100日後に死ぬワニから考えたこと。
生きてるって凄いことだなと最近思う。
食べものを美味しいと感じられること。
あったかい布団で寝られること。
大好きな人たちと一緒に過ごして笑ったり泣いたり、なんてことない日常を過ごせること。
ぜんぶあたりまえなんかじゃない。
きくちゆうき先生が描いた、「100日後に死ぬワニ」を読んだ。
自分の死期を知らないワニくんが、仲間たちと過ごしていく日常を描いたものだ。
(最終回を迎え、某広告代理店がかんでいることで大炎上したが…)
マンガでは、枠の外に「死まであと◯日」というふうに書かれている。
まさか。自分が100日後に突然死んでしまうなんて考えられない。
人間だってそうじゃないか?
私も含め、ほとんどの人は自分の死期を知らない。当たり前のように「明日」という、今と何も変わりがない1日がくると考えている。
新型コロナウィルスの感染拡大のニュースを見てから、それは当たり前ではないということを最近は余計に感じる。
もし自分の大切な人たちが、感染してしまったら。自分が感染してしまったら。うつしてしまったら。
最悪それがきっかけで命を落としてしまったら?
------そんなことを考えて、不意に怖くて仕方なくなる。
悪夢にうなされることもここ数日増えた。
でもそう言う私も、自らの手で自らの生に終わりを決めてしまおうかと考えたことがあった。パワーハラスメントを受けていたときに仕事帰りの駅のホームで、飛び込みそうになるのを缶のコーンポタージュ(以下コンポタ)を飲んで気持ちを落ち着かせ、ホームの真ん中に立っていた。
今思う。あの時終わらせなくてよかった。
その職場を離れて冬を迎え、そのときと同じコンポタを飲んでみた。
不思議と違った味に感じた。
あのときより、いろんな風味を感じる。
「あぁ、美味しい。」そう感じた。
心の平穏を得て、きっと味覚が敏感になったのだろう。
私はコンポタを通して、生きていることや小さな幸せを噛みしめることの尊さを感じた。
その後結局講師であったことを教諭達に馬鹿にされていることがわかり、私は病んだ。しかしなぜか一年前とは違った行動をとることができた。
当たり前じゃない、自分の生きる世界。
いつか必ず来る終わりの時まで、精一杯生きて行こうと思った。
(写真は面接終わりに行ったカフェでの一コマ。美味しかったです。)