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100年後に受け継ぎたいものはありますか?
福岡県、柳川市にある「柳川藩主立花邸」。立花家が城主となって400年。現在は18代目が社長として受け継ぎ、日本で唯一の「泊まれる国指定名勝」となっている。
18代目は『そんな建物たちと一緒に育ったからか、自然と「100年」という単位で物事を考えることが当たり前になっています。100年後もこの場所に御花を受け継いでいくこと、それが私の使命です。』と述べている。
100年とは、自分が死んでも後に残したいものということ。つまり、死と向き合うことでもあるはずだ。
自分にとって、100年後に受け継ぎたいものって何だろう?
真っ先に浮かんだのは「太陽の塔」。いわゆるニュータウンで育ったぼくには先祖代々もクソもないのだが、窓から見える風景にはいつも太陽の塔があった。だだっぴろい広場に異様に屹立するその佇まいは地元をアイデンティファイする唯一のシンボルであり、その偉大な遺産がなくなれば、たちまち量産型の郊外の町と成り果てるだろう。
しかし、太陽の塔はあまりにパブリックすぎる。自分が100年後に残したい、受け継ぎたいと思ったところで、どこまでコミットできるのだろう。では、子供として残した遺伝子なのか? 仕事として残した文章なのか? いずれもドメスティックすぎる。
本当の意味で、100年後に受け継ぎたいものって何だろう?
18代目が100年後に受け継ぎたいと話すのは先祖代々のもの。それに近いものがある人はそれでいい。しかし、ぼくもいちおう和歌山に先祖代々の土地があるのだが、ただのおじいちゃんおばあちゃんの家でしかない。先祖代々となるはずのものが、両親の世代で分断されていて、思い入れの積み重ねがないのである。
ぼくのような人の場合は何を受け継げばよいのだろう。分断されている以上は受け継ぐのではなく、自分が新たに生み出したもので、100年後に残したいもの、と考えたほうがよいのだろうか。
先祖代々ではない例として、熱海のホテルニューアカオを創設した赤尾蔵之助は自分が辛いときに励ましてくれた錦ヶ浦の風景を守りたくて用地を取得したという話がある。自分にとって、そのような風景はあるだろうか。強いて挙げるならば、横浜の臨港パークの風景であるが、やはりパブリックすぎる。
より大きな視点で見るとグレタ的思考で地球環境を残したい、あるいはジブリ的思考で古き良き時代を残したいという思考に行き着くはずだが、それでは、やはり超望遠すぎる。50mmの単焦点レンズぐらい等身大の視野で見たときに何を残したいと思うのか。その答えがなかなか写り込んでこないのである。
柳川市の話に戻ると、柳川はヴェネツィアのような水路の町。高畑勲はアニメのロケハンに来たつもりが「柳川堀割物語」というドキュメンタリー映画を残した。ナウシカの売上を使い果たし、宮崎駿が自分の家を抵当に入れたといわれるこの作品には、ちょうどぼくが生まれたころの柳川の風景が映っている。一見、現在と大きくは変わらない柳川の風景であるが、それが残されたのには市民の大きな動きがあった。
江戸時代、いや弥生時代から水路と付き合った人類が、上下水道が整うにつれて水路を必要としなくなり、たちまち不法投棄などが横行。水路はたちまちヘドロと化して蚊の温床となった。いっそ、すべての水路を埋め立ててしまうかという話になったとき、ひとりの市の職員が「水路は一度なくしてしまうと二度と取り返しがつかない」と立ち上がり、さまざまな取り組みを通して、柳川の風景を取り戻した。そして、100年後に受け継がれる風景となったという話だ。この話は、柳川にある立花家の「柳川藩主立花邸」とぴったり重なるように思えてならない。
あらためて、自分にとって、100年後に受け継ぎたいものって何だろう?
その答えを見つけることこそが、人が生きるという旅なのかもしれない。人はいずれ死ぬ。そのとき、自分は何を残せたと思うのか。自分の生きざまと言える哲学か、子につけた名前か、思い出という光を宿した宝石か。ぼくの場合、一冊の小説でも産み落とすことができれば、それが100年残したいものになるのかもしれないが、果たして。もう少し年を重ねてみよう。