102 creation分析
noteではいわゆる投稿者はクリエイターと呼ばれる。ではその創作物はクリエイションと英訳するのが妥当だろう。
8月5日(水)の朝6時台後半45分頃から三宅民夫のマイ!BIZで「noteの急成長」について芥川賞作家でIT企業役員の上田岳弘さんが解説。
ツイッターや他のblogより、所感や呟きというよりガッツリした文章による作品としての側面が強いと説明されていた。
また、noteの有料投稿(有料無料の選択が出来る)の仕組みは他のプラットホームとは一線を画すと。つまり広告も入らないことが特徴。
私は他のSNSでも所感より作品を意識した内容を発表していた。一部のSNSはそのコミュニティーの世界観もあり、あまり踏みこんだ文章は浮いてしまうことを感じていた。あまり、力を込めた執筆には場が向いていなかったのだろう。
よってnoteになったから急に作風を変えたわけではないが、より私の作風にあった場所を見つけ、水を得た魚となれたわけである。
この投稿をふくめて2ヵ月と約一週間(約70日)で102作のクリエイションを発表したのでペースはまあまあだろう。過剰スピードとも言えなくもない。ただ無理しているわけでなく、アウトプットしたい欲求にしたがってエキスプレスしているので楽しくて仕方がない。
良い悪いではなく、大体、note投稿のジャンルというか路線というか、atmosphereの型を決めている方が多い。いや多いというよりほとんどだろう。反対に、例えば宮部みゆきさんが歴史ものから現代もの、ファンタジーものの小説など型をいくつか持っているように私もジャンルやネタは多様性がある。悪く言えば首尾一貫していない。先に述べたようにこの首尾一貫は良い悪いの論点ではない。
以前も私のジャンル分けについて記述したことがあったが、本来は最近よく書くような哲学チックな思想系をガッツリ書きたいが、なかなかこれ一辺倒だと読者を選ぶというか、読むのも辛いことは承知、もうちょい肩の力を抜いた新聞の社説やコラムのようなエッセイを時事ネタや時間軸は過去でも未来でもこだわらず徒然なるままに書くスタイルを多めに進めていきたい。
小説は漱石が息抜きに我輩は猫であるを書いてあたったとあるが、私もプロの小説家ではないから、素人の息抜きで小説めいたものも執筆したい。ごくたまにこのジャンルも投稿した。
芥川のようなあまりにも有名どころ過ぎるところにも臆するところなく書評し、小説への関わりも増やしたい。
あとは本当に息抜きで趣味の音楽やラジオ番組の健忘録のようなものが多い。
音楽の趣味は圧倒的にロック(70年代~90年代中心)とクラシックミュージックだ。それらを衒学的に記しているわけでなく、自らが書いて読んで楽しむのが第一義であり、趣味の合う方が反応してくれたら尚良いという感覚でクリエイトしている。
その他懐古主義で自分の中学~高校の頃中心の映画やゲームなど趣味も投稿している。40代後半の私なかなか昔の話になるのでなかなかその時代へのヒット率も低く、反響は薄い。それでも良いと思っている。
noteは他のblogやSNSのような日記的な使い方は流行りではないので、コロナ禍ゆえに出掛けられなくとも幾らでも書くことがあるのだが、2014年~2016年頭にかけて約一年半の単身赴任旅行記もガリバー旅行記のようにたまに投稿する。所詮は他人の旅行記であまり反応はよくないから最近はほとんど書いていないが、たまに暇つぶしに投稿はしようと思う。
大別すると上記の5ジャンルかと思うが、徒然なるままに心の赴くまま、今後もクリエイトして行こうと思ふ。