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雨と実家と両親と

なんとなく、今日初めてここにゲームをプレイしている日記以外の本当に個人的な話を書いてみることにする。

普段から仕事以外では外出せずに引きこもって暮らしているし、実家よりさらに田舎に住んでいるという事情もあり、髪を切りに近くに来ているから、うっかり死んでもいいなら行くと実家に電話をかけてみた結果、おいでよとのことだったので実家に1年ちょっとぶりに顔を出した。

帰った結果、急な訪問の割にはそれなりに歓迎されたが、母親に紀州のドンファンのニュースを見ながら配偶者のことでこってり文句を言われて、オタクの誇大表現ではなくかなり泣いてしまった。

かなり私とは年齢が離れた人であるので、結婚前から多少どころか死ぬほど非難されてもやむなしとは思っていたが、何もそこまで言うことはないだろうと思った。(想定が甘かった)

ここまではほぼ本題の前フリに過ぎないので、私の身辺の個々の事情に関しては深い説明を省くことにする。

帰りに父親が車で二駅先の駅まで送ってくれるというので、ありがたく好意に甘えて乗せてもらうことにした。
車内で最近モルカーにハマっているとか、本来私がしたかった他愛無い話をようやくそこですることができた気がする。

途中で父親が若干道があやふやだけどまあなんかここ曲がった気がするよね…そうだよね…というノリで雑に車を走らせていて、「これで母親が同乗してたら500倍文句言われてるよ」と二人でヘナヘナと笑った。

考えてみたら、母親は昔から自分が考えたルートから人がちょっとでも外れると非難を雨あられとぶつけてくるタイプだった。比喩的な意味でも、ただの道間違いでもそういうところがある人ではある。

しかし、自分の人生すら自分の思った通りになんてならないのだ。他人の人生なんてもっとそうだろう。

結局、よくわからないながらもナビマップを見ながら駅周辺の見知った場所に出たので、ここでいいよありがとうと言って降りた。
父親は、これに懲りずにまた帰ってきなよと言っていた。

人生はナビのように導いてくれる人もなし、いたとしてもそこに言った通りの道が存在しなかったりしてどうしようもなかったりする、そういうものではないだろうか。そしてうまいこと目的地の近くの知ってる場所にたどり着いて、そこから徒歩に切り替えるとか、そんな感じでやり過ごすのでも別にいいのではないだろうか。

人生を語るにはそれほどまだ長く生きてもいないだろうし、かといって短すぎもしないくらいの中途半端な年数生きているが、それでもそう思わずにはいられない。

少し前に、私の人生には抒情的なシーンなんてどこにもないと言ったことがあったが、珍しく今日がその日だったのかもと思うくらい示唆に富んだシーンではあった気がする。

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