパートしか出さないくらいの勢いでドラマに全振りし、トリガーが光を渡してデッカーに変身して最終回へという構成で良かったのでは、と。

その間に「僕が代わりに戦うからカナタ君は休んでなきゃダメだ!」というケンゴを説得するため「アガムスが描いてた未来(あす)をオレが取り戻さなきゃダメなんです。アイツの笑顔を取り戻すのはオレじゃなきゃダメなんだ!」と食ってかかるカナタ。

それを見て説得されたケンゴとカナタが仲間たちに正体をバラしに行く。そんな展開が欲しかった。


もしくはウルトラマントリガーに全てを託す作戦に決定し、イチカや隊長に説得されて前線を離脱するカナタ。

トリガーが奮闘するもあと一歩及ばず、カナタが走り出す。その先にはイチカが待っていて、カナタを止めようとする。

「どうしても行くんだね…カナタ」
「ああ…これでケンゴさんが世界を救えても、今行かなかったらオレが一生後悔する。そんな気がするんだ。」

そんな熱い台詞でイチカを振り切って駆け出すカナタ。それを見た瀕死のトリガーが光(ヒカリ)をカナタに受け継ぎ、最後の力を振り絞ってデッカーに変身する。

もう少し尺に余裕を持たせて、そんな積み重ねが欲しかったなあ。と、とても惜しい最終回になったなあと思いました。

尺が無さすぎてガッツセレクトの奮戦中にデッカーフラッシュタイプが走って光線を撃つだけなのがシュールになってしまったのが凄く勿体ない…


演出面ではデッカーを全力で支援するガッツセレクトや、テラフェイザーの砲を撃ってコアを傷付けた後にデッカーがウイニングショットで決める。

そんな構図がウルトラマンダイナ最終回を彷彿とさせて良かったように思います。


あと1つ惜しいのは、ウルトラマンダイナは明日という未来へ進むお話でした。

最終回で全て倒して丸く治まって大団円なのは良いこと良いことですが、例えばガッツセレクトの皆が「スフィアを倒して地球が平和になったら何をしたいか。」そんな明日の展望を語り合う展開がどこかで欲しかったなと思います。

明日へ進むための活力、未来とはなんなのか。

そして何よりデッカーはトリガーの続編ということですし、トリガー達が取り戻した平和からこの世界をどうしていきたいか。惜しむらくはそれらを語ってほしかったなというのがあります。

この辺は劇場版に期待したいと思います。せっかく2作品続いた世界観なので大事にしてもらいたいですね。


■最後に

なんだかんだ言いながら前半はダイナと比較してしまったり、後半もドラマ重視になりながら詰めが甘いなあという印象だった自分の中のデッカーですが、ぶっちゃけTOP3に入るくらいには好きだったように思います。

令和にもなっていつまで昭和怪獣を懐かしむ話をやっているんだ。ティガを題材にして「誰が」「誰と」「何を」懐かしんでいるんだ。エックスが1番頑張っていたってどういうことだ!

と思っていた近年でしたが、ドラマ重視で特にカナタの天真爛漫なキャラが苦悩し、それでも己を鼓舞させて立ち上がるドラマは、わちゃわちゃキャラで売ってる主人公よりかなり好きになりました。


後半の感想(というか愚痴)が長くなり書けませんでしたが、ダイナ客演回は凄く好きな回になりました。(少しだけ映るラブモス可愛かった)

勿論スフィアジオモスのデザインや、実際の強敵描写やオマージュ。ダイナ側のオマージュも良かった(強いて言えばダイナの掛け声音声の入れ方が観てない人の入れ方だったなと思いましたが)。

ダイナ好きの自分がそれをさておき、カナタのドラマやキチンと作戦をブリーフィングルームでやるガッツセレクトのシーンなど、全体の構成としてデッカーのファンとして起承転結が上手い良い回だったと思います。


今後のウルトラマンに望む点として

・昭和怪獣はもういい。食傷気味越えて食中毒。
・ヒロインをもう少しヒロインさせてほしい。
・特に初代、ウルトラセブン要素はくどい。
・ウルトラマンを乗り換えロボにするのはやめてほしい。
・武器の使い方やカタルシスをゲーム系で学んでほしい。
・平成と向き合ってほしい。
・平成と向き合える制作陣にデトックスしてほしい。
・シンウルトラマンが何故売れたか考えてほしい。
・もう令和になって数年経つのでニュージェネの栄光から子離れしてほしい。

こんな感じです。

武器の使い方として、例えばシールドカリバーがシールドである必要が無かったので「光線を吸収してナギナタの威力に変える」「広範囲バリアで市民を守る」などのシーンがあればもっと売れたと思います。

これらは大ヒットゲーム・FGOのメインヒロインで盾使いのマシュ・キリエライトがやっていたり、そのゲームにおいては「普段は鎧だけど必殺技の時に武器に合体する槍使い(カルナ)」や

「必殺技の時は鍔が展開してビームソード撃ちますよという形になる剣(モードレッド)」などカタルシスが詰まった武器の使い方沢山あるので引き出しの一つとして知っててほしいこと。


あと無理やりセブン要素でカプセル怪獣出すならウルトラマンメビウスを勉強してほしいこと。

できないなら平成要素をビジネスチャンスとして売れる要素にしていくのがプロの仕事なので、引き出しが無いならキチンと平成と向き合ってほしいということを切に願います。


ウルトラマンデッカーやウルトラマンゼットのように、人間が最後まで頑張ってどうにもこうにもならない時にウルトラマンが来てくれる。

そしてウルトラマンを人間が助けることが出来る。そんな作品がもっと増えますように。

最後に、ありがとうウルトラマンデッカー!

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