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昔どっかに書いたかもしれないけど
頭の中を整理したくて25回目の5月10日へ
ありがとうさようならこれからもよろおね、ってかんじ。

福岡に大集結

1997年5月9日、
東京の親戚のおじちゃんおばちゃんと
我が家全員が福岡に大集合して、
中華料理を食べました。

こんなこと、もう二度とありません。
みんな商売してるし、奇跡の日。

電話に出ていなかったら今は無かった

その2年か2年半くらい前か、
笑っちゃうけどぜんぜん覚えてなくて
会社の同期の子とディズニーランドに行った日
誰か思い出してくれたら、その辺りから
ってことになる。

ディズニーランドから帰ってきたのが
日付をまたぎそうな時間帯。
福岡の人から何度も電話が来ているといわれる。

同じ会社で、仕事の連絡をよくしている人でした。
といっても、私は全国の人たちと
仕事の連絡をよくしていて、
特別な人ではなかったです。

何か仕事の話なら連絡しなきゃと思って折り返すと
研修で東京に行くので、お世話になっているお礼に
食事をご馳走させてほしい、と。

当時私には
「おじさんキラー」という裏の名前があって
実際には何も無かったけど
役職のついた偉い人たちから、
なんとなく声を掛けられていました。

たぶん、みんなスンとしているなか、
私は誰にでもヘラヘラと笑っていたので
ハードルが低かったんでしょうね。
みんな若い子と話したいもんね。

とうとうおじさんから
ごはんを食べさせてもらう日がきたのか、
でも電話の声とFAXの文字しか知らないのに
ごはんなんてめんどくさいなあ、と思いました。

でも、断ってその後の仕事でギクシャクしたら
それはそれで面倒なので、これはもう
好きなものをガンガン食べて
おいしかったサンキュー!
ってことにすれば良いと思いました。
お互いの幸せのために。

会社のある新大久保の駅前で待ち合わせたものの
当時はスマホなんてないから
自撮りして「こんな顔でーす」みたいなのは無いし
お互い顔を知らんのに、果たして会えるのか。

スーツで社員証をつけてくるというので

休日やのにスーツ着るんだね、しかも
あのちいちゃいあひるの絵の社員証を
私に見つけろってことか・・?

とりあえず
新大久保駅前でキョロキョロしました。

すると、休日にスーツなんか着て…
っていう人を見つけました。
たぶん、他にスーツの人いなかったと思います。

なんとなくこの人かなあと思ったら、そうでした。


・・すまん、おじさんじゃなかったじゃん。
(たった5個上)

魚が見たいと言う

当時は営業をしていて、
東京の売り場が見たいと言われたので、
電車で郊外のデパートへ。

売り場を見て、さあどうしましょうかとなって

「魚が見たいんですよね」

は?

生まれて初めて「魚が見たい」と人に言われて
福岡では水族館という単語を使わずに
水族館へ遊びに行く文化があるのかな、
と思いました。

「すみません、ここから水族館はすごく遠いし
時間的にむずかしいかもしれません。」

「え、水族館じゃないです。魚屋です。」

は?

魚市場・・????
もう夕方ですけど????

フリーズしていると

「熱帯魚です」

「熱帯魚のお店だったんですね、
すみません、私はそういうお店知らなくて・・」

「本屋に行きましょう」

は?

デパートの書籍売り場に行くと
熱帯魚の雑誌を見つけてパラパラとめくる。
そして、ページの隅に出ている
熱帯魚のお店の広告を探して

「このお店、ここから遠いですか?」

と訪ねてくる。

世田谷区とか、
そういうエリアの住所が書いてあって
私のナワバリは文京区と千代田区と
豊島区と新宿区なので
えーーーーーーーーー、と思いました。
すには出していないつもり

スマホの無い時代、
小さい広告に書いてある住所を見て
自分の手帳の巻末にある路線図とにらめっこして
「うーん、なんとなく行き方はわかりました。」
と答えて
そこに、案内することになりました。

あの頃は、ものすごいお人好しだったなあ。

今の私だったら、老眼で文字見えないし
スマホで地図みても、
どっちが自分にとっての右か左か、
把握ができなくてしんどいから、きっと
「あー、ここからはちょっと行けないですね」
って即答して誤魔化してたと思います。

ぜんぜんつまんない

どうにかその魚屋に着いて、
最初は、おさかなかわいいなあって思ったから

「わーおさかなかわいいー」

って言って店内をウロウロしました。
青とか黄色のきれいな魚を見るのは
私も楽しかった。

でも、なんだか様子がおかしくて。
仕事をするかのような顔で
水槽をじーーーっと見ている。
見ているのは、砂利の色みたいな
地味な魚ばかり。
しかも1つの水槽の前に何十分も立ってる。

