2月18日は「冥王星の日」
私の名前は倉地冥。「冥」と書いてメイと読む。私の人生はひとつの宿題で一変した。小学三年生になったばかりの四月のある日。「自分の名前の意味を調べてみよう」と担任の先生が言ったのだ。今でも思う。あの宿題さえなければ、こんな自分になることはなかったと。まだメイでしかなかった私は、そのとき初めて「冥」の意味を知る。国語辞典にはこう書いてあった。「光がない、くらい、くらがり、やみ……」目の前が真っ暗になった。どうしてこんな名前をつけたのだろう。両親に聞いてみたかったけど、私の両親はもういない。私が生まれてすぐに交通事故で死んでしまったからだ。
両親がいなくても、それなりに前向きに生きてきた。それなのに。私の性格は、国語辞典を開いたときに、閉じられた。進むべき道を照らしていた光が消え、暗闇に立ち尽くし、しゃがみこみ、閉じこもるようになった。もちろん学校には通ったけれど、きのうまでの私でいられなくなった。おはようの声が小さくなり、いつもしていた会話ができなくなり、誰かと話すのが嫌になって、前髪を伸ばして表情を隠した。こうして私は自分の名前に囚われ、呪われた。
中学生になったとき、私にとっての事件が起きた。夏海明。「明」と書いてメイと読む。クラスメイトにもうひとりのメイがいたのだ。夏海明は、文字通り明るくて、いつもクラスの真ん中にいる太陽のような女の子。「明るいメイ」と、誰かが彼女をそう呼んだのをキッカケに、あるいは引き換えに、「暗いほうのメイ」と、私は影でそう呼ばれるようになっていた。自分の名前がますます嫌いになった。ますます名前に縛られた。
ある夏の放課後。職員室に届け物をして教室に戻ると、夏野明がひとり、教室にいた。明るいメイと、暗いメイ。二人きりの気まずさに気づかないフリをして、鞄を取ってすぐに帰ろうと席に向かう。「メイちゃん、同じ名前なのに話したことなかったね」明るく、ほんとうに明るく、彼女が話しかけてきた。うらやましくて、うらめしい。「そうだね」と彼女にギリギリ聞こえないくらいの声だけ残して逃げるように扉に向かう。なんて言ったんだろう、相手がそう考えているうちにいなくなるのが、いつもの私だ。「待って」と彼女に呼び止められる。「私さ、明って名前が好きじゃないんだ。なんだか、無理にでも明るく振る舞わなくちゃいけない気がしてさ。悲しかったり、落ち込んだり、そんなときも私は笑ってしまうの。名前に呪われてるみたいに」
なんて言ったらいいのか分からなくて、そのとき私は、初めて彼女の顔を正面から見た。いつもと変わらない明るい笑顔だった。「私たちの名前、ふたりで割ったら、ちょうどいいのにね」「名前はそう簡単に割り切れないよ」今度は聞こえるように言って少し笑った。誰もがみんな名前という引力に縛られて生きる惑星なのだ。
1930年のこの日、太陽系第9惑星として「冥王星」が発見された。15等星という暗さからギリシア神話の冥府の神に因みplutoと名付けられた。そして、2006年。惑星の定義が定めらたことで冥王星は惑星ではなく準惑星に分類されることとなった。
2月18日は「冥王星の日」
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