出雲の藍染を追っかける
上の写真は出雲市の長田染工場の作業中写真。天井で染めを乾かしているところを裏から撮ったもの、白い糊にうっすらと藍が滲んでいます。最後の工程で糊をしっかり洗い流し、あのパキッとした筒染になります。
この糊がとても気になったのです。赤穂段通でも縦糸横糸に糊を揉み込みます。米粉4対餅粉6の割合。こちらの糊は餅粉100%でとても硬く練るのだとか。ちょうど今から作られるというので、しっかり見学させていただきました。
すっかり時を忘れて長時間お邪魔してしまって、繊細な筒染のラインを堪能させていただきました。
こんど来るときはお弁当を持参して、一日中作業を拝見したいです。
翌日は糸をいつも藍染めしてもらっている安来市の天野紺屋さんへ。
というわけで、出雲の藍染は健在です。どちらも息子さんが後継者になってらして頼もしい。藍甕の建て初めに「紺姫」という雛形?をかざるという風習や出雲大社の近くには広い藍畑が広がっていた、とか興味深いお話をいっぱい聞けたので、またこんど書いてみたいと思います。
しかし、日本の蓼藍は8世紀頃に出雲から伝わったという播磨や徳島での通説の証拠は見つかりませんでした。出雲風土記に記載されていると聞いたので、古代出雲歴史博物館の学芸員さんに尋ねてみたのですが、そういう記載は記憶にないそうです。
でも奈良時代に遣唐使がもたらしたという説はピンときません。正倉院に残る仏具としての藍染め裂は美しい芸術品ですが、国を代表する偉い方々がわざわざ蓼藍を持ち帰るってことは無いと思うのです。次は徳島で藍染めのお話を聞いてみようかな。
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