「とにかく長生きしたい」と言う先輩
昨日、会社の先輩や同僚と4人で飲んで、何かの流れで僕が「死ぬときは暖かい布団の中で死にたい。50ぐらいで仕事を失って蓄えもなく惨めに地をはいずり、一人死ぬことが恐ろしい」ということを話していたら、ある先輩が「あたしはとにかく長生きしたい」と言ったので、今時珍しいと思った。
今や長生きしたからといって老人が尊敬されるわけでもないしお金の不安はあるし、体は痛むし病気になるし、いいことよりも悪いことのほうが多いイメージがないだろうか。「太く短く」が良しとされる風潮さえある気がする。実際、自分のことを考えると、定年後に悠々自適な生活があるとは思えないし、できるなら定年後しばらくして終活して晩節を汚すことなく死にたい。
会社には嘱託として悠々自適に生きている大先輩もいるが、雑談で人の作業を妨げたり会議中に昼寝していたりするので、後ろ指を指されている。
さて、その先輩にどれくらい長生きしたいのか聞いたら、22世紀を見たいらしい。
確かに22世紀は見てみたいかもしれない。あと77年。ちょっと厳しい気がするが、今後の健康や医療技術の進歩でもしかしたら達成しやすくなっているかもしれない。
22世紀まで生きたら、21世紀をまるまる生き延びることになるのか。
22世紀まで生きられなかったとして、自分が80歳で死ぬとしたら、その時西暦は2070年になっているのだが、なんだか全然理解できないな。2070年で死ぬとき、50年前の2020年のことをどう思い返すのだろう。
ところで未来について語るとき、2070年について誰か語ったことがあるだろうか。2050年頃についてか、飛んで22世紀が相場だろう(そういえば最近シンギュラリティのこと話す人いませんね)。2070年の世界が来るとはだれも思っていない。ましてや2090年代のことは誰も意識したことすらないだろう。我々の想像力は、ちょっと先の未来か遠い先の未来にしか焦点が当たらないのではないか。
そう思ってWikipediaを見たら、2090年のフィクションの出来事についてこんなことが書いてある。ライオンキングってそんな未来の話だったの?