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2024年シーズンを振り返って。

こんにちは山下です。

今年の大きな大会も終了し、1週間ほど完全休養を設けてから新たにこの冬の計画を立て、トレーニングを再開したところです。

この1年だけでも春先の大炎上から埼玉優勝、全国ベスト8と様々な出来事があり、特に感情や心境の変化が大きかった1年だったため、振り返りがてらつらつらと書いていこうと思います。

大まかな1年間の流れ

埼玉県のクラブチームでは、年間で大きく4つの大会がある。

1つ目が3月の関東連盟クラブ選手権予選。
2つ目が4~5月の都市対抗予選。
3つ目が6月~9月のクラブ選手権予選・本戦。
4つ目が9月半ばの埼玉県会長杯。

その中でも、全国で1番のクラブチームを決めるクラブ選手権の予選に向けて、ほとんどすべてのチームは照準を合わせる。

とにかくボロボロだった序盤。

まず最初の大きな大会が、3月の関東連盟クラブ選手権の予選。

チームとしては、優秀な選手が複数人入団し、
「今年こそやるぞ!埼玉の強豪を倒すぞ!」という意気込みで臨んでいた大会だった。個人的には、昨年の秋頃から取り組んでいたフォームの改造がしっくりこないまま、正直なところ不安を抱えて臨んでいた。

初戦、埼玉の圧倒的強豪所沢さん。7-5。勝利。
2回戦。去年クラブ選手権埼玉県予選優勝の都幾川さん。6-7。敗北。

対する山下の結果。
初戦、1/3回、四死球3。
2回戦、2回2/3、被安打5、四球1、奪三振0、失点1。

なんじゃこりゃ。

この時は、とにかく自分との勝負に精一杯で、ストライクの取り方もわからない、三振なんてどうやってとるんだっけ状態。
あんまりこう結論付けるのは好きじゃないが、単なる練習不足、準備不足だったといわざるを得ない。チームとしては所沢さんに初めて?勝ったらしいが、全く自分としてはその嬉しさをみんなと共有できない、正直腐っている状態だった。

負けて泣く。

前回の結果があり、山下としては改造していたフォーム(具体的には割愛)をもとに戻す決断をした。それからというもの制球難は徐々に改善傾向に。

そして迎えた4月末の都市対抗予選。

初戦、全浦和さん。8-7。勝利。山下、1/3回、死球1、無失点。

2回戦、全大宮さん。7-6。勝利。山下、1回無失点。

一応一定の結果は残せた2戦だった。

そして準決勝。
再び所沢さん。5-13。屈辱のコールド負け。
山下の結果、1/3回、被安打3、失点3。

サヨナラホームラン献上。

自分の力不足とふがいなさに、いつぶりか覚えてないくらいにとにかく悔しくて、情けなくて、ダサい自分が嫌で、涙がこぼれた。

忘れない所沢戦2


覚悟を決める。

試合後のミーティング。
重い空気の中、大学時代から同期で一緒にやっていた元登が言った言葉は今でも忘れない。

「ピッチャー、3月から何も変わってない。俺らが14点取ればいい?一真、貴史、それでいい?そうすれば勝てる?」

ブッ刺さった。

野手はここまで大会5試合で平均6.9得点。
対するピッチャー、5試合で平均8.0失点。

やった相手が強いところだからとか、そんなの言い訳にならんレベル。

春先は、「なんでしんどいことしてるんやろ」とか、「金にもならんのに、休み使ってやって、嫌な思いして、あーくそ!」とか、思っていた。

だが、この時は本当に情けなくて、その時感じた「しんどい」の感情は、心の奥底のリトル山下が納得できるほどの準備をしてないのにマウンドに上がる不安との闘いからくる「しんどさ」あって、高みを目指すための過程で生まれる「しんどさ」ではないことにやっと気付いた。

正直、左肘はもう完全には伸びないし、体の回復も学生時代に比べて遅くなってきたなと感じる。体もどこかしらいつも痛い。練習する時間も限られる。

それでも、いつまで投げられるかわからないのであれば、せっかく大好きな野球をこの歳までやるのであれば、学生時代と同じくらい練習量もやって、自己課題に向き合って、不安なんてない状態までやってやろうじゃねえか、と。

