絵葉書とその原画:太田三郎の場合(上)
1 絵葉書とその原画を入手した
絵葉書の原画が入手できて、印刷されたものと比較ができたらおもしろいだろうと思っていた。それも、自分が関心を持つ画家の原画が見つかれば最高である。
しかし、それはなかなかむずかしい。たまに古書のオークションで絵葉書の原画が出品されるが、価格は安くない。
しかし偶然と幸運から、少し筆者の財布が軽くなったが、太田三郎の絵葉書の原画を入手することができた。
次は印刷された絵葉書を入手する必要がある。すると、これも難なく手に入れることができた。ふつうは、そんなに簡単にトントン拍子に入手できることはないだろう。
この2枚は、現在、清須市はるひ美術館で開催されている「博学多彩の画家として 清須ゆかりの作家 太田三郎」展で展示されている。
KNM@KNM2002さんのXのポストに展示の様子の写真がでているので、引用して紹介させていただく。
https://x.com/KNM2002/status/1855091676421013514/photo/3
絵葉書、『ハガキ文学』の展示コーナーのガラスケースに絵葉書と原画がならんでいる。
出品協力する前に、写真を撮っておいたので、美術館が遠くて参観できない人たちのことを考えて、2回にわたって、絵葉書と原画について紹介したいと思う。
もちろん会期中に清須市はるひ美術館に足を運んでいただけば、間近で絵葉書とその原画を見比べることができる。
太田三郎が雑誌『ハガキ文学』の編集を手伝うようになったのは、絵葉書図案の懸賞投稿に入賞したことがきっかけであった。
『ハガキ文学』第2巻第2号、(明治38年2月1日発行)の「社告」には、明治37年以降に投稿された絵葉書図案から選ばれた当選者の氏名が発表されているが、三等に太田三郎の名を見出すことができる。入賞作の名は《かるた会》である。
入選作は実際に絵葉書にされたが、下記のものがそれと推定できる。あくまで推定で、裏取りはできていない。
装飾的なデザインにせずに、スケッチをもとにしているところが太田の特徴だといえるだろう。画面に人々を収めることなく、見切れてもかまわないという描き方もおもしろい。この絵葉書も、現在、清須市はるひ美術館に展示されている。
『ハガキ文学』の編集部に入った太田は、2年後には退いて、その後は誌友的立場からの協力を継続し、日本葉書会のものだけでなく、多くの絵葉書を作成した。その総数は概算で200枚程度ではないかと考えている。
絵葉書の広告に名前が出ているもの、絵葉書関連の図録類に出ているもの、筆者の収集品などから推定してみた数字である。
2 『女学世界』の付録絵葉書
さて、原画が残されている絵葉書は、博文館が女学生を対象として出していた雑誌『女学世界』の付録絵葉書である。
雑誌『女学世界』の総目次の複写を掲載した『近代婦人雑誌目次総覧』の第6巻、第7巻(1985年10月、近代女性文化史研究会編、大空社)が国立国会図書館デジタルコレクションにあり、全文検索することができる。
ただ、Xで指摘されているように、完全にもれなく検索できるとはかぎらない。もれおちることもある。「太田三郎」と「三郎」で2回検索をかけて、調べると、太田が『女学世界』に寄稿しているのは、明治40年から大正3年にかけてであり、付録絵葉書は明治40年と41年の7点であることわかった。
太田三郎の絵葉書が付録となったのは下記の号である。
第7巻第9号 定期増刊現代婦人成功立志談 明治40年6月
第7巻第11号 明治40年8月
第7巻第13号 明治40年10月
第7巻第14号 定期増刊処世百話 明治40年10月
第8巻第1号 明治41年1月
第8巻第2号 定期増刊都会生活 明治41年1月
第8巻第15号 定期増刊心の日記 明治41年11月
このうち、第7巻第11号(明治40年8月)については、付録絵葉書がついたままの保存のよいものを入手していた。これも清須市はるひ美術館で今、展示されている。
わかるのは、付録絵葉書は雑誌の発売される季節感を重視しているということである。8月号なので、海辺の光景が描かれているわけである。
この絵葉書については下記記事で分析を示した。
また、日露戦争から明治40年頃にかけての絵葉書ブームにより、石版を主として美麗な印刷による絵葉書が雑誌の付録になったことについては、下記記事を参照されたい。
さて、前置きが長くなったが、今回紹介するのはこんな絵葉書である。
「女学世界」という文字が印刷されており、その付録絵葉書であることはまちがいない。太田のサインも入っている。ただ、いつの号かというと特定がなかなかむずかしい。
女性と植物の組合せは、絵葉書の図案の定番で、よく使われていた。梅や菖蒲だとすぐ季節が特定できる。
この絵葉書に描かれているのは白詰草、すなわちクロ−バー、苜蓿である。歳時記では、春のものとされる。ただしこの絵葉書では花は描かれていない。
女性が手にしているのは皷である。これは歳時記ではたとえば初皷のように正月のものとされている。銀地を使っているのも正月らしい。
さて、白詰草は春で、皷は正月というように描かれたものが暗示する季節が一致しない。困った。
3 画像検索をかけてみる
こういうときにやってみるのが、Googleの画像検索である。
図版そのものをドラッグして検索する。
すると、どうだ、同じ絵葉書がヒットしたではないか。
見にいくと、『碧南市藤井達吉現代美術館紀要』第4号(2017年3月31日発行)に掲載された土生和彦氏の『【資料紹介】藤井家に残された絵葉書』という文章にこれと同じ絵葉書が紹介されている。
https://www.city.hekinan.lg.jp/material/files/group/62/45207894.pdf
藤井達吉(1881−1964)は、美術工芸家で斬新な感覚の染織や紙工芸を制作し、工芸革新運動にも参加した。藤井は愛知県碧海郡棚尾村(現碧南市源氏町)の生まれで、彼を記念した碧南市藤井達吉現代美術館が設立されている。
藤井の紹介と略年譜は下記リンクにある。
藤井の作品は下記リンクで参照できる。
https://www.city.hekinan.lg.jp/material/files/group/62/f-fujii.pdf
さて、土生和彦氏の『【資料紹介】藤井家に残された絵葉書』(前出)という論稿は、藤井達吉の親族から美術館に作品が寄贈されたが、周辺資料として含まれていた絵葉書について解説を加えたものである。
未使用の絵葉書の中に『女学世界』の付録絵葉書32枚が含まれていて、本稿で紹介した1枚と同じものもある。
驚いたのは、土生和彦氏の『【資料紹介】藤井家に残された絵葉書』(前出)には、『女学世界』は「明治三八年一月発行の第五巻一号から明治四二年一二月の第九巻一六号までの五年間、著名な画家による絵葉書を付録としていた」という指摘があり、絵葉書の一覧表まで掲載されていることである。
一覧表と照らし合わせると、太田三郎の絵葉書は筆者の調査と一致する7点であった。
『【資料紹介】藤井家に残された絵葉書』(前出)によれば、鼓を打つ女性とクローバーの絵葉書は、第7巻第9号(明治40年6月)の付録である。クローバーが繁茂する季節に合わせた図柄で、鼓に季節性の暗示はなかったということになるだろう。(下につづく)
*今回のヘッダーの画像は、絵葉書原画の部分である。
*ご一読くださりありがとうございました。