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街道をゆく〜京都・大阪〜

2022年4月3日の話である。

京都にいる。 
清水寺の夜間特別参拝が明日までだと知り、急ぎ宿を手配したのが昨日のことである。後述の理由で大阪に滞在する予定であったが、その前にこの街に寄ることにしたわけだ。しかし、今さら先人たちを差し置いて歴史を紐解くわけにはいかないだろう。見て感じたものだけを記すことにする。

宿への道中である。運ちゃんと呼ぶにふさわしい。何気なく通りの名をつらつらと読み上げるのだが、声にこの町の人間らしい魅力がある。釜座通、西洞院通、小川通、油小路通…通りの名前が魅力的な町は幾つもあるが、やはりここは格別だ。

宿は昔ながらの町家の風情を残しており、安宿とは思えない香りを漂わせている。客は誰もいないらしい。荷物を置き、小休憩を取る間もなく急な階段を降りる。

さて清水寺。
見事に照らされたそれは私が見たかった通りのものであった。夜桜というものを初めて見る私にとっては、それも相俟って絶景と言って過言はない。しかし、密かに誰もいない清水寺というものを知っているだけあって、一年前にこの街で幕末の志士に扮した男はこの光景に複雑な気分を抱いている。

木屋町にいる。
歴史あるこの街にも当然、現代日本の風俗が侵食している。姿形にそぐわない物腰が柔らかい態度を取る男は、やはり目の奥が怪しく光っている。どうやら利害関係が一致しているらしい。

想像以上に広い箱である。薔薇飾りが大胆に配置されている。あの男がこんな綺麗なところに案内したことを考えると、なんだか吹き出しそうになってしまった。

隣に何人の女が座っただろうか。それすら覚えていない。しかし最後の女には印象深いものがあった。
舌を出す癖のある女だ。自分のことが可愛くて仕方がないらしい。まったく愉快であり、こういう女を嫌いになることはできない。しかし女には嫌われるであろう。

私はこの女の嫉妬心というものをまるで理解できない。見たことも会ったこともないものに嫉妬心を抱いているようだ。失笑を堪えるのに必死であった。

どうであれ長居するわけにはいかない。足早に宿に戻ると畳の香りが心地よく私を眠りに誘った。

さて金閣寺。
時間が許すようなのでここまで足を伸ばすことにした。これが通称であることぐらいは触れてもよいだろう。
堂々とした佇まいである。この美しさを眼前にし昨日の女のように嫉妬をしてはいけない。それが悲劇を産んだことは誰もが知っている。

京都をあとにする前に少し酒を飲むことにした。ハイリキの瓶が酒の味を良くしている気がしてならない。二杯も飲めば充分である。

大阪にいる。
艷っぽい髪を靡かせ、とてもこの町の出で立ちとは相容れず、寧ろ対極に位置するかの如く…尤も誘ったのは私だが…背筋が伸びている。柔らかな笑みを浮かべている。この女と会うためにここに来たのだ。

逢坂の 混じりし町の 目配せと 遥か冬雲 近くて遠し

これはかつてこの町の女に贈った歌である。今は違う女といる。女はいつでも男を緊張させる。偏見と一笑に付されるかもしれないが、心のなかでは強く信じている。

タクシーに乗る。運転手は中国人らしい。拙い中国語で話しかけると、日本語にされる。女は笑っている。

ほどなくしてタクシーを降りる。そこには私の知らない姿があった。凛とした横顔から紡がれる言葉を追うことに精一杯であり、何度か干渉してみたが強かに動かない。どうやらこの女のほうが一枚も二枚も上手らしい。
言葉は紡がれ続ける。なぜ言葉がここまで私に向けられているかが分からない。

外はすでに日が出ているようであった。私は微睡みながらも儚く優しい眼差しに包まれているようだった。肌寒さもなくなっているらしい。顔に両手の感触があったと思うのと同じくして、長い間…勿論感覚的ではあるが…無縁であった、あの艷やかな髪の香りを一瞬間に感じたあと、そこにいるのは私だけであった。

それからどれくらいかは分からない。しかし帰らねばならない時間である。顔を洗う。タオルの端が薄赤く染まっている。私はその意味を今でも考え続けている。


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