私はもう、足が痛くなって
死んだ目みたいになっていたと思います。
ぜんぜんおもしろくない。

この人、ちょっと厄介やなあって。
初対面で、こんなに人を待たせる人いる?
何も言わないし。

もう私はハラヘッタと足が痛いしか
思わなくなりました。
この人まじでむり、っていう気持ちで。

しばらくしてやっと、「これが欲しい」
みたいなことになりました。

でも、3~4日くらい研修でホテルにカンヅメなのに
熱帯魚買って持って帰れないでしょう。
なので、ハイおわり、となるかと思ったら

お店の人と、何やら色々話し始めました。
どうやら、東京から帰る前の日の晩あたりに
ぶ厚いビニール袋に魚を入れて受け取ることができれば
低リスクで福岡に持ち帰れるだろう、と
お店の人が言っている。それに対して、

「でも、研修中は外出禁止なんですよね。
この魚、福岡では見つけられなかったんですよ」

とか言ってる。


(お人好し発動)


「あのー、そしたら、帰る前日
私が終業後にここに受取りにきて、
ホテル(会社の近く)まで届けましょうか?
そしたら持って帰れますよね。」

明朗会計。


ハラヘッタ

外は暗くなっていて
お腹すきましたねえ、ということになって
私が同僚と飲みに行くお店に案内しました。

「実は、朝しか食べたないんです」

待ち合わせが14時くらいだったから
お昼は済ませているものかと。
こういうところ、私の気の利かないところ。

あらあらすみませんでした、ってなって
まあ、もう我慢してもらうしかないけど。

食べたり飲んだりしながら
会社の話や普段の話をしていると
なんだか楽しくなってきて(お酒飲んでたからね)
この人、結構いい人だなあと思い始めました。

次の日、私は同期の子に
「どうしよう付き合うかもしれない」
みたいな相談をしていました。

そして、東京から帰る前の日に
急いで熱帯魚を取りにいって、届けたんですけど

そして、その2年か2年半くらい経って
1997年5月9日に
私の親族が全員集合して、福岡の中華料理屋さんの
大きな円卓にぐるっと一周座って、みんなから
私に「餅ちゃん結婚おめでとう~!かんぱーい!」
って言われました。

私の両脇には、父と母が座っていました。
私は小さい頃、

おとうさんとおかあさんに
手を繋いでもらって、私を持ち上げてもらう

っていう、ドラマの観過ぎの人みたいな夢を持っていたけど
一度も、それが叶うことがありませんでした。
手を繋いでもらうところまでは成功したけど、

「もちあげて!」

が言えなくて、自分が勝手にぶら下がるしかないと思い
地面から足を離してみようとするけど、父と母から

「ぴしっと立ちなさい!」

と言われて、敗退したんです。

ずっと今でも、持ち上げて欲しかったなあ~
って思いながら、その時のことを思い出してます。
もう絶対叶いませんけど。

我が家は両親が夜に焼鳥屋をやっていたので
昼夜逆転生活をしていました。
なので、家族団らんというものが無かったし
家族5人で食事をしたことも、ほぼありません。
私の記憶では、引っ越しをした日の夜ごはんと
姉が結婚する時くらいです。

なので、その次に開催された「家族団らん」は
私が結婚する時でした。

中華料理の円卓で、
両親が両側にいて、姉ちゃんと兄ちゃんがいて、
おじちゃんとおばちゃんたちもいる、
なんだこれは・・
という不思議な光景を目にしながら

結婚式が終わったら、私以外のみんなは
一斉に東京に帰ってしまって、
そこからは、私だけなんだなあ、と思いました。

おじちゃんやおばちゃんも焼鳥屋をしていたり
ものづくりの職人をしていたりで
福岡に一泊して、結婚式や披露宴のために
時間を取り上げてしまったなあ、と思うと
それでも、みんな笑顔で私を見てくれていました。
申し訳なさと、有難さで、気持ちがいっぱい。

今思うと、その時が
それまでの私の人生で、
一番のピークだったかもしれません。

普段は誰にも構ってもらえなくて寂しかったから
みんながいて、同じものを食べて、笑って。
自分が一番欲しかった景色でした。
みんな帰って欲しくなかったなあ。

カオス

結婚式場のメルパルク福岡は、
今はもう姿がなく、洒落たマンションが立っているようです。

メルパルク福岡はチャペルが無くって
えー、神前式ー?って思ってたけど
かつら合わせの時に

「ノーメイクでこれだけかつらが似合う子、
なかなかおらんよ!」

と謎の褒め方をしていただいて

「あー、富士額ですしね~」

みたいな返事をして、まあ、着物もいいよね!
と機嫌を直しました。

親族大集合の中華料理の宴が終わって
みんなでメルパルク福岡に1泊、
翌日5月10日、
自分の結婚式をするってすごいなあ
と思いながら、ホテルのレストランで朝食・・

可愛かずみさんが前日に亡くなられた
というニュースがテレビに出て
みんな、一瞬声を出せなくなりました。

ドラマでよく観ていて、可愛らしい方だなあ
って思っていたから、ショックでした。
少しずーんときたけど、
気持ちを切り替えて、式。

社内婚だったので、両家のテーブルのほとんどが
会社の人たちでした。
仲人は福岡支店の支店長ご夫妻。

なんていうか、いい意味でだけど

ちょっと盛り上がり過ぎちゃった納会

っていう感じでした。

楽しい雰囲気ではあったけど、
この披露宴、引き出物もコース料理も
私の意見は通らず。
嫁姑の争い…のような、
バチバチなものではないけど
この時から、色々始まっていました。

