2月9日は「服の日」

「フランス人は10着しか服を持たない」が話題になったが、僕は「ハンガーの数しか服を持たない」。たとえば、ワイシャツを買ったとする。家に帰って値札を外して、ハンガーにかける、そのとき。ハンガーが足りないという事態に直面する。そうなると、必然的に、古い服やあまり着ない服を捨てる必要がでてくる。そうして服を持ちすぎないようにしているのだ。厳密に言えば、ハンガーだけでなく衣装ボックスもある。下着などはボックスに入りきらなくなったら、入りきらない分だけ捨てるようにしている。

ちなみに、服を捨てるときには雑巾代わりに机や棚を拭いて、そのまま捨てる。旅に持って行って「着て捨て」することもある。この習慣を始めて五年になるが、服が足りないと思ったことはないし、あの服を捨てるんじゃなかった、と後悔したこともない。

それでも服が増えすぎてしまう人には、とっておきの方法がある。元も子もないかもしれないが、元を断つ方法とも言える。それは、「服屋に行かない」ことだ。僕はあるときから服屋に入るのを一切やめた。渋谷や原宿を通りかかっても、一切立ち寄らない。ウインドウショッピングをすると「欲しいスイッチ」が入ってしまう。だから、一切の情報をシャットアウトする。もちろん、ファッション誌も手に取らない。そうすると、服を欲しいと思うこともなくなった。

そのとき思ったのは、服屋にも依存性があるんだなということだ。渋谷で時間が余るとお決まりのコースで服屋をめぐる。脳がそれを習慣化してしまっていて、最初のうちは少しためらいがあった。禁煙や清原氏のそれとは依存のレベルに差はあるが、似たところは確かにある。今では浮いた時間は本屋に行ったり、一駅歩いて散歩したりする時間に充てている。そのほうがお金もかからないし、よっぽど有意義だ。服ほどお金を節約しやすいポイントはないと思う。

とはいえ、僕も昔は服をよく買っていた。お正月のセールには開店前から並んでいたし、欲しい服を色違いで買ったことも、すぐ着る用といつか着る用とか言い聞かせて同じ服を二着買ったこともある。上京したばかりのころは、地図を片手にセレクトショップを練り歩いたりしたものだ。

しかし、今はたいていユニクロだ。セレクトショップで一万円のシャツを買うお金があれば、五枚はシャツが買える。耐久性が違うと言っても五倍の違いはないだろう。社会人になって、オシャレより清潔感を優先するようになったことも大きい。高い服を大切にするがあまり、五年、十年とボロボロになっても着ているほうがダサいと思うようになった。僕は白いTシャツが好きなのだが、高いTシャツを買っても脇周りが黄色くなるのは防げない。だったらユニクロを着倒して、ダメになったらすぐ捨てる。その方が気持ちよく思えるようになったのだ。

靴下は、同じものを8足ほど買って、捨てるときは総入れ替えしている。左右を合わせている時間がもったいないからだ。今のところ、面とむかって「ダサい」と言われたことはない。ジョブズやザッカーバーグ、イーロン・マスクも、いつも同じ服を着ていると言われる時代だ。服を選ぶ時間がもったいないからだという。オシャレを節約するのがカッコイイ時代なのかもしれない。

2月9日は「服の日」

ユニクロで買った服を着て、
ユニクロに入るのは恥ずかしい。


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