2021-22 徳島ヴォルティスを卒業する選手たち
このオフに卒業していった選手たちの思い出を振り返る記事です。
藤田譲瑠チマ(#13・MF)
東京Vから21年に完全移籍で加入。J1へ昇格した徳島にとって、この年唯一完全移籍で加入した選手となった。徳島戦でプロデビューを飾っている。
移籍後すぐにポジションを奪い開幕戦のスタメンに抜擢。豊富な運動量、類稀なボール奪取力、東京Vユース仕込みのテクニックを見せつけ、サポーターの度肝を抜いた。ピッチ上では最年少でありながら常に味方に指示と檄を飛ばし続けるリーダーシップも印象的だった。
パリ五輪代表候補の有力選手であり、代表合宿でたびたび離脱。目まぐるしく変わる戦術に困惑し本来の持ち味を失いつつある時期もあったが、終盤スタメンに復帰した際にはポジショニングが格段に良くなり、チームに欠かせない存在になった。
そんな逸材がJ2へ戻るわけもなく、王座奪還を目指す横浜FMに完全移籍。伝統あるクラブでも先陣を切り、五輪代表、そして海外まで一気に駆け抜けてもらいたいものである。
岸本武流(#15・MF)
19年にセレッソ大阪より期限付き移籍、同7月に完全移籍に移行となった。前年は水戸ホーリーホックに期限付き移籍しており徳島と対戦。その試合で岩尾を負傷退場に追い込み、"徳島の敵"として認知されていた。後に島屋八徳が発した「あのときの子か!」は当時のサポーターの心境と一致していた。
もともとはFWの選手であり、徳島でも移籍当初はFWの一角として活躍。スピードを生かした裏抜けと身長以上に強さを見せるヘディングで得点を決めていた。チーム事情もありシーズン途中からサイドプレイヤーへとコンバートされたが、この得点力が色褪せることは一切なかった。
サイドへのコンバートはFWへのこだわりや、藤田征也・田向泰輝といった強力なライバルの存在もあってすんなりとはいかなかった。しかしライバルから技を盗むかのようにクロスの精度と守備力が向上、サイドプレイヤーとしての自覚が芽生え、20年には垣田という同い年の相棒を得てホットラインを形成、欠かせない存在へと成長した。21年には副キャプテンに就任し、出場試合数・出場時間ともに岩尾に次ぐ2位の数字を残した。かつて岩尾をピッチから追い出し徳島の敵となった男は、岩尾がいないピッチで徳島を引っ張る男になった。
降格直後は残留を匂わせるようなコメントを残していたが、J2でやり残したことなどもはやなく残留を争った清水へ完全移籍。徳島の選手として何度も切り裂いたアイスタのサイドを、今期は何度駆け上がることができるだろうか。
ジエゴ(#4・DF)
19年に松本山雅FCより完全移籍で加入。前年は岸本と同じく水戸へ期限付き移籍しており、田向と両翼を成していた。
体格に優れた左サイドバックであり、前年サイドプレイヤーに苦労した徳島の救世主として期待されていた。しかし怪我が続き本稼働は20年の後半から。見た目通りの身体能力の高さと、誰も(味方も)予想できないアクロバティックな動きで見るものをハラハラワクワクさせた。個人的な体感で言うとハラハラのほうが圧倒的に多かった。
21年に就任したダニエル・ポヤトス監督の信頼を得たかどうかは分からないが、ともかく出場時間を大幅に伸ばした。ハマったときにはマテウス(名古屋)も完封するも、たびたびやらかして敗因に直結するその様は、まるで試合ごとにおみくじを強制的に引かされるようなもので、ジエゴみくじとしてサポーターに愛された。愛されてたか? 俺は愛していたよ、ジエゴ。
メンバー表に名を連ねるだけでサポーターの心を浮つかせるエンターテイメント性が買われたかどうかは分からないが、かつてCygamesをスポンサーとしていた鳥栖へ完全移籍。ジエゴみくじはジエゴガチャと姿を変えて鳥栖サポーターを喜ばせることができるだろうか。
垣田裕暉(#19・FW)
20年より鹿島アントラーズから期限付き移籍。前年までの3年はツエーゲン金沢へ期限付き移籍しており、その実力は広く知れ渡っていた。
いきなり開幕スタメンに抜擢されると、ゴールへ向かう動きだけではなく最前線でのタフなプレッシングやポストプレーで抜群の存在感を発揮。リカルド・ロドリゲス体制初年度にチームを引っ張った渡大生・山﨑凌吾の2トップがこなした仕事を1人でこなすかのようであった。勝負強さも持ち合わせており、古巣金沢との試合では3点差を追いつかれたあとに決勝弾を叩き込んだ。明るいキャラクターでもチームをもり立てていた。
