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街道をゆく〜豊橋・名古屋~

これはご時世といったものとは無縁である。読者というものを想像していないからである。
文体一つとっても、統一できるか分からない。今後、ですます体や絵文字が出てくるかもしれない。

触れなければならないことがある。標題である。
無論、司馬遼太郎さんの影響だ。彼が司馬遷に遥かに及ばない…つまり…太郎なのであれば、私は司馬遼太郎"遼太郎"といったところであろうか。

これはそんな"遼太郎"が主に旅先で見たものを記録することが目的である。先述の理由から纏まった自己紹介などはしないが、事情があって、いわゆる"働き盛り"と言われる年齢ながら、特に4月は日本を転々とすることになる。なので、この記録も少なくとも三日坊主にはならないだろう。

2022年3月12日、自宅にて外の酔っぱらいたちの喧々たる声を聞きながら。

2022年3月19日の話である。

新横浜で友人と合流した。酒を飲むと目が据わる男である。この男は瞬きをしない。目の前に広がる光景を露ほども見逃さないという気持ちの表れであろう。そういった意味では旅に向いている。

ビールを持っている。豊橋までは1時間ぐらいだ。

私はというと新幹線に揺られる場合、目的地がどこであれシウマイ弁当を買うのが相場だ。それをつまみながら今回は街道を"ゆかぬ"だなとぼんやり考えていた。

豊橋での目的はバスケットボール観戦である。きわめて強く逞しい身体を持つ選手がいる。頼れる男だ。この日は彼が獅子奮迅の働きを見せ快勝した。

しかし、声を出せない状況はやはり異様だ。これに慣れてしまっては人間が人間である意味がなくなる。かつて日比谷公園で沸き立った大衆のべっとりとした熱気のようなものを感じたのはこれが初めてではない。

足早に会場を後にして、豊橋駅へ戻る。道中のバスから眺める街並みは、決してそうではないが、どこか寂れた雰囲気がある。

券売機でカルテットきっぷなるものを買う。1,300円で豊橋から名古屋への新幹線に乗れる。
車内である。チューハイを持っている。名古屋までは20分ぐらいだ。

錦にいる。すでに日曜日である。まだ私は飲み足りなさを心地よく感じることができない。心を見透かしたかのように声がかかる。その業界の人間は目の奥が暗く光っているものだが、この男にはそれがない。

案内されるがままに雑居ビルに入る。女がいる。どうやら皆若いらしい。隣を見ると表情は険しくない。緩んだ笑みをみせている。ここで大丈夫なようだ。

派手な髪色をした女は二十歳だという。艶やかではないが特有の弾力がある。私には理解できないことを悩みとしているようだ。だが女はそれでよいと私は思う。
こういう店には決まって一人は場に水を差す女がいる。隣に座られたときが引き際であることは誰もが知っている。私は微笑と苦笑を使い分け、その場をあとにした。

夜が明けかねない。ウェルビーというサウナ施設に宿泊した。以前一人で訪れたときと比べて、客層という意味で小綺麗になってしまっているようだ。昨今の流れに抗うのであればサウナとは本来暑苦しいものであるべきだ。

さて、男である。まるまるとしている。険しい表情を浮かべている。熱気を帯びている。

昼である。牛タンを食べる。店員はどうやら外国人らしい。豊橋でも南米にルーツを持つであろう彼らをよく見かけた。私の地元と重なるところがある。 そんな豊橋に戻る。旅の起点だから"戻る"で良いだろう。

旅の目的だが、今日は苦い結果であった。足早に会場をあとにする。男はこのあと旧知の間柄と酒を飲むらしい。

私は旅の疲れ…ほとんどそれは錦のものだが…を感じながら新幹線に乗る。家に"帰る"そして、また、ここから始まる。

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