なにか研究会「愛とはなにか」感想

今回も予想以上に面白かった!
話を聞くのも面白かったし、途中からパズルを解いているような面白さがあった。


言葉だけで愛は説明できないと思う。感じることが大事。
とはいえ、研究会をやった結果、愛に対しての余計なノイズが減った気がした。

最初に愛っていろいろあって恋愛、友愛、ペット、親子、不倫、浮気、物(愛車とか対物性愛)、ストーカー、師弟愛、自己愛、社会貢献とかあるよねーとか、これは愛に入らないんじゃないかみたいな話から始めた。

参加者はAさん、毒ちゃん、サパ子さん、究極Q太郎さん。
(名前出している人は許可を得てます)

建物のビルに対する性愛とか、パンセクシャル(恋愛対象がいろいろ)というセクシャリティ、自己愛性人格障害、境界性人格障害とかいろんな言葉が飛び交った。
薬にあるブロンという成分を摂取すると、脳に恋愛している時と同じ物質が発生し、強制的に恋愛感情が生まれる話とか、自分が大事にしている人形を代理で旅行に連れてってくれるサービスがある(自由に体を動かせない障がい者に需要がある)とかいろんな話が聞けた。

人形やビルとか石とかの対物性愛の「好き」とラーメンとかの「好き」の違いはなにか?の仮の答えは人格性を感じられるかどうかという説になった。
サパ子さんの「建築家は建物に人格のようなものを見出しているのかもしれない」という話が面白かった。


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最近影響を受けている本「7つの習慣」にあった言葉で「自己の超越」という言葉があって、自分の中で一つの愛の定義かと思ってる。
友人の幸せそうな姿を知り、自分も嬉しくなる。逆に悲しいとこちらも悲しくなる。
これの逆で、他人の幸せを妬んだり、不幸を喜ぶのは愛ではないのではないか。



愛とはなにかについて出てきたもう一つの答えは「会う」ことだった。
誰かを1対1で会う約束をするのには勇気がいる時がある。
だから、安易にイベントや飲み会などのコミュニティで会うことに頼ってしまうところがある。

そんな話をしてたらAさんが「遠くにいる人ってなかなか嫌いになれない」「殺人事件も家族関係が一番多い」「よく会う人を好きになりやすい」という話をした。

毒ちゃんはとある男性に「好き」というのがなんか違うなって時に「会いたい」という言葉を使ってた話を聞かせてくれた。

前回のなにか研究会「死への向き合い方」の時にぺぺさんが「余命あと何ヶ月って言われた時にやりたいこと、会いたい人に会うところに生きる意味があるんだと思う」と話されていて、きっとそうだと思った。
心理学の調査で余命3年だと知ったらどうしたいかの問いには、「やりたいことをやる」という答えが多く、余命3日と知ったらどうしたいかの問いには「誰々に会いたい」という答えが多かった。
やはり、人生のゴールには愛が大事なのかもしれない。

自分は無宗教だから葬式はされたくないけれど、もし、葬式の弔辞で読まれるならどんなのがいいかの話で「あなたはとてもお金を稼いで、タワーマンションに住んで、いい車に乗るという誰もがうらやむような生活を送った素晴らしい方でした」って言われたいかっていうとほとんどの人はそうではなく、「せめてあともう一回会いたかった」とか「あなたのおかげで今の私がいます」みたいな愛を言われるのがほとんどの人の理想なのではないか。
なかなか高い理想だとは思う。
人生の理想のゴールはここにあるのかもしれない。



自己愛について
「自己の超越」とか「会う」には誰かがいて成り立つものだ。
じゃあ、自己愛ってなんだろうって話になった。
人間関係のパターンでwin-winの関係というのはよくある。
win-loseというパターンもあるのは簡単にイメージできる。
「7つの習慣」に書いてあったlose-winの関係という言葉は大きなヒントかと思う。
lose-winは自分が負けて相手が勝つのを自ら進んで選択してしまうパターン。
例えば、自分さえ我慢すれば家族はうまくいくとか、今自分が会社辞めたらみんなが大変になっちゃうなどのパターン。
いつのまにか冷静になれてなくて、本当に大事なものがわからなくなって自己犠牲をしてしまう。
この自分が進んでloseになってしまっている状態は自己愛ではないんじゃないか。

言い換えれば自己愛とは主体的に生きることなのかもしれない。
自分がうまくいってない状態を環境や誰かのせいにして諦めてしまうのは主体的とは言えない。
運命だからしょうがないと思うのではなく、現状維持なら現状維持がベストだと選択する生き方を自己愛というのではないか。
そして、それがうまくいけば自立ということなのだろう。