覚悟を決めた。

今思うと、この言葉はピッチャーみんなに刺さっていたんじゃないかと思う。

5月からクラブ選手権予選まで組んだ練習メニュー

勝って泣く。

そして迎えたクラブ選手権予選。

この大一番に臨むにあたって、ギリギリのラインを攻めながら、これ以上やり切れねえ!!!というところまでやり切った状態でマウンドに上がるまで万全の準備をして臨んだ。
本来「しんどい」という感覚は、こういう過程で生まれてくるべきなんやなとこの大会で強く感じることになる。

大会の結果は下記の通り。

初戦、レジェンズさん。1-0。勝利。
2回戦、王者新波さん。3-2。勝利。
準決勝、前年優勝都幾川さん。3-2。勝利。
決勝、三度の所沢さん。7-0。7回コールド。勝利。

県内初優勝。

山下は初戦と決勝に先発。

初戦。
7回、被安打5、奪三振5、無四球、無失点。勝利投手。

決勝。
7回、被安打6、四死球4、奪三振6、無失点、完封。勝利投手。

大会を通じて最優秀選手までいただいた。

結果がうまくいったからいうわけではないが(というより満足してない部分は本当にたくさんあり課題だらけだが)、思い返してみても、大会から逆算して一切の妥協をせず、「これが最後なら」の気持ちで取り組んだ結果がそのまま出てくれた、ただそれだけのことだった。結局、覚悟の問題だったってこと。

優勝した瞬間
家のどこかに眠ってるMVPの盾

加えて、個人的には優勝というタイトルを獲れたことが何よりも1番に嬉しかった。

正直決勝に進んだ2チームが関東大会へ進出できてしまうトーナメントの構造上、決勝は消化試合のような雰囲気になるケースも少なくない。だが、入団1年目の決勝で全大宮さんに記録的大敗をし、「絶対このチームならもっと強くなれる、優勝できる」と思い続けてきたからこそ、絶対にこの試合だけはマウンドを譲りたくなかったし何回までいっても投げ切るつもりでいた。
正直調子は初戦と比べると全然よくなかったが、頭をとにかくフル回転した。

何度も言うが「覚悟」って大事だなと思った試合だった。

↑1年目の終わりに記したnote

15年目での初優勝

その後、チームは関東大会でも2連勝し、創設15年目で初の全国大会出場を決めることができた。

投手陣も6試合を通して失点8、防御率1.38。

点を取ってくれた野手もそうだが、投手陣は1点差が4試合、2点差が1試合というキツい戦いの中、本当に春先から様々なことにそれぞれ取り組み、変化をし、結果を残すことができた。そんな大会だったように思う。

チーム®️
頑張った投手陣
一応関東も1回投げました


全日本クラブ選手権。

そして迎えた全国大会。
自分自身は特に全国への強いこだわりがあるわけではなかったが、純粋に自分やチームの実力がどこまで全国の強豪相手に通用するのか楽しみだった。

初戦、弘前アレッズさん。6-4、勝利。
山下、1回、四球2、奪三振1、無失点。

2回戦、去年優勝、ショウワコーポレーションさん。2-10。コールド負け。
山下、2/3回、無失点、1エラー。

今後に必要な良い経験でした

ざっくり2戦を振り返ると、チームとしては平常心で持っている力を出し切れなかった、野球の細かいところをさらに突き詰めていく必要があるなというところと、投手陣としては球速もそうだがより対超強豪チームとなった時に計算できるよう、レベルアップすべき点はまだまだあるなというところを痛感した。

また、個人としては、5月の都市対抗でやらかしてから取り組んできたことは間違いではなく、自分の突き詰めてきたスタイルでも十分通用するなという手応えはあった。
だが、もっと楽をして抑えるために・チームの信頼を得て圧倒的になっていくために、まだまだ練習量も質もこだわらないと、来年以降より良い結果を残していくのは難しいだろうと感じた大会だった。

とはいえ、より高いレベルでの野球に触れたことで諦めの感情は全く生まれず、次はこういうチームを圧倒できるようになるために意識高く取り組もうと、ひとつ基準を上げてくれた貴重な経験になったように思う。

集合写真
全国初勝利
ショウワコーポレーションさん強かった


会長杯クラチャン優勝。

間髪入れずに全国大会の2週間後には埼玉県会長杯クラブチャンピオンシップ。

入団初年度に延長10回完投したり、昨年は初戦6回ノーヒットピッチングしたり、その次の新波さんにはぼこぼこにやられたりと、実は思い入れある大会。
個人的には1番強い(と思っている)新波さんに自分が投げてやり返したいな、という気持ちがあった。