21年はチームで数少ないJ1を経験した選手として期待された。得点が獲れず苦しんだ時期もあったが、それ以外でのプレーの貢献度は一切落ちることがなく、鳥栖戦・横浜FC戦での連続2ゴールはエース健在をアピールした。
J1でも戦えることを証明し、次は鳥栖へ期限付き移籍。いつか常勝軍団・鹿島のユニフォームを身に纏ったこの男と対峙する日が来るのだろうか。今から楽しみである。
上福元直人(#21・GK)
足元の技術に長けたGKとして20年に東京Vから完全移籍。前年の正GK梶川裕嗣を失った徳島にとって救世主となった。
加入直後より持ち前の技術をいかんなく発揮。すぐに後方の核となりチームを支えた。惨劇の四国ダービーで負傷してしまい一時期ゴールマウスを譲ったが、復帰後は徳島の最後の門番として立ち続けた。
J1でのシーズンはチームとしてボールを保持できる時間が少なくなったことや、J1のGKとしてはややセービング力が見劣りすることもあり苦しんだ。信じられないようなミスで戦犯となりポジションを失うこともあった。それでもそのたびに課題に真摯に向き合い続け、崖っぷちのFC東京戦ではかつて根城としていた味の素スタジアムでPKストップを見せチームを救った。
22年はJ1へ昇格した京都へ完全移籍。ユース上がりの若原やニュージーランド代表のウッドとのポジション争いは簡単ではないだろう。挑戦を選んだ男に幸あれ。
吹ヶ徳喜(#27・DF)
20年に阪南大学より加入。徳島にも多くのOBが在籍する名古屋の下部組織出身であり、同時に加入した杉森考起とのホットラインが期待された。
加入後は負傷に苦しみ、20年はまさかの出場時間なし。しかし21年のJ1開幕戦でスタメンデビュー。体力の差は隠しきれなかったが、確かな技術と左足を生かしたビルドアップは序盤のチームにおいて数少ない希望でもあった。しかし徐々に受けに回ることが多くなったチームではその力を発揮する機会が限られ、出場機会を失った。
今季はFC今治へ期限付き移籍。ひとつカテゴリーを下げて実戦経験を積む1年となる。来年帰ってきてくれるかは微妙なところだが、帰ってきてくれた際にはまたあの技術と、まだ見ぬ杉森とのホットラインを見せてもらいたいものである。
宮代大聖(#11・FW)
J1へ臨む徳島に王者・川崎から期限付き移籍で加入した。
開幕戦からその実力を遺憾なく発揮し、徳島に「王者の基準」を見せてくれた。最前線でも競り負けずライン間でも簡単に前を向いてしまう身のこなしとテクニックは、J1で戦った実績に乏しい選手が多い徳島にとってあまりにも圧倒的だった。クラブとしてJ1ホーム初勝利を飾った横浜FC戦、続いてJ1初の連勝となった清水戦でいずれも決勝点を記録して、一躍徳島のエースとなった。
22年は鳥栖へ期限付き移籍。この質のプレイヤーを貸し出せる川崎には恐れ入る。宮代が王者のもとへ戻ったそのとき、徳島は王道を阻む一員としてあれるだろうか。
福岡将太(#20・DF)
19年に栃木より完全移籍。抜群の身体能力と技術を持つDFとして、パワー不足にあえぐ徳島守備陣を支える存在として期待されていた。
加入1年目は負傷などもあってゲームになかなか絡めなかったが、20年に転換期。スピードを生かしたカバーリングや空中戦の強さもさることながら、ビルドアップが飛躍的に向上した。パスだけではなくドリブルでもボールを運べるのは前年に所属していたヨルディ・バイスにはなかった特長であり、移動式砲台として徳島の最大の武器となった。
J1ではプレッシングの強度・速さの違いに苦労した。横浜FM戦、柏戦など何度もボールをかっさらわれ、失点につながった。しかしそんな状況にあっても武器を見失うことなくチャレンジし続け、J1に適応した終盤戦にはやはり欠かせない選手となっていた。
22年は片野坂監督が就任したG大阪へ完全移籍。後方でボールを大切にするあのサッカーにおいて、将太の武器は生きるであろう。だが我々サポーターが心配しているのはそんなことではない。「お笑い担当」を自称しながら新体制発表でスベり続けたあの芸風が本場大阪で受け入れられるのか。それだけが、我々が22年の福岡将太に感じるただ一つの不安なのだ。
小西雄大(#7・MF)
徳島で生まれ、旅立ち、17年にG大阪ユースから帰ってきた「阿波っ子」。