話を進めていくうちにもう一つの視点があるという話になった。
自己愛=自分を許すこと。受け入れること=完璧主義じゃなくなること=人間だから多少しょうがないよねっていう思考回路を手に入れること。

で、これって自己愛に限らず他者愛にも言えるんじゃね?となった。

ストーカーについて、最初はひとつの愛の形ではないかという意見もあった。
「会い」という意味では愛なのかもしれないけれど、自分の求める完璧を押し付けているという意味では愛ではないという話になった。
それは「価値観の押し付けという暴力」ではないかと。
で、「価値観の押し付けという暴力」って恋愛における束縛だったり、ポリアモリーの人にモノガミー的人格を求めたり、親が子へ「あなたのために言ってるんだ」という建前での押し付けとかにも言えているよねってなった。


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まとめると「自己の超越」「会い」「完璧を求めない」が愛のヒントなのかもしれない。


前半で例に挙げた弔辞は理想であり、それが普通というわけではない。
愛は人生を豊かにする要素だと思うけれど、人の命は他の生物同様、生態循環の一つ。

なにかの物語みたいに、悪いことした人が正義の味方にやっつけられるわけでもなく、不運に見舞われる事は少なく、なかなか死なないのが現実。
逆に素晴らしい事をしている人が必ず不運に合わないと言う保証もない。
愛に溢れた人生でも、そうでない人生でもいつか簡単に死ぬ。
それが自然であり、現実である。

人類は飯を食って排泄を繰り返す。
子孫を残して死ぬのを繰り返す。
食物連鎖で生態は循環してる。
くるくるまわっているのである。
月は地球の周りを回るし、地球は太陽の周りを回り続けている。
知らないところで原子の周りを電子が回っている。
すべてのものはただ、それだけだったりしていて、そういう意味では愛は循環にとってはただのノイズなのかもしれない。


おわり。

にしようかと思ったけど、こんな終わり方でいいのだろうかって思ってしまったので、もう少し。

翌日になって、自分について考えた。
研究会中、サパ子さんは好きの気持ちをブレーキしてしまうことがあるっていう話がすごく引っかかってた。

自分は恋愛に対してよくブレーキを踏んでることにうすうす気づいてたけど、改めて強く自覚した。
理由はいろいろありすぎるので、ここには書かない。
そして、友情に対しても、いろいろ歪んだ関係を生きてきたことが多いのかもしれない。
これについても詳しくは書かない。

この詳しく書けなかったところが話としては一番面白いところな気がする。
いつの日か書く時が来るだろうか。

翌日になって自分の歪みにある程度気付かされた。
今年は歪みから個性へと変えていきたい。
実はなにか研究会で一番得たのは、誰かと対話することで今の自分に対して見え方が変わった事だったのかもしれない。

おしまい。


って事で今後「なにか研究会」で検討しているテーマ

「今を生きるコツ」
勉強、投資、準備、貯金etc。今を生きる時間短すぎない?
心を亡くすと書いて忙しいだけど、便利とか時短とか効率とかの言葉がこんだけ溢れてるのに現代人が忙しいのってなに?
人類は農耕を始めてから「未来」という概念に出会った。
農耕をしていないアフリカの原始的な生活をしている民族で「未来」を意味する言葉が存在しないとか。


「自分を生きるコツ」
ハイロウズの曲で「人間らしくありたいだなんて、それは人間のセリフじゃないだろ」ってあったけど、自分を生きるってなんだ。
昔は村の縄張り争いには一丸になって戦う必要があった。
農業も自分の畑をちゃんとしないと、他の人の畑に悪影響が出る。
昔は自分が生きるためにはみんなで生きる必要があった。
ただ、現代ではみんなで生きるのはしがらみだ同調圧力だと思う人が増えてきた。
同時にビジネスの世界ではセルフブランディングが求められるようになってきた。
人は多くの場面で忍耐、我慢が求められるが、我慢しない事も大事だったりする。自分を生きる上でのそれらの重要性とかも考えたい。

他には
「人生プラン、みんなどんぐらい考えてる?」
「分かり合えないことを分かり合う。を分かりやすく」
「インターネットとの繋がり方」
「学校の洗脳を自覚する」
「コロナ、コロナ対策による人々の分断を研究する」
「お金の正体」
「長生きの価値」
とかとか

なにか研究会、あと何回開催されるのだろうか。
参加ご希望の方はご一報下さい〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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ガヂヲ
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