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パリーブレストーパリ出走④ ルデアック435km地点

■朝のBonjyour
最初の朝を迎え、一つ目のチェックポイントであるTINTENIAC(タンテニアック)からスタートをする。高原に来たような朝の涼しさは、コーヒーを飲んで温めてもすぐに冷却されるように感じられた。少し下り基調だったような気がして冷却感は更に増す。リスタートは珍しく数名のグループと共に行った。顔を見ると誰も眠そうな者はおらず、どことなく明るい表情をしていた。冷たい空気のせいか少し鼻が赤い方もいた。「君はどこから来た?」「明るくなったね」などと簡単な英語を交わしながら、今日一日の健闘をお互いに祈っていく。長い長い2日目が始まったのだ。私は果してこの日中にBREST(ブレスト)までたどり着くのだろうか。

街をぬけるのはとても楽しい


■本の街BECHEREL(ベシュレル)
走り始めて5㎞程経ったところで、15名ほどの集団になっていた。この時ドイツ人の女性のライダーのスタイルがかっこよかったのを覚えている。そんな彼女には集団内の色々な方が話しかけていた。男の本能だろうか、そんな女性を目の前にすると自然と話しかけなければいけないのが礼儀のように感られる光景だった。田園風景がいつの間にか変わり、BECHEREL(ベシュレル)の街に入ったら斜度がきつくなった。この村の中心を通るのはD20号線という幹線道路で、TINTENIAC(タンテニアック)から続いてきている。街の印象はとても小綺麗で、石造りの家に赤や青、黄色などの扉の家が続いており、どこかオシャレな感じがするような街であった。この街には660人程の人が住んでいる街というよりも小さな村だが、なぜか15件もの書店が並ぶことから「本の街」とも言われている。「本の街」というとなんとなく賢者のいる冒険の世界を思い描いてしまうのはなぜだろうか。走っている時はこじゃれた小ぎれいな街だなあと思っていたが、調べてみたら一度立ち寄りたい所であった。こういうのを知るとフランスをゆっくりと旅してみたくなる。
BECHEREL(ベシュレル)のホームページ
ちなみにフランスではBescherelle(ベシュレル)は動詞活用の辞書のような本の事を指す。この街とこの本の関連性は良く分からないが。どちらも存在を知らなかっただけに、知って得をした気分になった。


■機関車に牽引されて
斜度がどんどんきつくなり、BECHEREL(ベシュレル)の街の頂上に着くころには速そうなドイツ人と2人だけでになっていた。PBPの時私の体重は69㎏で軽い状態ではなかったが、参加者の中では日本人は小柄で割と軽い部類に入るようだ。そのため坂があると他のライダーよりも少し楽に走れる傾向にあるのは気がついてた。後ろをちらっと見て、ドイツ人とお互いに笑って「一緒に走ろう」と声をかけあった。ところがここからが大変だった。彼はDHバー(肘をのせたエアロスタイルがとれるハンドルに取り付けるバーのこと)をとりつけており、下りと平地は機関車のようにめちゃくちゃ速かった。後ろにつくのがやっとだったが「一緒に走ろう」とお互いに挨拶してしまった以上これは次のポイントまで走らなくてはならない雰囲気になったため、逃れる事はできなくなってしまった。案の定ついてきているのか後ろを確認する彼、きついが「普通にはしっていますよ~」と平然を保ったふりをする私。そんな感じで続いていた。ただ登りになると私に少し利があったのでそこだけは前に出て引いていた。ずっと彼に前を引いてコバンザメになっている訳にはいかないのだ。仮にコバンザメになっていたとしたら、それ相応の御礼は言わないといけない。ゴーッと音を立てて走る機関車は先行しているライダーたちをどんどんと追い抜いて行き(合流して人数を増やしたかったと心の声はが脳内には発せられていた)半分涙目で耐えて走る私であった。カタコトの会話をしながらも辛いという事を悟られずに走った18㎞は朝の目覚めに丁度良かったかもしれない。