高卒ルーキーながら早々にデビューを飾るなど、リカルドの英才教育を受けて育った。18年にはアクロバティックなボレーでプロ初ゴールを決めるとこれが決勝点。小西が決めればチームが勝つ、「小西神話」はここから始まった。19年、20年はいずれもポジション争いに負けての開幕となったが、気がつけば岩尾の隣にはいつも小西がいた。ピッチを縦横無尽に駆け回りリンクマンとなり、スペシャルな左足ははるか遠くの味方にもボールを届けた。
22年は山形へ完全移籍。再び徳島から旅立つことになる。今オフ唯一同カテゴリーへの移籍となり、その知らせにダメージを受けたサポーターは少なくないだろう。もちろん、残ってほしかった。できれば、岩尾の跡を継いでほしかった。小西に対する想いは書ききれないほどある。だが、本人はそんなこと百も承知で旅立つのである。であれば我々にできることはその背中を見送ることだけなのだろう。
行くなとは言わない、けれど、いつでも帰っておいで。ここは君の地元なのだから。
岩尾憲(#8・MF)
言わずとしてた徳島のカピタン。すべてを費やしピッチの上に表現した男について、改まって語ることなどもはやない。また会いましょう。
鈴木徳真(#23・MF)
19年に筑波大学より加入したボランチ。高校時代から名の知れ渡った選手であり、そういう選手が徳島を選んでくれたことに感動した。
加入直後からとてもルーキーとは思えないいぶし銀のプレーを見せていた。常に首を振り続け、自陣の僅かな緩みも許さずにスペースを監視する守備力は、精鋭揃いの徳島ボランチ陣の中では際立っていた。突出した武器はなかったが、常に正しい位置をとり常に正しいプレーをし、チームを支えた存在であった。
J1で戦った21年にはポヤトス監督の指導もあり出場時間を伸ばした。岩尾・小西と比べやや物足りなさがあったボール保持時の振る舞いがよくなり、チームにパワーをもたらす存在になった。おとなしそうな顔立ちに反し意外と気性は荒く、どことなく「北関東のヤンキー」感があった。
22年からはC大阪に完全移籍。タレント揃いのチームで土台を支える力は十分に持っている。どうでもいい話だが、今季移籍した選手の中で移籍先のユニフォームを着ている姿想像できないランキング№1だと思う。あの素朴な顔立ちとセレッソのギラギラしたピンクが合う姿が思い浮かばない。ピッチに長く立ち続け、早くその違和感を払拭してもらいたいものである。
ドゥシャン(#3・DF)
20年に横浜FMを契約満了になっていたところに声をかけ獲得。横浜FM時代はスキンヘッドで「和尚」と呼ばれていたが、徳島では一貫してイケメンナイスガイの風貌だった。
横浜FMに在籍したこともあって足元の技術は持っているだろうと思われていたが、正直そうでもなかった。ただし、守備力や空中戦の強さは圧倒的で、ビルドアップを大事にする徳島では絶対的な存在にはなりえなかったが、貴重なオプションになっていた。J1でも強力な個に抗える存在として期待され、そこでは一定の成果を上げていたように思う。
21年オフに残念ながら契約満了。22年のJ2は反則級のアタッカーが例年に比べ少なく(J1クラブが根こそぎ奪っていったため)、ドゥシャンの特徴も活きないと判断されてしまったか。だがその力はまだまだ健在であり、ドゥレの力を必要とするクラブはカテゴリーを問わずあるだろう。日本に留まるかまだ分からないが、きっとまたすぐに会える、そんな予感がする。
鈴木大誠(#19・DF)
徳真と同時に19年に筑波大学から加入。前年にも特別指定選手として在籍していた。高校・大学で全国制覇を経験したエリートだが、エリートぶることはなく常にいじられていた。高校時代に決勝戦を戦った仲である徳真には大学入学当初避けられていたエピソードが「ウソホン教室」にて語られている。
19年に早々にデビューを飾って及第点のプレーは見せていた。しかし、戦術的な都合もあり出場機会は限られており20年は琉球へ期限付き移籍。そこで一定の経験を積んできたものの、J1で戦う徳島において主戦力とはなりきれず、カップ戦やエリートリーグが主戦場となっていった。
22年はライバルクラブである愛媛に期限付き移籍。昨年の悔しさを胸に「大事なときにピッチに立って仕事をする」ための力をつけることができるだろうか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?