最終回のストーリーは初めから決まっていたとしても
アニメ・平家物語を完走した。
「祇園精舎の鐘の声 盛者必衰の理をあらわす」と丸暗記したのは小学生のころ。それから20年ものあいだ、何度も文庫や漫画を手にとっては途中で挫折してきた。
でも、この5年で、厳島、福原、南都、太宰府、屋島、壇ノ浦といった舞台を断続的に旅してきたこと、そして、平清盛や源義経、安徳天皇や後鳥羽上皇などの話を各地で聞いてきたことから、今回、はじめて平家物語がひとつのまとまりとしてインストールできた実感が得られた。
もちろん、すぐれた映像で整理してくれた山田尚子監督の手腕は大きい。京アニは辞めたのかなぁ。「けいおん!」のように、女子高生の生脚で細やかな感情を描くのがフェチかったが、ガラッと作風を変えてきた。ちなみに、容姿も端麗すぎるアニメ監督なので知らない人は検索されたし。
平家物語は日本人なら誰もがインストールしておくべき物語だと思うのだが、このアニメが万人に勧められるかといえば、難しい。たいした教養ではないものの、わりと下地のあるぼくで丁度よいレベルだった。登場人物の名前を初見に思うレベルであれば物語から置いていかれるかもしれない。まるで高速で走るサラブレッドの鞍から振り落とされるみたいに。
そんなことを考えながら、あらためて平家物語のOPを観てみたのだが、予想外に、ぶわっと泣いてしまった。この作品で伝えたいことがギュッと詰まっている気がして、たった1分30秒で全11話分がフラッシュバックしたような気持ちになった。
「おごる平家は久しからず」と悪者な印象が残る平家であるが、平家の人たちにも優しく幸せな日常があった。そこに、ほころびのように生じるおごり。そのおごりが盛者を必衰とし、次の勝者は敗者を全否定して新しい歴史の盛者となる。そしてまた必衰を繰り返す。残された歴史には、敗者の「バツ」しか残らない。まるで合戦のあとの血塗られた戦場のように荒れ果てている。その光景に、あとに残された人たちは立ち尽くしてしまう。
盛者必衰。1000年前に書かれた物語を人類は繰り返す。太平洋戦争でも、ウクライナ戦争でも、自分の人生における戦争でも。このループから人類は抜け出せないのだろう。ならば、と羊文学はOPテーマでこう歌う。「最終回のストーリーは初めから決まっていたとしても」耳に残るこのフレーズは作品と見事にシンクロしながらこう告げる。「今だけはここにあるよ 君のまま光ってゆけよ」避けようがないのなら、突き進んでもよいのだと受け取った。歴史にどう言われようと、あなたを語り継いでくれる人はいるからと。決して「バツ」しか残らないわけではない。残された戦場でドッグタグを拾ってくれる人がひとりはいるはずだからと。
当たり前なのに避けられない。だからこそ、語り継がねばならない。「祇園精舎の鐘の声 盛者必衰の理をあらわす」を無理やり暗記させられたのは、とても意味があることだったのかもしれない。そのことが、今、腑に落ちた。