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人生最大の詰み

このニックネームは本人バレを避けるために選んだのですが、もしかしたら中身で分かるかもしれません。パンダコパンダは外語祭期間中に大好きな後輩に教えてもらった映画から取っています:star:

スタブロに何を書こうかずっと迷っていましたが、外語祭の振り返りは想いがまとまらず難しいので、代わりに2024年を振り返った時に1番最初にぶち当たるビックイベントについて書こうと思います。これから飛行機に乗る人がいると申し訳ないので、そして同情されるのは本意ではないので細かく書くのは控えておこうと思います。

今年の年末年始は北海道のニセコというところで年越しをしました。ニセコ、何度来ても雪質は最高ですが、年々驚くほどに日本人が減っていますよね。今年に至ってはホテルのフロントの人と英語で話しました。ここ日本なのに。

1月2日の夕方、新千歳空港で地方に住む家族と別れ、1人で東京への帰路につきました。新千歳発羽田行き、JAL 516便。隣の席が子どもだったので運悪く手荷物を頭上にあげており、ポケットに入っていたクレカとスマホ以外、文字通り全ての荷物を残したまま逃げました。しかも北海道に行く前に別の用事があったので、スーツにヒールという最悪の格好で。極寒です。風の吹き荒ぶ滑走路は北海道より寒い。目の前で燃えるまだ新しいMacBook、AirPods、財布、お年玉、アクセサリー、家の鍵、キャッシュカード、主戦の教科書、そして楽しみにしていた六花亭のバターサンド。今後の人生でもあそこまでの喪失感と絶望を感じることはあまりないのではないでしょうか。避難する時はまさか全焼するとは夢にも思っていなかったし、それどころか放水で荷物が濡れないかを心配するほどだったので。

さらに、(解放された時間には終電がなかったので)空港から家に帰れないし、ホテルに泊まるとしても物資がない、帰れたとしても鍵がないので部屋に入れない、年始なので不動産屋も連絡がつかない、部屋に入れても鍵がないので外に出られない、身分証明書を再発行するための別の身分証明書もない、課題をしたくてもカードは使えず現金も下ろせないのでパソコンも購入できない、という状況だったわけです。詰むってこういうことか、と。結局、避難先で配られた機内用のブランケットとJALの封筒だけ手に持って空港を後にしました。当時対応してくださった関係者の方々には本当に頭が上がりません。任務についていた海保の方にも。

長くなりそうなのでこの辺で雑に切りますが、交通機関に乗る際はくれぐれも貴重品は身につけておいたほうがいいと思います。特に長期休み中は絶対に家の鍵だけでも死守してほしいです。

パンダコパンダ(企画局 2年)

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