ていうか、式の日取りや場所も
先にきめられてたもんなあ。

披露宴の時に流す音楽だけは、
自分で用意して自己満足。

あの時はaikoがデビューしていなかったから
ドリカム、槇原敬之、ウルフルズ
みたいなかんじで
当時よく聴いていた人たちの曲を選びました。

私が福岡に来て、
何も気負いせず思い通りにできたのは、
この「披露宴の選曲」くらいかなあ。
あとはずっと、顔色をみたり
言われた通りにせざるを得ませんでした。

消えないけど、やめることはできる

新婚旅行初日から大喧嘩して別行動をしたり
押し入れから無数の「蝶の標本」が出てきたり

実家から離れたところに引っ越してはいけない、
2人の結婚ではなく家と家の結婚だ、
子連れの里帰りは親のエゴ、
東京は空気が悪いから
連れて帰っても外に連れ出してはいけない、
幼稚園は年中から入れるのが当たり前、
七五三は数え年でやるのが当たり前、
主菜副菜汁物、冷凍食品は禁止、
砂糖は三温糖・・(さとうはたつやなのになあ)
あとは省略しますけど、
まあ~~~、いろんなことがありました。
しんどかった。

夫から見た私も、
きっとそういう、煙たい感じだと思います。

「トウキョウカエリタイ」ばっかり言うし
とんちんかんな料理ばかり出てくる、
すぐ泣く、ずっと泣く、ずっと
「なんで一緒に考えてくれないのか」
「熱帯魚の世話と子育て、どっちが大切なの!」
と怒る。
そりゃあ、嫌だよなあ~。

16年ほど同居をしていたけど
2年前、母の葬儀から戻った直後に
今じゃないとだめなの?っていうタイミングで
私が原因だと言われ、同居を解消することに。

解消して、色々自由にはなったけど、
地獄みたいでロボットみたいだった毎日の
どうしようもないトラウマとは
なかなかおさらばできませんでした。

最近になってやっと、

「もういいや、
みんなにいいこといっぱいあるといいね!」

と思って取り払えるようになってきたかなあ。

恨みって一生消えないと思ってたけど

いや、消えないけど

他にもっと目を向けるべきものがあるし
自分にとって悪の出来事があったとしても
誰かの大切な、血を分けた家族
みんなひとりひとり尊い命。
これから、自分自身が楽しく堂々と
生きていけばいいと思います。

今までの私の人生を返せ!
って言ってもいいのかもしれないけど
残念ですが、時間とお金は
「返ってこないと思った方がいい」かなあ。

もうすぐ50歳になっちゃうけど、
だからこそ、いつまでも昔の何かを
どうのこうの言うのではなくて
今から自分の意思で生活して楽しめばいいや、
そういう気持ちが生まれてきました。

aikoちゃんが

「楽しいこと絶対あるから」

って伝え続けてくれていて、本当にそうだなと思って
しんどいことの中にも、探せば何か見つかるよね
と信じるようにしています。

そして、

「佐藤さんの、何歳になっても諦めず
色んなことに挑戦をして頑張っているところが好き」

というのは、こういう生活をしてきた私にとっての
希望みたいなものだったんです。

もう生きてなくていいや、と思って
毎日自分の最期をシュミレーションしていた私は
一生こういう考え方しかできないと思ってたけど
楽しさを与えてくれる人、
諦めずに挑戦している人を見たら
私もそうしたい、自分も楽しくなりたい、
と思えるようになりました。

aikoちゃんと佐藤さんは、
一生だいすきで、恩人です。
自分がこんなに変わると思わなかった。

今までの嫌なことは消えないけど
そういう過去を見ることは、
努力次第でやめることができる 
っていうのを体現していくことが、
これからの自分の目標かなあ。

それにしても私って、
なんでもaikoちゃんと佐藤さんでシメるよね。

ありがとうさようなら

ありがとう さようなら
別の時代に生まれたら良かった
aiko 「友達になりたい」

この曲、イントロから泣かしてきますよね。
歌詞も、やられた!と思いました。

辛くて泣いてばかりの時期の自分から
ちゃんと卒業したいなあ、って思う気持ちと
別の時代に生まれてたら、
違う人生の自分がいたんじゃないかなあ、
っていう気持ちを
勝手に重ねて聴いています。

aikoちゃんて、いっつもこうやって
その時の自分に重なる言葉をお見舞いしてくれます。

恋愛面で重ねている人も、沢山いると思います。
仕事とか、勉強とか、色々重ねられると思うし。

私は、ちょうどいま、
この歌詞をもらうことができて
今の自分の気持ちは、間違ってないんだなあ
と勝手に思えています。

まあなんかそういうことで、
25年たちましたーーーーーーー、えいえいおー!


イントロ2小節目めっちゃやばいから聴いて


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