証明も反証もできない
2024.09.22 / タイトル画像は "傘をさしながら自転車を運転する頭のおかしい人"(出典:いらすとや)
日記
今月二度目の三連休二日目。今日も午前中のうちに買い物を済ませた。帰りにモスバーガーに寄りメンチカツ・フォカッチャを買って家で食べた。
先日、急な雨が降った際に傘をさして自転車に乗っている人を何人か見かけた。緩やかな自傷行為と言って良いと思う。
首の皮
負けをぎりぎりのところで回避しているようなときに「首の皮一枚つながっている」という言い方をしたりする。
首の皮しかつながってないならお亡くなりなっている(ブロッケン伯爵は除く)ので、その状態になった時点でたぶん決着はついている。
連続体仮説
内容はここに書いても意味がないので省略するが、ドイツの数学者ゲオルク・カントールが連続体仮説という仮説を立てた。カントールはこの仮説を証明できなかったが、後にこの仮説は「証明も反証(命題が偽であるという証明)もできない」ということが証明されている。
この "「証明も反証もできない」ということが証明されている" というのがややこしくて痺れる。これについて行ける人はそんなにいないだろう。私は逃げ出した側の人間だ。ただ大半の人が「見たことはないけどヒグマなんか怖くない」あるいは「ヒグマを見たことはないけど怖い」だとすると、私は「ヒグマに遭遇したことがあって怖くて逃げ出した」という臆病者だ。
もやもやする
「推し活」という言葉を聞くたびにもやもや感を感じる。とくに(使い古されたステレオタイプの)OTAKU とはかけ離れた外見の方がこの言葉を使っている場合にもやもやが5割増くらいになる。
このもやもや感が発生するメカニズムを誰か文章にしてくれないか。
それでは、また明日。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?