Red Ray with Illness
①I like dogs.
②I like a dog.
③I like the dog.
この差は
①は犬(総称)というものが好きだと述べるとき。
映画が好きだというのも一緒。
I like movies. (I like a movie.は×)
②は語り手の中ではある特定の一匹があるが相手にとっては共有していないだろうと語り手が思うとき
この表現を用いる。
③は聞き手も知っている「御存知、あの犬」について述べるとき。
さらに誰もが知っているであろう象徴としての犬(例えば犬神など)もthe dogとなる。
無冠詞は厄介。by bicycleやby ferryなど交通手段みたいなときは一つのバイスクルやフェリーではなくて概念としてのそれになる。その際は無冠詞。
other とanother の差は?
通常anotherは単数扱い。otherは othersやother peopleのように複数。
the otherというときは元々複数あるうち残り1個のときは単数でも当然使える。
10個あるうちまずは1個選び、9個の中のどれか1個はanother. The othersは残り9個全部。
冠詞は実に難しい。前置詞も実に難しい。With は一緒にと日本人は思うが、元々の意味合いは対立。
なんか逆じゃんと日本人は違和感。
with は比較(compare A with Bなど)や対立(argue with~)、道具のwith 、関係(be familiar with)など
原義は日本人の感覚とむしろ逆。
分詞が前置詞化した regarding やconcerningやinclidingなども。
Due to, in spite of, according to, with regard toなど熟語も前置詞句
時制(3単現のS)や冠詞、前置詞はネイティブは法則をいちいち考えていない。
慣用句として自然な言い回しを使っているだけ。日本人にとっての日本語もしかり
「言わずもがな」とか「しないわけではない」とか。いちいち意味を吟味していない。
フィーリングで使っている・
さて人の人生とはまっこと奇ッ怪である。『こころ』の先生はかなりヘヴィーな内的葛藤。
ジャニス・ジョプリンやジミ・ヘンドリックスやエルビス・プレスリーやホイットニー・ヒューストンや飯島愛や津島修二は皆才能の塊ながら大したことないことに悩み歩くことすら億劫になり果てていった。
ケンシロウのゲイラ様(ジャバザハット)も。
ジャニス・ジョプリンのMOVE OVERをグリムススパンキーがカバー。本物より本物っぽい。
グリムスパンキーは井上大輔の「めぐりあい」もカバー。本物より良い。SUGIZOも関わり。
そういえばTM NETWORKの「BEYOND THE TIME~メビウスの宇宙(そら)を超えて」も
ルナシーがカバー。これは本家の方が良い。
SUGIZOの「光の涯(はて)」や「水の星へ愛を込めて」「A Red Ray」もグッとくる。
Eveの「闇夜」(どろろ主題歌)も。
英文で言えば余計な修飾節(関係代名詞節、関係副詞節含む)など排除されたシンプルな短文。
素麺も素数だな。
いや素麺には実は油が塗ってあり見た目の予測よりは高カロリー。
蕎麦もルチンなど含まれるから健康なイメージあるが結構高血糖食物。
赤ちゃんは余計なものが付いてないからシンプルな素数。
難しいのは「捨の心」かもしれません。というのは「執着」があるからです。
欲をかなえたい、許したくない、相手に認めさせたい、勝ちたいというのは、
全部「執着」である。人間は執着してい思いを「相手のため」「世の中のため」「正義」や「愛」のため、
と屁理屈を作って正当化をしています。これは親子間でも国際関係でも同じです。
赤ちゃんにはまだ執着は少ない。それでもあるけど。母乳にとかに。
漱石のネコの最期も生への執着を無くしたらなんとも太平な心持ちになり、ありがたい、ありがたい、と。
山では雑念は消える。ただ目の前の自然への対峙があるのみである。
生まれたとき生命は素数、死にゆくときも素数、しかし素数は永遠に無限大に続く。
カオスは行書、秩序は楷書