■エイドポイント 出会いと別れの場
QUEDILLAC(ケディヤック)に無事に到着。ドイツ人の彼とお互いに笑顔で「サンキュー」と言葉を交わして、お互いの健闘を願いながら別れた。PBPのエイドポイントは出会いと別れの場でもある。まるで旅人のPUBのようなものだ。こうやって走りながら参加者が出会い、そして各ポイントに到着したら別れる。一人ひとりPBPに対しての向かい方は違い、楽しみ方も違う。そして走り方や進め方も違う。ひとつ同じ目標があるとしたらそれはBREST(ブレスト)までたどり着き、そしてRAMBUILLET(ランブイエ)に無事に戻る事だ。「健闘を祈る」
そうえいば彼の名前を聴いていなかったな。それもまたPBPらしいのかもしれない。

田園風景の中 遠くに教会が見える


■お腹が空いてきた
QUEDILLAC(ケディヤック)を出発したら、57㎞程でLOUDEAC(ルデアック)に到着する。ドロップバッグという補給食やバッテリーやウェアなどを入れるバッグをこのポイントには預けている。先行するAのグループのライダーたちはチームで参加し、各ポイントや道脇にサポートをしてもらっているが、私みたいな1人参加のライダーとなると途中で補給を入れ替えたり、着替えたりするためのバッグを途中のポイントで置いておくことが必要となる。LOUDEAC(ルデアック)は往路の435㎞地点、復路の782㎞地点で必ず立ち寄る。約400㎞おきに補給するものを置いておくので便利な場所でもある。走るペースにもよるが、だいたいの参加者はここにドロップバッグを置いていると思われる。日本人ツアーのドロップバッグサービスもここLOUDEAC(ルデアック)に設置することになっている。今回のPBPでは補給食を400㎞分ごとに分けて準備を行った(補給食の準備についてはこちら:現在作成中)。予定通り最後のジェルを持っていたが、なんとなく
気持ち的にお腹が空いてきた。睡眠不足とハンガーノックが一体となった時を一番恐れているためここは気持ちを引き締めなければと思った。LOUDEAC(ルデアック)に到着すると全行程の1/3進んだという気持ちにもなるが、大切な補給を受け取り一つ大きな休憩をとるということもあって、体が早くLOUDEAC(ルデアック)を欲していた。


■眼鏡をかけたスーパーマダム
LOUDEAC(ルデアック)まであと40㎞あと1時間40分ぐらいだろうか、坂を登っていたら後ろから「Bonjour(ボンジュール)」と声をかけられた。PBPの参加者かと思って、息「ハアハア」としながら横を向きながら「ボ、ボ、ボンジュール」と言っていると、割と軽装なスポーツウェアに眼鏡をしているご年配の女性がすーっと抜いていくではないか。しかも旅用のパニアパックを自転車の横につけている。よく見たら電動アシストがついていて坂道をアシストしているようだったが、それにしても速い。日本ではこういう光景はなかなか見ない。フランスでは普通に自転車で旅をしている人が、それも年齢はあまり関係ないのだろう。下りでは我々の方が速く追いつき、登りではすーっと離される。こんなペースで一人で旅をしているとは!すごいご婦人だ。しばらくの間ご婦人は我々とならぶとニヤニヤとこちらを見ていて、我々もそれに対して笑顔で返しながら走っていた。この時期はバカンスの時期なので、旅行者が多い。ご婦人も自転車で旅をしている最中だったのだろう。老若男女関係なく自転車での旅をする場面をみて。思いもよらないフランス人の自転車文化を見たような気になった。気がついたらどこかで曲がったようでいなくなっていた。きっとどこかいいカフェをみつけていい時間を過ごしているのだろうか。


■最初の小さな目的地
LOUDEAC(ルデアック)に到着する頃には朝の靄が嘘のように晴れ、だんだんと暑くなっていた。空は気持ちいいぐらいの青空で、我々は天気に恵まれている中走ることが出来ていた。街の中のコントロールポイントに着く手前から沢山の人が迎えてくれた。「Bonjyou(ボンジュール)」「Mercy(メルシー)と声をかけながらフェンスに沿って誘導されてコントロールポイントに入っていった。RAMBUILLET(ランブイエ)を出発して夜間走行が多かったからか、歓迎してくださる沢山の人の顔をしっかりと見て入るのは、ここが初めてだった。フェンス越しからたくさんの拍手を浴びて、会釈をしながら抜けていき、たくさんあるバイクラックに自分の自転車をかけた。最初の小さな目的地であったLOUDEAC(ルデアック)にようやく着いたのだ。まだスタートしてから19時間程度であったが、長い旅をしてきた感覚にとらわれた。そしてヘルメットを脱ぎほっと一息ついた。

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