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カニのヨコバイ

過去何度も吾輩のエッセイにはマイケルシェンカーの作品と彼の精神の錯乱状態との比例関係を例示した。

芸術家とは、画家も音楽家も書家も陶芸家も彫刻家も作家も詩人も、藝術家として共有することはどちらかというと「快」のポジティブ感情よりも
「不快」(不安、寂しい、妬ましい、眠い、痒い、痛いなど)のネガティブ感情の発露として形式を与えたのが作品と言えることが多い。
音楽は特に、メジャーコードよりマイナーコードに惹かれる(多くの日本人がそうだと言いますし、吾輩はまったくもっししてそうだが)
所以であろう。

自意識過剰という言葉もある。そして無理して「不快」から「快」にもっていこうとする強迫観念。

自分の「快」のこころにそんなにおうかがいを立てる必要はあろうか?

そんなきまぐれな感情はたまたまそうであって、無理にそれを求めると逆に逃げていくようなところがある。

カラオケでクリスタルキングの大都会を見事に歌い切ったあとは「やり切った」感での「快感」を得られるが
そんな快感など余韻含めて短時間だ。

立山、穂高、白馬辺りの絶景もそのインプレッシブな感動は感じてもずっとそこにいたら間違いなく飽きる。

温度の適正感、眠気、だるさの慧眼、TO DO積み残さず、きちん、きちんと処理したスッキリ感、
子供の講義出席状況のヤキモキの軽減、
社会のため、ひとのために貢献したという満足感、ほしいマクラーレンアルトゥーラを得られたという満足感
目立ちたがり屋さんが、コンサートでも、プレゼン大会でもベストパフォーマンスをして賞賛受ける快感

それでも人間のこころなんてきまぐれ、すぐに「不快」に向かう。

酒・女・薬・打ちは現実逃避であり破滅への地獄の一丁目

ライジングサンの勢い
バブル崩壊は1991年とも1992年とも言われるが、あそこまでの饗乱、狂爛はまさにライジングサン
1985年とか1986年が最大傾斜に感じるが

1986年の男女七人夏物語、明石家さんまがジャスト30歳、片岡鶴太郎が31歳、大竹しのぶが28歳、池上季実子が27歳、奥田栄二は少し上で35歳(ドラマの設定では野上は今井良介と大学同期の設定だが、でも大学って年齢違う人が同期のこともあるからなぁ)、賀来千香子は若い!!24歳。一番影の薄い小川みどり(知らない人が多いのでは?)は当時25歳。
男女七人秋物語の手塚理美の役どころが夏物語では池上季実子であったが、綺麗でカッコいいお姉さんでタバコも吸いややツッパテル役柄。トレンディドラマの走りで独身男女はそれぞれ高級マンションに住み、当時はやったDCブランドに身を包むのだが、1986年(昭和61年)はすこしづづ、ものがレトロ。とくに扇風機やふすま、やアパートの扉。

しかし38年前というほぼ歴史上の過去だがキラキラしてましたな。パルコのショーウィンドウやロッキー4の映画看板とか。
BON JOVIのLivin’ On A Prayerも1986年。
このエッセイの冒頭に不快の要因はたくさん列挙した。つまりその要因を摘めば「完全快」にならんとも不快は軽減される。
1986年みたいな勢いは求めても届かず、いろんな偶然が重なって達成されるものである。

夜のランニングは気持ちよい。プレゼン準備も虚栄心満たし含めて気持ちが良い。英語学習も、将来デッサンも。

新日本風土記、立山地獄と極楽巡り
最高。

ジプシークィーン

恋人よは荘厳

そうだ!自分の記憶を過信しないようにしている。記憶の消去や上書き保存は多数。
認知症と健常の境もボーダレス

日本だと100名超える人物が薬物逮捕者だが、

レイア姫役のキャリー・フィッシャーは逮捕こそされてないが、死後に体内から大量薬物が出てきたと

ディエゴマラドーナも

プレッシャーに押し潰されて薬物依存になるケースも

安倍晋三首相が第一次政権退陣直前は顔から表情消えた。少なくとも鬱状態。

先日の蓼科山での山頂で証拠セルフ撮影したら、表情なかった。心因性疲れてとそれ以上に肉体の疲れなどで、、、
しかし人間そんなことは頻繁に起こる。

妙な楽観主義でどうなる問題でもない。



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