初戦の全大宮さんには11-2で勝利。1回無失点。
その後順調に勝ち進み、新波さんと決勝で当たることに。

結果。5-2、勝利。優勝。

先発のアクシデントで3回から4回を投げ、被安打3、四球2、奪三振2、1失点。勝利投手。

先頭バッターにホームランを打たれたのは反省だが、磨いてきた「対強いチーム・いい打者にどう攻めるか」のすべてを用いて攻め、リベンジ?といえる結果を残せた。締めの大会として、個人的には納得いく内容だったように思う。

チームとしても、クラブ選手権予選に続いて実力で優勝ができた大会だったため、自信になる大会となった。

3度目の集合写真

総括。

2024年主要4大会での自分の結果。


【前半2大会(関東クラブ予選、都市対抗予選)】
5試合、0勝、4回2/3、被安打8、四死球5、奪三振0、失点4、防御率7.71

【後半2大会(クラブ選手権予選・本戦、会長杯)】
8試合、4勝、21回2/3、被安打16、四死球10、奪三振14、失点1、防御率0.42

【合計】
13試合、4勝、26回1/3、被安打24、四死球15、奪三振14、失点5、防御率1.71

前半は本当に野球が嫌になるくらい楽しくなかったが、あのサヨナラホームランから自分を信じて覚悟を決めてやってきてよかった1年だった。
今年1年通して、満足とは言えないものの後半に関しては合格点をあげてもいいのかなという結果を出すことができた。

全国の舞台で感じた未熟な部分も含めて、改めて結果を出すために重要なことは「量」と「客観視」やと思う。
具体的にも備忘録がてら記しておく。

  • 練習量は必ず何としても確保する

  • 自己課題から目を逸らさない

  • 課題特定や振り返りは感情を入れずに映像や数字の事実から行う

  • やる気なくてもやり切る

  • オープン戦等失敗していい場面では、積極的に課題解決にチャレンジする

ここまでつらつらと書いてきたが、どこまで行ってもクラブ野球は「究極の自己満足」であると思っている。
いくら勝ち進んだって有名税が必要になるわけでもないし、お金をもらえるわけでもない。ちっぽけな承認欲求は満たされるかもしれないが、圧倒的に自己実現欲求の方が重要であると思っている。

今年1年で成長できたな・大人になれたなと思う部分はまさにそこだった。
自我を外向けに出すのではなく、自己実現に対する自我を持つことが少しずつできるようになった。
結果として他者の存在や発言を「認める」「許す」ということができるようになり、自らのプレーや成長に集中できるようになったように思う。

来年・今後に向けて。

このように徐々に自己実現欲求を求める境地に至り、埼玉優勝・全国出場も達成した中で、自分は今後に向けて何をモチベーション・目標にしていくか?という部分が良いパフォーマンスを出す上で重要になる。

結論、「自分史上最高の投手になり続けることでチームの勝利に貢献して他者貢献をしていくこと」だと今は考えている。

野球の勝ち負けに関しては、運が影響することもたくさんある。なので、正直いうと「クラブ選手権で絶対優勝したい!」とか、「都市対抗野球に絶対出場したい!」などのこだわりは自分には全然ない。
ただ、高いレベルの野球に全国で触れたことで、「そこでも圧倒できるピッチャーに自分がなりたい、なってやる、まだできるぞ!その答え合わせを結果的にピッチングや勝利でしたい!」とは思っているし登板した試合は全て勝利に導きたい。

「あと5年はやります」とか口が裂けても言えないが、とりあえず来年、自分史上最高の投手になるために、野球をやらせてくれる周囲の方に結果として喜んでもらえるように、まず来年、1試合1試合が最後のつもりで覚悟を持ち、より高みを目指してやっていこうと思う。

P.S.
川口ゴールデンドリームスはまだまだ選手が足りないです。セレクションもありません。
野球初心者でも、ブランクがあっても、50歳でも、野球が大好きな気持ちがあれば入団できます。

「野球が大好き!」「まだうまくなりたい!」「心残りがある。。」という方、ぜひご連絡ください!
一緒に高め合いましょう!


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