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大冒険

こんにちは。
MacBookが故障し、修理代として7万円を失った広報局2年のぴーです。
経緯がわかりませんが、外語祭を経てニックネームが変更になったみたいです。

外語祭本当にお疲れさまでした!
そして、ありがとうございました😭
みなさんへの感謝は伝え切れません。
先輩の偉大さ、同期のありがたさ、後輩の頼もしさを痛切に感じた5日間でした。

外語祭直後にスタブロを書く機会をいただき、102nd外語祭のことについて書くつもりでした。というか、書いていました。だが、他の方とあまりにも被ってしまうため、場違い感が満載で申し訳ないですが、夏休みの思い出について書かせてください🙏
脈絡皆無の文章ですが、読んでいただけると幸いです。

お世辞にも秋とはとても言えない気候の9月、自転車で東京・日本橋から静岡・浜松の手前まで旅しました。

旅の伴侶は、企画局2年のレオです。レオとは8月に青森のねぶた祭りにも一緒に行きました。この夏の旅は、ほぼレオと一緒です。

初日は朝8時くらいに日本橋を発しました。箱根駅伝とほぼ同じコースで西進。東京都は難なく抜けました。多摩川に架かる六郷橋を越えて神奈川県へ。横浜のすき家でお昼休憩。お昼休憩後、再び西へ。横浜の記憶はあまりありません。ただ、数多の坂が私たちを襲い、横浜市を抜けるのに4時間くらいかかったことは覚えています。横浜市でかい。

横浜を抜け、舞台は湘南へ。あまりにも喉が渇いたため、藤沢のガストでドリンクバー休憩。体力回復!とにかく西へ漕ぎます。私たちの横を上野東京ラインの電車が追い抜いて行きます。電車って速いなぁと実感。相模湾沿いを2時間から3時間くらい漕いだところで日の入り。

この光景、見入ってしまいます。ここまで漕いできてよかった!新幹線なら、東京から30分ちょっとのところを10時間かけて来ました。

神奈川県西端の小田原まで来ました。時刻は20時。さあ、、、箱根峠越えへ。静岡県に入るには、コイツから逃げるわけには行かないのです。先に言わせていただきますが、みなさんは箱根峠を夜に、しかもチャリで越えようとは絶対にしないでくださいね、僕たちみたいに痛い目をみますよ!チャリを引く時間の方が長かったですが、なんとか頂上846mまで登りきりました。正直、あまりにも過酷すぎて箱根の記憶も鮮明ではありません。箱根駅伝のランナーってすごいなぁと。心から尊敬しています。「山の神」にはとてもなれなかった。

ようやく我が故郷、静岡県へ!

時刻は翌0時4分。登って来た分を一気に下ります。下り坂だから楽だったのは確かですが、急勾配の下り坂が続くためスピードが出過ぎて逆に怖かったです。実際、ブレーキが効かなくなった車が突っ込む用のスペースを何度か見かけました。と、ここでトラブル発生。チャリのライトが電池切れ。暗い夜道で痛すぎる失態。しっかりしてくれ、自分。スマホのライトとレオのサポートのおかげで事故なく峠を下ることができた。麓の三島で一泊。着時刻は午前1時半。

二日目。朝9時くらいに宿発。太平洋沿いにサイクルロードがあった。間違いなくボーナスステージ。そこをひたすら20キロくらいだろうか、漕いだ。富士でお昼ごはん。うどんを食べました。夏の太陽の日差しが肌に刺さる。国道1号を死にそうになりながら西へ。清水のサイゼリアでドリンクバー休憩。気づいたら、お互い昼寝してました。1時間半ほど滞在した。その後、チャリに跨り西へ。県都、静岡駅に到着。

この時、僕は涙が止まらなかった。18年間過ごした地元に東京からチャリで来れたことに感動したと同時に、ここまで一緒に来てくれたレオに対する感謝の念が込み上げてきたからだ。1人では絶対にここまで来れていない。「仲間」という存在がかけがえのないものであることを改めて思い知らされた。しかし、レオはこの時トイレに行っていたため僕が泣いていたことは知らない。

今晩の目的地まではあと60キロほど。2回目の峠越え。箱根とは比べ物にならないくらい楽だった。しかし、この時にはお互い喋る余裕はなかった。「体力の限界」ってこれか。休んでは漕ぎ、漕いでは休むことを繰り返し、あと30キロくらい。最後の峠越えが待っている。ここまで来れば、土地勘があるため先導させていただいた。しかし、何を考えていたのだろうか、道の選択を間違え、石畳を進むことになった。石畳とは、昔の旧東海道を忠実に再現するために、足元が凸凹の石のまま残されている道である。もうすでに限界は超えている。しかし、ここで諦めるわけにはいかない。

なんとかクリア。もう峠はない。あとは基本、平坦な道か下り坂。あと10キロ。24時間テレビであれば「サライ」や「負けないで」が流れているような展開だ。頑張るぞ、レオ! 頑張れ、自分!

そして、今晩のお宿である祖父母の家に到着。時刻は23時近い。僕たちの到着を待って起きていてくれた。ごはんも用意していてくれた。大感謝。この日に食べたごはんのおいしさは今でも忘れられない。本当に本当に美味しかった。

次の日、朝起きるとチャリがパンクしていたことが発覚。チャリも限界だったようだ。箱根の山道でパンクしなくてよかった。これではにっちもさっちもいかないし、どちらにせよ疲れが溜まっていたのでこの日はぐだぐだした。なぜか僕が通っていた高校をレオと訪れた。校舎も先生も懐かしかった。地元ってやっぱり最高。

次の日、レオが京都で用事があるため、京都まで送って行った。在来線ながらも流れる景色がとても速い。途中、名古屋にてきしめんを食べました。リピート確定のおいしさでした。そして、京都着。自分もその夜、静岡で用事があったため京都の滞在は2時間ほどだったが、京都はやはり良い。何回来ても来足りない。名残惜しさもありながら、レオと別れ新幹線で静岡へとんぼ返り。文明の進化ってすごい!

次の日、チャリを車で東京に回送して、また静岡に帰ってきて無事に全行程が終了しました。

18年間静岡に住んでいたけど、静岡県ってこんなに横に広いんだなって初めて驚きました。そして、先人の偉大さも実感しました。江戸時代の飛脚は、江戸と大阪を3日間で結んだそうです。体力もメンタルもバケモノすぎる!!

最後に、一緒に旅してくれたレオへ。レオがいなければ、こんな大冒険絶対にできなかった。一生の思い出です。本当に本当に本当にありがとう!!!😭

(広報局2年 ぴー)

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