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愉しまねば損
合気道にハマっている某芸能人の話だと合気道の師匠に
「そんなにツライ顔して練習するなら練習しないほうが良い」と言われたそう。
これはやせ我慢せよとか空元気出せとかの根性論、精神論ではなく、何事も楽しまないと損だということである。
私は最近、6時出勤も増えており、家を5時に出発するから大体4時起きだ。
これは多くの人に「大変だねぇ」と言われる。
しかしよくよく考えると日頃から大体4時半頃に起床している私は30分くらい早くなっても全然大変ではない。
確かに朝に筋トレとかランニングとかラジオ体操とか新聞読んでそれにインスピレーションされたことをエッセイにする時間が朝に取れなくなった痛手はあるが、夕方や夜、もしくは日中でも空き時間に筋トレやラジオ体操は出来るし、何も大変ではない。
よって、私はよくこう答える
「心頭滅却せば火もまた涼しじゃよ。
大変なことはあらへん」と
きっと人々は私のことをやせ我慢したエセボジティビストと捉えてるかもしれない。
どう捉えようとその人の自由だからそれを否定したり、訂正したりは私はしない。
しかし某芸能人の合気道の師範の言わんとすることは私は痛いほどよくわかる。
「ツライと思ったら無理してやることはない。
無理にではなく愉しめば何事も楽しいはず」ということだ。
登山も人々は「よく大変な登山するねぇ」
「あんな雪山に」と感想をなさる。
私は余計なお世話というと喧嘩になるから言わないが、楽しくて楽しくてしかたないので、同情される意味は分からない。いや、言わんとされてることは分かるが「そうじゃないんだなぁ」とは思う。
マウントを取ってそんなことを言うつもりは毛頭ない。
マウントなど取ったらきらわれるだけで損であるから。
なのでこういう王様の耳はロバの耳的なエッセイではハッキリと言うが普段はそんなことをあえて明言などしない。
先日の雪深き烏帽子岳の登山をしながら
誠に月並みながら
「この登山の歩みは人生そのものだなぁ」と痛感した。
登りがキツイと思えばキツくなるし、楽しめば本当に楽しい。それは登山も人生も一緒。
また登りの楽しみと下りの楽しみは種類は違うがどちらも楽しい。40後半〜50代ともなるとほぼ人生の折り返し地点は過ぎる可能性高いが、折り返しから先を下りと喩えても、それはそれで楽しい。
まさに合気道の師範のように眉間に皺を寄せるくらいなら練習しなきゃいい。(人生を歩まなきゃいい)
なんとも教訓的な記述となるが、繰り返すかやせ我慢や空元気の類ではなく、素直な感慨に過ぎぬのだ。