「夜王子と月の姫」を聴いたとき。
人生で最も聴いた楽曲とは何だろう。
ぼくは、即答できる。18のころに出会った「夜王子と月の姫」だ。
中学で「19(ジューク)」にハマり、326の歌詞を写経していたぼくは、高校生になって友人に薦められた「THE LIVING DEAD」に衝撃を受ける。藤原基央の歌詞カードとその物語の虜になって「エモコア」を聴くようになった当時、ツタヤのレンタルに並んでいたのがGOING STEADY(ゴイステ)の「さくらの唄」だった。
そのアルバムは衝撃的だった。326に比べると表現はどストレートだし、藤原基央に比べると物語は青く拙い。それなのに、耳から胸まで突き刺さった。峯田和伸のイラストが描かれた歌詞カードをカバンに忍ばせておくようになり、とくに「BABY BABY」と「銀河鉄道の夜」は当時のぼくのテーマソングとなった。
それから1年ぐらいが経っただろうか。童貞ソー・ヤングを経てメジャーになりつつあったゴイステから新たにニューシングルが発売されると聞いて発売日にCDを買いに走った。薄いビニールをはがして、指紋ひとつないCDのフタを慎重に開ける。円盤に描かれたデザインを光に掲げる時間も惜しみつつコンポにセットすると、校舎裏で渡された手紙を開くような気持ちで歌詞カードと向かい合い、やがてはじまる楽曲の歌詞を追いかけながら聴いていく。
そして、Track01の「若者たち」を聞き終えたとき。「……あれ?」と、少し期待はずれな気持ちがよぎった。そのあいだにTrackは「02」に切り替わり、カップリングの「夜王子と月の姫」がはじまる。そのイントロを聴いた瞬間、電撃が走った。エモの洪水が押し寄せてきた。そして、こう歌い出す。
大げさではなく、そのメロディーラインは夜空を駆ける銀河鉄道となり、ぼくを乗せて走り出していた。
7分におよぶ楽曲が終わり、気がつけば、六畳に満たない部屋に帰還していた。せつない余韻を残して。
それからというもの。町を歩きながら、自転車を漕ぎながら、電車に乗りながら、夜王子と月の姫を再生し続けた。どこにいても、その楽曲はぼくを夜空へ連れ出してくれた。そのたびに、きらきらした言葉が輝きはじめる。
あっという間に、すべての歌詞を覚えた。そして、サビのフレーズが迫るたびに目頭が熱くなる自分がいた。
何度聴いても同じところでじんわりと涙がにじむ。世界観の下地になっている宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読んだ。それでも歌詞の意味はわからなかった。それなのに熱いものがこみあげてくる。
カラオケで何度も歌った。ギターで弾けるようになった。MDが擦り切れて録音をし直した。そうしているうちにゴイステは解散した。それから銀杏BOYZのverが出たものの、ゴイステ時代の音源にしか涙は反応しなかった。バックパッカーの旅に連れ出して、世界中の夜空の下で聴いた。それでも、意味はわからなかった。ただ、目頭が熱くなることだけは変わらなかった。
何がそんなにぼくを熱くさせたのだろう。なぜかはわからない。孤独だったわけでもない。それでも、人には世界でひとりきりに思える瞬間がある。初恋の女の子にフラれたとき、浪人して何者でもなくなったとき、就活に失敗して行き場を失ったとき、地平線しか見えない国境でポツンと朝を待っていたとき。そのとき、「世界の終わり来ても 僕等は離ればなれじゃない」という言葉が染み渡るのだ。
しかし、社会人になってからは、ゴイステそのものを聴かなくなっていた。それから15年。今、あらためて聴いてみると。やっぱり少し、目頭が熱くなった。