見出し画像

街道をゆく〜ロサンゼルス・アナハイム〜

2022年4月7日の話である。

ロサンゼルスにいる。無粋ではあるが8日かもしれない。
常々時機は窺い続けていたが、今ここにいる。

決意は僅か5日程前である。国内を転々とする予定だったこともそうだが、何より情勢に少なからず…寧ろ大きな…不安を抱えていたからだ。しかし、仕事を一度締めてからは益々時間の経過が早く感じることを自覚していたため、ここしかないと思い至ったわけである。

御時世と無縁でありたくても、社会の枠組みのなかで生きていく限り、それは避けられない。思い立ったが吉日といった旅行ができないことにはもどかしさを感じるが、新しいことに取り組むのは嫌いではない。なんとか出発までに必要書類を掻き集め空港に向かった。

機内は空席だらけである。お陰で快適に過ごすことができ、あっという間…先述の感覚も大いに貢献したであろう…に着陸を見た。

空港近くを歩きながら、馴れない香ばしい香りを感じる。まさに日本とアメリカの法律の違いを目の当たりにしているわけである。大声で何かを喋っている屈強な男にパスポートを提示すると中に通される。眼前を埋め尽くす娯楽は、日本においても局地的な議論が巻き起こっているらしい。しかし成熟した態度を持って望まなければ、まるで清国のような悲劇が起こることは想像に難くない。

外へ出ると煙に包まれ何やら独り言をつぶやいている女がいる。肌質がかなり悪いらしい。足取りがおぼつかない。というより、ずっとそこで何かを踏みつけているようであった。"自由"とはこういうことかと妙に関心してしまった。

Uberに乗り込む。ここでは基本的に公共交通機関の利用は推奨されない。日本では治安が悪いと言われている地域には随分と足を運んだが、この国はその比ではない。現地に馴染むことのできていない人間は"自由"の対象になりやすいそうだ。

ダウンタウンにいる。
ウェスティン・ボナベンチャー・ホテルという上等な建物がある。ここで帰国に必要な書類を作らなければならない。日本人スタッフがいるらしい。日本語が聞こえるだけで気持ちが楽になるものだ。束の間の母国を味わいながら手続きを済ませると、私は再び外国人になった。
昼食はデニーズで取ることにした。勿論想像するようなそれではない。食事中も豪快な女性店員に話しかけられる。一人のときは落ち着いて食事を摂りたいものだが、外国人がどう立ち振る舞うべきかということはよく知っている。

文化について考えてみようと思う。言葉なくして思考なし。思考なくして文化なし。というのが私の基本的な考え方である。言葉の壁というものは人間を断絶し文化を断絶する非常に大きく高い壁なのである。いくら技術が発展しているとはいえ、まだまだそれに頼ると、どうもぎこちない。私は日本語で作られた文化を土台にできている。彼らは違う。それだけの話だが、これがあらゆる諸問題を内包している気がしてならない。というのは世界を知った気になり過ぎていると指摘されても仕方あるまい。
私は世界一難解な言語を使いこなしているという自負があるが、向こうは国際公用語である。どうにも分が悪い。この意識からも諸問題が見え隠れしているのだろうか。しかし、どんな文化にも溶け込むよう努めることが、結果的にその文化を理解するための最善の方法であると思う。しかし、これは口で言うには易しいのだが実践というものが中々どうして難しい。

さてコリアンタウン。
ホテルのチェックインまで時間を持て余すようであったので、スパでくつろぐ努力をすることにした。この国と風呂というものはなかなか結びつかないものだが、様々な文化が混在しているため、やはり数件はこういった施設があるようだ。受付にいる韓国人と英語で…私のそれは単語の羅列に過ぎないが…やりとりをする。数時間を過ごすには十分な施設であったが、30$というのは円安の影響もあって、一瞬の躊躇いを齎す金額であった。

コリアンタウンの外れにて

サンタモニカにいる。
治安が比較的良いとされる地域に宿を取ることにした。設備は安宿のそれであるが、二泊で260$である。この国の物価が高いことは理解していたが、同時に日本が安くなってしまったことを改めて感じさせられたようだ。

小休憩を挟み、Uberに乗り込む。これが以前より円滑でなくなったような気がするのは、私が最も嫌う御時世というものの影響なのであろうか。ともあれ再びダウンタウンに向かう。

crypto.comアリーナにいる。アイスホッケーの観戦である。ここはバスケットボールをはじめ、その他の興行にも使われているのだが、そのときは氷を下にしまい、その上から適当な設営を行うらしい。維持費というものを想像するだけで寒気がする。しかし、世界中にそれらの放映権が売り出されていることを考えると、まったく寒気を感じている人間のほうが、ずれているのであろう。しかし、寒いのは事実である。

アイスホッケーの記憶はほとんどない。最後まで会場にいることすらもできなかったらしい。重たいまぶたに抗えなかった翌朝の後悔というものは、天地がひっくり返っても先に立つことはないだろう。

ベニス・ビーチにいる。まだ楽しみと緊張がせめぎ合っている。かの有名なゴールドジムに足を運ぶ。ここではすでに現金での決済が廃止されたらしい。その旨なんとか理解できる範囲で伝えられたとき、この国の素晴らしい一面を知ることができた気がする。

誰も私を見ていない。私も誰も見ていない。各々が好きなように取り組んでいる。片付けの習慣もないらしい。日本では当然認められないであろう"自由"がここにもあった。しかしここでは日本人としての立ち振る舞いを意識した。溶け込む努力は必要だが、私がアメリカ人になってはいけない。その悲劇は一部の留学生が日本へ帰国してから、それとも知らずに自信満々に披露してくれている。

またcrypto.comアリーナ。
今日はバスケットボール観戦である。隣の客は奇声に近い大声を発しながら、落花生の殻を撒き散らしているらしい。マスクはしていない。私もしていない。この時間を堪能できていることが、なにより素晴らしいことなのかもしれない。国民性なのかは分からない。あるいは車社会だからかも分からないが、多くの客は試合を最後まで見ない。終盤になると続々と席を離れていく。女に水を差された私のような足取りであった。

crypto.comアリーナ

アナハイムに向かう。モーテルにチェックインをする。これまでの経験にないことであるのに、なぜか良い印象がない。予約の際も躊躇いがあったのだが、まったくの杞憂に終わった。
この街でUberに乗り込むと、私を日本人と見るや否やサンタモニカやダウンタウンとは違う反応をされる。時代を大きく変えた日本人がこの地で活躍しているからだ。

エンゼルススタジアムにいる。日本語がこれまでよりも聞こえるようになった。それだけの影響力が彼にあっても不思議ではない。テレビで眺めていた光景が眼前に溢れるさまは何にも形容し難い。かつて殿堂入りを果たした選手の姿を生で見ることが叶わなかった男は、さぞ少年のような表情をしていたと信じたい。

翌朝のロサンゼルス国際空港。搭乗時間は10時間を超える。耐え難い。しかし、一度眠りに落ちて…これだけでも信じられないことだが…ふと気がついたときには、到着を4時間後に予定しているという。提供された軽食を喫食し再び目を閉じると、もうそこは日本であった。

成田空港である。煩雑な手続きがある。それは避けられない。周りを見ると誰もがマスクをしている。私もしている。それが旅の終わりを告げる合図とは、なんとも、らしいのではないだろうか!

私は人生を自由に想像することができる。私は行きたいところに行ける。私は会いたい人に会える。これからも御時世とは無縁である。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?