「化石のような道具たち」
新年最初の買い物は、能率手帳と情報カード、水性ボールペンだった
影響を受けたブログ記事で、情報カードのことを「化石のようなもの」と書かれていた。それにいたく惹かれてしまった。
思い返せば私は、他にも化石のような道具を使っている。
・現金
時代はキャッシュレス。友人たちも、マクドナルドで居合わせた子どもたちまでもが「ペイペイで!」という時代。勤めているミュージックバーでも「支払いは現金のみなんです。時代遅れですみません」なんて言っているが、私自身は今でも頑なに現金主義。
理由は単純で、過去(といっても、かなり最近まで)クレジットカードをついつい使いすぎてしまい、あわてて分割払いにして無駄なお金を払った苦い経験があるから。デビットカードやチャージ式のQR決済も、お金の姿が見えないのが自分には心地悪かった。
今の自分には、(こちらも時代遅れな)長財布に、1ヶ月分のお小遣い的なお金を入れ、その手触りを感じながらやりくりをするのが性に合っている。
ちなみに家計簿はつけていないが、個人事業主なので公用私用とわずレシートは全て取っておいて、それをたまに見返すことで自分の金銭感覚の狂いを無くせるように心がけている。
・ガラケー(ガラホ)
これこそ化石のような道具かもしれない。ガラケーをつかう理由や使い方については、長くなってしまうので機会があれば別の記事で書こうと思うが、「スマホの進化と反比例して自分の能力が退化している」感覚を拭うことができなくて、数年前からガラケーを愛用している。
・切符
それまでスマホに紐づけたモバイルSuicaを利用していたが、前述のとおり今はガラケーを利用している。そして、ガラホ向けのモバイルSuicaはとうの昔にサポートを終了しており利用できない。カード型Suicaを発券しようと思ったのだが、半導体不足の影響が長引き未だ新規発行を受け付けていない状況で、仕方なく切符を買って電車に乗っている。
人と移動するときに「すみません、切符買ってくるので」といって待たせてしまうのは申し訳ないが、一人での移動のときは駅から駅までの料金を把握しやすかったり(こんなに長い距離をこんな安く運んでくれてありがとう、と感謝の気持ちさえ湧く)、印字されている4桁の数字を計算して10にする懐かしい遊びをしながら、割と楽しんでいる。
そう、アナログな道具は不便だけど、悪いことばかりではないのだ。
自分に言い聞かせながら、時代の流れに逆行して生きる不安を押し殺している。